世界征服している場合じゃねえ!

藤井 三打

1-1

 ゾンビ映画を見るたびに、腐敗し人を襲う彼らを恐ろしく思い、同情もした。

 そして、あの世界と違い、自分たちの世界にそんなものがいないことに安堵した。

だが、今ならわかる。下には下がいる。そして自分たちの世界はゾンビがはびこる世界よりも、きっと下。更にサイアクだったのだ。




 朝起きるたびに、壁に傷をつけるのが彼女、大内春菜の日課となっていた。

「チッ……」

 聞こえてきた甲高い悲鳴を聞き舌打ちする。間に合わなかったという無力感が、自分の身をさいなむがどうしょうもない。

目覚ましは、誰かの悲鳴である。壁の傷が七つ目ぐらいの時は寝られないくらいの頻度で聞こえてきていたが、最近は本当に少なくなった。

傷を見るに、どうやら四日前に十七の誕生日を迎えていたらしい。

 この一室に篭もることができたのは偶然である。偶然腹が減って、なんとなくこのショッピングモールのフードコートのラーメンが食べたくなって、運良く道に迷って、この部屋に立てこもれた。

ショッピングモールの最上階、屋上の搬入口に繋がる、従業員の休憩室。寝袋があって毛布もあって、なんとか住めるだけの一室。下水設備があったのは、本当に助かった。

 それから、ずっと学校の制服のままここに住んでいる。重々しいブレザータイプの制服は嫌いだったが、暖房なき寒い夜にも耐えきれたのは、この厚い上着のおかげだ。

 この部屋にいるから、生きていられる。目立たず、搬入口に置きっぱなしになっていた、水や食料を密かに確保できる場所だから今まで篭っていられた。

 でももう、限界だ。

「にく! にく! にく!」

「はやく! はやく! はやく!」

 ガンガンと、叩かれる扉。叩いているのは、沢山の人だった。彼らは元気だ。ゾンビに比べて、腐ってもいないし緩慢でもない。

ただ既に食欲しか頭にない、食人鬼なだけだ。

 食べ物は根こそぎいただき、生き物だってなんでも食べる。すでにフードコートやスーパーの食料は食べ尽くして、ペットショップの動物たちも食べ尽くして、狂っていない人たちも食べ尽くした。

 そして搬入口の食べ物もついに見つかって、鉢合わせてしまった春菜も見つかった。

 食欲で頭がおかしくなっているくせに、食人鬼は共食いをしない。

 せめて食人鬼同士共食いしてくれれば、とうに自分は、このショッピングモール唯一の生き残りとなっていただろう。アレに比べたらそのうち腐るゾンビのほうが、まだマシだ。

バリバリと、鉄製の扉が切り裂かれる。食人鬼に見つからなかったからここまで篭もれたわけで、見つかってしまえばあっけないものだ。

なにせ彼らは、たどたどしくも道具が使えるのだから。鍵は開けられなくても、扉は壊せる。

 いい加減匂いが気になってきた金色の髪をかきあげ、覚悟を決める。

「ああもう、始めからこうすればよかったんだ……かかってきな!」

 こういう時のためにとっておいた鉄パイプを手に、男勝りの啖呵を切る春菜。

 ヤケ半分ではあるものの、その仕草には慣れがあり、切れ長の瞳には獰猛さがある。

 春菜は、俗にいう非行少女であった。幼少時、幼稚園で祖父譲りの生まれつきの金髪を馬鹿にされた時からずっと、荒れた生活を送っている。

あの時、殴るのではなく許していれば人生は変わっていたのか。そう考えることもあった。

でも、きっと我慢はできず別の機会に殴っていただろうし、そんな慈悲の心に溢れた人間では、きっと今頃、食人鬼のエサになっていただろう。

 この状況で、ただ泣きわめくことを選ばない。春菜には、胆力があった。

扉の裂け目から除く足。捕食者の足を見た瞬間、春菜の口から漏れたのは……

「え?」

 マヌケな声だった。なにせその足は、もこもこしていたのだから。

黄金色の毛と肉球とするどいツメ。これはどう見ても、デカい猫の足だ。直立歩行の、デカい猫の足だ。

「痛! 痛! ここ狭! 狭めえ!」

 そんなデカい猫は、扉の向こうで往生していた。身体を横にして、頑張ってこっちに入ろうとしているものの、これまた肉球と爪しか見えない。

 何度かアタックしたあと、猫は諦めたのか一旦ドアから退く。

いったいなんなんだろう、アレ。

春菜は扉の裂け目から向こう側を覗こうとして、

「うわぁ!?」

 またも似合わぬ声をあげた。今度は目があった。猫の目ではなく、爬虫類の目。裂け目から入ってきたコブラが、自分を舐め回すかのように目を動かし鎌首をもたげていた。

 いきなり、キシャーとコブラが鳴いた。

「いたんだな!? へっへっへ、ここまでさんざん手こずらせやがって」

 扉の向こうから、また猫の声が聞こえてくる。なんだか、山賊みたいなノリだ。

 ……いや待て。思わず受け入れてしまっていたが、なんで猫が人の言葉を喋っているのか。ひょっとして猫といい蛇といい、全ては発狂した自分が見ている幻覚なんじゃなかろうか。

「待ってろ、別のトコから中に……チッ、有象無象がウジャウジャと。ちょっと待ってろ!」

 コブラが引っ込み、壊れた扉の前から人の、猫の気配も消える。

「なに、アレ」

 ポカンとする春菜、いま来た猫の正体がまったくわからない。何を食ったら、あんな大きく育つのか。春菜を正気に戻したのは、外から聞こえる沢山の絶叫だった。

 春菜は鉄パイプを手に、ついに外に堂々と出る。

 屋上で、猫が暴れていた。猫というか、たてがみ付きの猫。つまりは、ライオン。でも結局、アレをなんと呼べば良いのかわからない。

 だって、自分の知るライオンは、直立歩行もしないし、毛皮にウロコが混ざっていたり、右腕がコブラそのものだったりもしない。

「にく! にく!」

「にく、にく、うるせえんだよ! こっちの腹が減るだろうが!」

 獲物を見つけ、ショッピングモール中から殺到する食人鬼を、謎のライオンは片っ端から爪で切り裂き、頭を踏み砕き、時には自分の牙で噛みついて。とにかく、大暴れだった。あれだけの動物大暴れ。きっとペットショップの動物も、うさが晴れて成仏できるだろう。

「テメエらみたいな、十把一絡げの雑魚が、ライオコブラ様に勝てると思ってんのか! 怪人とはいえ幹部候補だったんだぞ、俺は!」

 蹴散らしつつ、よくわからないことを叫んでいる、自称ライオコブラ。ライオン+コブラで、ライオコブラなのだろうか。

「……ゆるキャラ?」

 彼女にとって、怪人や幹部候補という単語は、聞き慣れないものだった。ただ、あの外見は、ちょっとシュッとしたゆるキャラにしか見えない。

ゆるさとシュッとしたという表現、若干矛盾している。

 いったい、自分は助かったのか、それともこれは今際の幻覚なのか。春菜は判断できなかった。

「危ねえ!」

 ライオコブラの右腕のコブラが伸び、いきなりこちらに突っ込んでくる。数メートルの槍となったコブラは壁を貫通。春菜の背後からにじり寄っていた食人鬼を串刺しにしていた。

 ずるりとコブラが引きぬかれ、日曜のお父さんとしか思えない牧歌的な格好をした食人鬼が崩れ落ちる。彼の緑色のカーディガンもクリーム色のチノパンも、血で至るところが染っている。

 引きぬかれた瞬間、掃除機のコードのような勢いで戻っていくコブラ。途中横切った時、今しがた心臓を貫いて出来た真新しい血が、ぴちゃりとハネて頬に付いた。その感触は、生ぬるく気持ち悪い。感触は、本物だった。

 どうやら、これは現実で、あのゆるキャラも現実のものらしい。そして、あのゆるキャラは、おそらく食人鬼以上の怪物だ――

 ライオコブラにより、屋上に押し寄せた食人鬼たちは全滅した。

「ようやく、落ち着いたぜ。さて」

「このネコーー!」

 落ち着いた様子を見せたライオコブラの脳天に、春菜が振り上げた先手必勝の鉄パイプが直撃した。

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