白ヤギさんからの手紙

無記名

種まく白ヤギ

「黒ヤギさーん!お手紙ですよー!」


今日もカラスの配達員が、手紙を届けにやってくる。


「ありがとう、カラスさん」


「いえいえ、これもお仕事ですから!」


それでは!と元気にカラスさんは飛び立った。


ぼくは、白ヤギさんが送った手紙を、読まずに食べた。


それが、彼との約束だから。





かれはじめて出会ったのは、 様々な草花がしげる、野原のはらなかだった。


この星で随一ずいいちの広さを誇るその草原地帯そうげんちたいちかごろ、草食動物たちの暴食ぼうしょくによって、その美しい様相ようそうくもらせていた。


風になびく美しい緑の絨毯じゅうたんは、ところどころ美味しい種別しゅべつの草だけが食い荒らされ、点々と露出する茶色の地表はもの哀しそうに、ザラザラとした砂粒を夕焼けの寂しげな風に乗せていた。



そんな中で、二本の太い爪を使いながら、種子を植える白ヤギがいた。


夕陽に照らされるその後ろ姿を見て、ぼくは思わずこう声をかけてしまった。


「どうして、そんなムダなことをするんですか?」


彼は動きを止めず、こちらの方も見ず、ただ、


「だだっ広い、このくさっぱらが、好きだからだよ」


そう答えた。


(ヘンなヤギだ)


頭のおかしい動物に近付くべきではないと判断したぼくは、そのまま住処に帰った。




ところが。



次の日も



次の日も



また次の日も




そのまた次の日も




そのまた次の、その次も




その次の次の次の次の次の次の次の次の日も


彼は相変わらず草原地帯で種子を植え続けているようだった。


ぼくは思わず彼に声をかけてしまった。


「あの」


「なんだい?」


今度はこちらを振り向いてくれた。


シワが刻まれた、いまにも死んでしまいそうな、ヨボヨボの、おじいさんヤギだった。


「むなしく、ならないんですか?」


「ならないよ」


「だって、ずっとひとりなんでしょう?」


「いいや。この野原はわたしの友達だから、ちっともさびしくないさ」


その目はもはやほとんど開いておらず、どこか遠くの空を見つめているようだった。


「あなたが種子を1つ植えるたびに、100、いやもっと多くの草花たちが食べられているかもしれないんですよ」


「そうかもしれないね」


「それでも、続けるんですか」


「ああ。それでも続ける」


彼の目が、少しだけ見えた。


まっすぐで、うつくしい、瞳だった。


ぼくは、ごくりとつばを飲み込んだ。


「どうして?」


聴きたかった。その意味を。


根っこを。


動機を。





・・・長い、そして深い、沈黙があった。


白ヤギはジッと、こちらを凝視した。








気味が悪くなってきたぼくは、住処すみかに帰ろうと、きびすを返した。


その時。


「わたしがいなくなったら、この野原を、誰が想うんだい」


背後から声がした。


白ヤギがぽつりと、独り言のように、しかしはっきりとした口調で、教えてくれたのだ。


「・・・」


ぼくは、声を発することができなかった。


なぜだか分からないけれど、自分はこの場で声を出していいような存在ではないのだ、と思った。


(誰も、いない)


心の中でつぶやいた。


「居ないだろう?」


ぼくの心を読んだかのように、白ヤギはつぶやいた。


すこしだけ、哀しそうな声だった。


(その通りだ)


(草食動物たちは自らの腹を満たすことしか考えていない)


(そしてぼくも、その中の一匹ひとりだ)


まだ、声が出ない。


「だからだよ」


静かにそう締めくくって、老いた白いヤギは、また種子を植え始めた。


ぼくは、何一つ、言葉にできなかった。





季節が巡った。


白ヤギが死んだらしい、と、風の噂で耳にした。


ぼくは、一緒に種子を植えなかったことを、後悔した。


後悔はしたが、涙は流れなかった。流せなかった。流さなかった。


流すに値するようなものを、


ぼくは持っていなかった。


交わした言葉が、少なかったからかもしれない。





それから6回太陽が昇っては沈み、7度目の夕方。


ぼくは彼と話した、 野原の真ん中に行ってみた。


そこには、一輪のたんぽぽと、一枚の木片が置かれていた。


木片には、こう刻まれていた。


『キミに手紙がたくさん届くと思う。みんな、キミのために書いた手紙だ。どうか、大切に味わって欲しい』


キミ、がぼくだとは到底思えなかった。


共有できた時間が、あまりにも短かったから。


しかし、翌日から、カラスの配達員さんが、ぼくに手紙を届けるようになった。





毎朝だ。





その手紙は、いまもずっと、途切れることなく、続いている。


白ヤギの手紙を、食べ続けている。







***********







あれから、何百通もの手紙を食べてきた。


それでもなお、手紙は続いた。


ぼくは何故だかもう一度、あの場所を訪ねなければならないという思いに駆られた。


すぐに行ってみた。


すると多くの草食動物たちが、種子を、草木を、荒れた野原に植えている光景が目に入ってきた。


彼らは、白ヤギの死後、手紙をもらった草食動物たちだった。


皆、白ヤギに声をかけたことのあるメンバーだという。


「白ヤギさんは死んでしまったけれど、我々がその遺志を継ぐつもりだよ」


リーダーのヒツジは、そう言った。


ぼくは疑問が浮かび、ヒツジに聞いてみた。


「あの木片には『手紙を食べてほしい』とあったけど、きみたちは読んだの?」


そう言うと、ヒツジは「何を言ってるんだキミは」と言いたげな表情をした。


「『味わう』なんだから、「深く読み込んでほしい」って意味だろう」


「・・・あ、確かにそうだね」


盲点だった。草食動物なんだから、紙を味わうと言えば食べることだと思い込んでいた。


ぼくは恥ずかしくなって、訝しげにこちらをうかがうヒツジの前からそそくさと逃げ帰った。





とても長く、悩んだ。


その間にまた3通の手紙が届いた。


食べるべきか、読むべきか、悩んだ。


ぼくはどうしても、食べることが間違いだとは思えなかった。


4日目の朝、ぼくは、最初に届いた手紙を、




開けた。







『やあ、黒いヤギのキミ。その節はどうもありがとう。


さて、キミはこの手紙を何通目に、食べずに開いて読んだのかな。


もし一通目に開いてしまったのなら、君は今すぐこの手紙を閉じ、燃やし、何も考えずに、野原に種子を植えにいってほしい。


しかし、もしキミが何通もの手紙を食べ続け、今日になってようやく開けたのだとしたら。


そんな愚直でまっすぐなヤギだったのだとしたら。


残念ながら、キミは私の後継者だ。




友も、夢も、家族も、全てを投げ捨てて種子を植え続けた、愚かな白ヤギの後継者だ。




きっとキミは、この手紙を読んだあと、種子を植えに行くのだろうね。


でも、少しだけ待ってほしい。


すぐには動かず、

もっと合理的に、

今までより遥かに効率よく植える方法を考えて、

その方法を整えて、

練り上げて、

周囲の動物に相談して、

私よりももっと効果的な手段で、


ただ純粋に野原のためだけに、


種子を植えてほしいんだ。





キミは私とは違う。


しかし今まで声をかけてきた誰よりも、私に似ている。


だからキミは必ず、このだだっ広い野原にひしめく草花を、砂漠という未来から、守り抜くことができるだろう。


お願いだ。


キミのやり方で、

キミが学んできたもので、

キミが育ってきた環境で、


キミが培ってきた最善の方法を、


ただ、平らな原っぱのために、草原にひしめく一本いっぽんの草花たちのためだけに、使ってほしいんだ。


私はもうすぐ死ぬ。


だから、キミに託すしかない。


頼んだよ


白ヤギより』















白ヤギさん。













ぼくは、あなたのように、なれるだろうか。












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白ヤギさんからの手紙 無記名 @nishishikimukina

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