第1話グルグルコンクリートジャングル・デビュー
俗にいう中2病を約30年以上ひきずりながら生きてるオレ。いわゆる中高年だよ、オレ。にも拘らず「オレはまわりの連中とは違うんだ」「世間のヤツラはみんなオレの事を異端呼ばわりしやがって」とか「誰もオレのことをわかってくれない、ならば革命を起こしてこの腐った社会をぶっ壊してやる!」なんつって爆弾でもなんでもいいからテロ事件の一つでも起こす勇気も行動もないまま、ただ沸々と自分と現代社会のハザマでもがき苦しみながらこのコンクリートジャングルでグルグルしている。
たださあ、人生っていうモノは節目みたいなのがあって、その過程において悟りというんですかね、それによって人間の年輪を重ねた風格というか成長の証というかそういうオーラが体から自然と出てきてもいい年ごろ(50歳だかんね)なんだけど
「あの人ヤバっ!」「キモっ!」的なオーラしか出していないじゃないか!
人格形成ってものは親からの遺伝が半分と幼少期からの育ち方や家庭環境で大体決まる感じだが、それプラス一番デリケートな時期である思春期あたりの日々の生活環境でその人の終末までの生き方が決まってしまうんではないかと思う。
オレが生まれたのは、親父が49歳、おふくろが38歳の時でまあ高齢出産だから、真綿で包んで大事に大事に育てられたらしい。実は親父は20代の頃に一度所帯を持っていて4人子供がいたらしいがだんだんと夫婦仲が悪くなりその頃おふくろと知り合い(まあ不倫関係ってやつか)今にいたると。その辺は人間生きてりゃいろいろあるわけだからとやかく言うつもりはない。
幼少期の記憶は断片的にしか思い出せないが、まあ甘やかされたでしょう、一人っ子だしね。ただ住んでた場所は東京の下町でまわりの環境も決して裕福ではないがその分気負いがない、ざっくばらんな生活環境だったかんじがする。近所に子供もいっぱいたし毎日楽しかった印象がある。ただ気弱で内向的な性格のくせに異様に自己顕示欲が強く自意識過剰気味なのは生まれ持った本質なんだろうな。
例えば自分の思い通りになるような人間と遊ぶときはとても積極的になれるが遊ぶ相手が二人以上の複数人になった場合で自分に意にそぐわないヤツが一人いただけでもうオレの心の中は暗雲立ち込め自閉しながらその場をやり過ごすか、憤慨して場の空気をぶち壊してとっとと帰るかである。または複数人で一緒にいて自分が知らない話題を他の人間同士で楽しそうにしゃべっている場面に出くわすと、もう大変!やはり自閉か憤慨かである。普通、自然とその場の空気に溶け込んでいくでしょ。イヤなヤツがいても他のヤツを味方につけたりしてうまく乗り切ったり、自分の知らない話で盛り上がってたら「エー何々?」「へ―知らなかったなあ」とかなんとか言って場の空気を壊さずその後も仲良く最後に「バイバーイ、またねー!」で平穏無事で終わるじゃないか。それができないオレは「ワガママ」「自分勝手」「独り善がり」「ひねくれもの」つまり、どーしょーもねえーヤツなのである。原因はなんなのかと考えてみると元々の遺伝と家庭環境だったのではないかと思う。多分ウチの両親どちらかもしくはどっちもそんな性格でしかもオレの場合、年いって生まれた一人っ子だったから自分で何かをやろうとする前に親がやってくれる。例えば欲しいモノがあれば自分で必死にお小遣い貯めてとか家の手伝いするとか欲しいモノを手に入れる為にはそれなりの苦労も伴うという経験がない。食事でも魚の骨一本ですら取り除いてくれるし自分で何もしなくても全て揃えられてあるから自活のジの字もない、まさにオートマチックなのだ。
なにか悪い事して怒られるとか注意されるとか数えるほどしかない。だって、悪い事や注意される事をしたくてもできない生活環境だからだ。
そんな幼少期だから「努力」とか「根性」とか「挑戦」はないのである。
他人からすれば羨ましいゼイタクに見えるオレの"フツウ"の環境はいざ外部との接触によってアレルギーを起こし負の遺産を次々と生み出していくのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます