相川美織

大野葉子

相川美織

合田あいださーん、久しぶりだねー。」

「あ、佐藤さとうさん、変わってないねー。今日はありがとう、これ会費です。」

 志帆しほは七年ぶりに会うかつてのクラスメートの名前をすぐに思い出せたことにほっとしつつ揃えた千円札を七枚、クラス会受付係の佐藤に手渡した。

「あ、ぴったりだね、助かるよー。どうぞ入ってねー。」

 促されて宴会場へと歩を進めると、会場内では元クラスメートたちがすでにいくつかのグループに分かれて談笑しており、会場内は華やかな空気で満たされている。

 かつて制服の女子高生だった面々は皆華やかな装いに身を包み顔にはしっかり化粧もされていて何か落ち着かない、むず痒いような心地がする。

 それでも、ひとつひとつの顔をしっかり見ればそこには高校時代の面影がある。それに当時とまったく異なるグループで話し込んでいるということもないようだ。

 服装こそ制服ではないが、かつて毎日教室で眺めていた組み合わせが目の前に再現されていて、しかもグループをよく観察すると、当時登校時間が早かった人から会場入りしているらしいこともわかり、七年経っても高校の続きの時間が今ここにあることに、志帆は知らず口元をほころばせた。


 さて、志帆が当時属していたグループのメンバーは室内には見当たらない。

 本日は高三のクラス会だが、当時の志帆は構成員たった三人の小さなグループに属していた。

 その時の二人とは今でも交流を続けているが、二人とも今日は欠席である。理由がそれぞれ仕事と家庭なのでこれは仕方がない。

 親しい人間が来ないのであれば志帆も欠席にしても良かったのだが、その二人以外とまるで交流がなかったわけでなし、たまには懐かしい空気に浸りたい気がしたので志帆は出席することにした。

 行けば話す相手は見つかるだろうとも思ったので。


 どのグループに声をかけようか考えていると盆を持ったスタッフにウエルカムドリンクを勧められた。とりあえずピーチフィズをもらってみた。

 グラスに一口、口をつけ、甘さや香りを確かめると、志帆はターゲットを壁際のグループに決めた。近づいていくと、志帆が声をかけるより先にグループの一人がこちらに気づいて声をかけてくれた。


「あ、合田さーん!うわ久しぶりだねー!うわ変わんなーい!うわでもワンピ可愛いー!」

「あはは、ありがとう~。林田はやしださんもワンピ可愛いねー。結城ゆうきさんも川嶋かわしまさんも久しぶりー。」

「久しぶりだねー。」

「あれ、今日はお仲間まだ来てないの?」

「そうなの、今日は仕事とか育児とかで私だけなんだー。」

「えっ!早くも子育て中の子が!?うわ誰誰!?」

神尾かみおが先月男の子産んだんだよー。」

「うわ神尾さんかー!もう結婚して子供…うわー羨ましい!」

 林田はやたらと「うわ」を連発しながら自然に志帆を輪に入れてくれた。


 開宴を待つ間、お互いの近況や今この場にいない友人たちの近況などを語り合う。

(あれ?そういえば相川あいかわさんは?)

 卒業して初めてのクラス会とはいえそれぞれ様々な事情がある。来たくても来られなかった人も多いだろうが、このグループにいそうなのにこの場にいない人に思い当たった。

 別のグループに出張中かと会場内を見回してみてもその人は見つからない。

 志帆は林田に尋ねてみた。

「そういえば相川さんは?今日は来てないの?」

「ああ、早紀さきなら今シンガポールだって。海外赴任ってスゴイよね。」

「あ、そうなんだ。なんというか実に相川さんらしい…。」

 と、隣にいた結城が意外そうな顔をした。

「私、合田さんが気にしてるの、相川美織みおりさんのほうかと思っちゃった。」

「えっ。」

 今度は志帆のほうがびっくりする。今の今まで忘れていた名だったからだ。

 林田も似たような感覚だったのか、

「なんでまた美織さん?合田さんとそんなに親しかったっけ?」

「ううん、出席番号が私の前だっただけだよ。もちろん仲が悪かったわけでもないけど。」

「あれ、そうだっけ?仲が良かったような気がしちゃってた。」


 このクラスには相川姓の者が二人いた。

 一人は出席番号一番の相川早紀。

 明るく面倒見の良い姉御肌で成績優秀かつ俊足。コーラス部の部長でついでに料理も得意。

 志帆は一度だけ調理実習で相川早紀と同じ班になったことがあるが、彼女の仕切りで作られたデザートのカップケーキは絶品だった。一口ずつ交換した神尾が心底羨ましがっていたのが懐かしい。

 そして、もう一人の相川が出席番号二番の相川美織。

 色白のおっとりした少女だったがクラス内では影が薄く、一番印象に残っているのは冗談好きな教師に「二人目の相川 」または「二番目の相川」とからかわれたことだ。

 何をしても目立つ相川早紀がいたのでそのような評価になったのだろうが、よくよく考えてみるとクラスに同姓の目立つ生徒がいるのは偶然のことで相川美織としてはそんな風に呼ばれる筋合いはなかったはずだ。


 相川美織の名が挙がったことで「二番目の相川」の一件を思い出したのは志帆だけではなかったようで、川嶋がその件を口に出す。

「すごいよね、異名が『二番目の相川』ってさ。確かに出席番号二番だったけど今考えるとなかなか失礼。」

「言い出したのが教師ってのがまたなかなかだよね。」

「でも…。」

 志帆は相川美織のはにかんだ微笑みを思い出す。

「美織さん、あの異名を喜んでたんだよね。」

 志帆の言葉に皆が「ええーっ」と驚きとも呆れともつかない声をあげる。


「じゃあとい五は、相川。」

「先生、相川は二人います。」

 姓だけで指名されるとすかさず確認するのは常に早紀のほうだった。

「じゃあお前でいいや、相川。それで問六を二人目の相川ね。」

 二人目とは随分雑な指し方をするなあとその時志帆は少し呆れたのだが、ここで話が終わっていれば印象にも残らない事件だったに違いない。

 しかしこの教師は続けてさらりと暴言を吐いたのだ。

「そうなんだよなあ、相川は二人いるんだよ、このクラスは。言われれば思い出すんだけどさ。こう、並んで答え書いてるのを見ても、相川は『相川』って感じがするんだけどこっちはそんな感じがしないんだよな。やっぱり相川の第一人者は相川で、こっちは二番目の相川って感じしないか?」

「先生がそう思うのは個人の自由ですけど勝手にクラス全体を巻き込んで同意させようとしないでくださいよ。」

 呆れて窘めたのは誰だったか。さすがに早紀ではなかった気がする。

 そしてこのまま無神経な教師の失言という方向に進むのかと思いきや、志帆は見た。

 黒板の前の相川美織はこの時、にやっと笑っていたのだ。頬をほんのり赤く染めて、こらえきれないというように口元をゆるませて。


 その日の放課後、志帆は靴箱ので前でたまたま相川美織と行き合った。

 授業中のことが気になったので蒸し返すようで悪いかと思いつつも、好奇心もあって訊いてみたのだ。

「さっきの数学、嫌じゃなかった?」

 すると、相川美織は驚いたように目をしばたたかせてから、はにかむように笑ってこう言った。

「これがこのままあだ名になったら映画のキーマンみたいでかっこよすぎるなーって思って一人でニヤニヤしちゃってた。」


 志帆が思い出したエピソードを林田たちは知らなかったようだ。

「うわ美織さんってそんな面白いこと言う人だったの!?全然知らなかった!」

「なんかあまり誰かと一緒にいるイメージのない人だったよね。部活も進路も全然知らないし。」

「そんな本人が呼ばれたがってたなら合田さんが呼んであげれば良かったのに。」

「いや、あだ名にしては長いし、一人で呼ぶのはちょっと。」

 志帆が顔の前で手を横に振ると「そういえば」と結城が会場の一角を指差した。

「美織さん、卒アルにも『二番目の相川』って書いてた気がする。あそこに実物、置いてあるよね?」


 皆で卒業アルバムを確認しに思い出の品が置かれたコーナーに行くと、先客が卒業アルバムを覗き込んでいるところだった。

 その顔を覗き込むと…。


「二番目の相川さん!」


 二番目の相川こと相川美織は弾かれたように顔を上げて、

「びっくりしたあ…でも覚えていてくれて嬉しいなー…。」

 志帆の記憶と同じ、はにかんだような笑みを見せた。


 宴が始まり、一通りの挨拶も終わって歓談の時間。

 もともと所属していたグループの面子が誰もいない志帆は当然のように相川美織と雑談していた。

「今は何をしているの?」

「事務員なの。」

「忙しい?」

「ううん、わりと常に定時だから、そうでもないと思うな。」

「それは羨ましいなあ…。サクッと帰ったらジム行ったりしてるの?」

「あー…。」

 相川美織は少し言いよどんでから照れたように口を開いた。

「実は私、去年結婚して。家のことをやりたいからまっすぐ帰っちゃうんだ。」

「えええ!おめでとう!」

「ありがとう。」

 ふふふと微笑む相川美織はとても幸せそうで眩しいほどだ。

 しかし、結婚したということは、姓が変わってしまってすでに相川ではないのでは。

 先ほどあんなに盛り上がったのに残念だなあなどと勝手な感想を抱きながらも、志帆は問うてみた。

「じゃあ今は何さんなの?」

「あ、今の名前は相生あいおい美織です。」

 元・相川の相生美織はさらりと答えた後、澄ましたように付け加えた。

「だからね、残念ながらもう二番目の相川じゃないんだ。一番目の相生っていうのも名前順で無敵な感じがして、気に入っているの。」

 いたずらっぽく笑う相生美織は少女のように可愛らしくて、実はとても愉快な人なのだと、志帆は心に深く刻み付けた。

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