第9話もうそろそろいいんじゃないか

激痛の中で救急車を呼びたいという気持ちと明日の現場は決まってるしやらなきゃなという気持ちとごちゃ混ぜになりながら、しかし寝てるうちに治るだろうと思いながら朝を迎えた。ちょっとはマシになった感があったが重く張った胃の周辺を鉛のような物体が這いずってるような感覚はほぼ一日続いた。現場から帰宅後、さすがに酒は飲めなかった。メシも食えなかった。本当なら病院に行かなければならないが、いやー怖くて行かなかった。何を言われるかわからない、それが怖い。

時間が経つとともに腹痛はかなりマシにはなったがお粥をほんのちょっと口にしただけで寝ることにした。

オレは10代後半の頃は別に長生きしたいとは思わなかった。27歳で死んでも構わなかったがバンドにのめり込んで死ぬなんて忘れていた。32歳で死んでもいいとも思っていたがその頃には結婚もして子供もできた。そして40代半ばに入り、元々破滅志向だったオレにそれまでのツケが回ってきたと思った。実は32歳の時、生まれて初めて自治体のやっている健康診断を受けた。その時医者の言葉は「このままの調子で酒を飲み続けているとあと10年であんた死ぬよ」だった。

オレは心の中で「んなわけねーだろ、脅しやがってクソが」っていう思いと、死への恐怖というものをほんのわずかだが脳裏に刻まれた感じがした。しかしオレは家族のことより子供の将来よりアルコールを絶対優先で飲み続けてきた。

我慢強いオレの体が限界を感じ悲鳴をあげたこの時、父子家庭であり娘2人はまだ中学生であり、心底「倒れたくない、死んじゃいけない」と思った。

アルコールを飲まなかった日はこの約20年間で一度もない。大なり小なり常にアルコールが体の一部のように体内を巡っていたのだ。それが今夜は一滴も摂取しないまま床についたのだが、これがまた一向に眠れない。寝るどころか逆に頭の中が冴えてきてとにかく寝れない。真っ暗な部屋の中で布団をかぶりとうとう朝を迎えた。特に眠いという気分もなくそのまま仕事に行った。仕事をしている間も眠くならず疲れも感じなかった。3日くらいたつと手の震えもなくなった。現場での細かい作業やドライバーで小さなビスをしめたりする事など前までは一苦労だったが震えも手足のつりもなくなった。しかし不眠の状態は2週間くらい続いた。ウトウトし始めるとまるで頭の中にもう一人誰かがいるように眠りに入る瞬間を狙って「ダメ!ダメ!寝るな!いつもの焼酎は!?」とナタか何かで入眠を遮断するかのように邪魔してくるのだ。依存からの脱却は闘いしかない。"自分との闘い”それだけだ。逃げたらアウト。こんな単純なことが一番厄介だ。

飲酒欲求のアイドリング状態だった脳も徐々に平静さを取り戻し自然と眠くなるようになったが、普段の生活の中で酒がないというのは味気ないものだ。

仕事から帰宅して酒を飲むことで気持ちの切り替えができていたのにそれがない。家族の記念日やクリスマスや正月などイベント事もしっくりこない。常に頭の片隅に酒への渇望感があった。体調も万全となっている状態ならなおさらだ。断酒して1年と半年ほど経過した正月、新しい年を迎えるとともに「もうそろそろいいんじゃないか」という気持ちになった。「毎日飲むのをやめてこれからは週末に軽く飲む程度にしよう」と自分に言い聞かせスーパーで食材と一緒にいつもの焼酎ペットボトル4ℓを買った。帰宅後さっそくロックにして口にもっていった。特段、感動の味わいがあるでもなくいつもの日常の一端という感じだ。焼酎ロックがじんわりと五臓六腑に染み渡っていく。「よし、これからは週末に一杯半だけ飲むことにしよう」とそのペースを守っていける根拠のない自信があった。


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