背を追う者

若槻 風亜

第1話

 固く握りしめ振りかぶった拳に纏うのは細い紫電。岩のような拳が豪速で振りぬかれると、彼の前にいた搭乗型の小型ロボットが玩具のように吹き飛んだ。水切りの石のように地面を跳ねたロボットは、ビルの壁にぶつかりようやくその動きを止める。凹んだボディにはまだ音を立て電光が踊っていた。

「真っ当に働かずに人から盗んで生計を立てようなどと言語道断。反省するといい」

 振りぬいたままの拳を引き、拳の主たる偉丈夫――ローマン・ハマートンは体勢を整える。間違いなく彼の注意はロボットの操縦士には聞こえていないのだが、低く安定感のある声はよく響き、周囲で状況を見守っていた市民達の耳と心を大いに打った。

「さすがローマン! ジクムントの英雄!」

「ありがとうローマンさーん」

 わっと湧き上がる歓声にローマンは少し戸惑ったように周囲を見回し、丁寧に頭を下げる。その様子にまた人々からは親しむ声が上がった。

「はっは、さすがの人気だねぇ」

 英雄と市民、という典型的な様子を横目に、肩甲骨ほどの長さの髪を首の後ろでまとめた美丈夫――黄伯彪こうはくひょうは、転がっているロボットに軽やかな身のこなしで飛び上がっていく。コックピットの扉の真上まで来ると、それを開けようとしゃがみ込んだ。しかし、すっかり歪んでしまっていて押しても引いても動かない。いや、機械的動作として開こうとはしているようなのだが、歪んでいるためうまく動けずまた元の位置に戻ってしまっているようだ。

「仕っ方ねぇな~っと」

 立ち上がると伯彪は膝が直角になる程度に足を上げ、そのままコックピットの扉に目掛けて踏み降ろす。鈍い大きな音を立てて扉が真下――ロボットの内部に落ちていった。同時に短い悲鳴が上がったが、その後の動きはない。一応の警戒しながら中を覗き込むと、落ちた扉の下で戦闘服を着た男が目を回している。手加減されていたとはいえ、あの剛拳を受けて意識があったとは、このロボット性能は確からしい。

 素直に感心しながら中に入ると、伯彪は男を担ぎ上げて再度外に出た。それとほぼ同時に、同僚たちが駆け寄ってくる。

「よぉ伯彪、そいつか? 今回の犯人」

「おお、そうらしい。なあ聞いてくれよ、こいつローマンの拳受けて起きてたんだぜ? そんだけの技術があんのにやることが泥棒とは世も末だねぇ」

 伯彪の感心と呆れをないまぜにした報告に、同僚たちも同じように「凄いのに馬鹿な奴だな」と同意を寄せた。

「一応技術部に報告しておくかー。人手が足らないとか言ってたもんな」

「うーん、とりあえず一旦裁判所に引き渡してからじゃないと団長が入団認めてくれなさそうだけどなぁ」

「ああ、そりゃ間違いない。元悪人でもいいけど罪はちゃんと償ってから来いが方針だからな」

 賑やかに雑談しながらも同僚たちは手際よく男を捕縛していく。仕事が終わった伯彪は転がったままのロボットの上で胡坐をかいた。視線が向く先にいるのは未だに市民たちに囲まれているローマンだ。

 伯彪たちが所属するのはジクムントという武装組織で、地域の安全を守るのが仕事である。役割としては別地域にある自警団や警察などとと同じだが、領主に活動を正式に認められているため活動は法的拘束力を持ち、直接の上位組織がいない分自由だ。ともすれば無法者の集まりとなりかねないが、そこは団長のカリスマと厳しいルールで取り締まられている。

 だが伯彪は知っていた。伯彪を含む多くの団員たちが力に溺れた行動を取らないのは、ある一つの共通の認識があるからだ、と。もちろん団長への信頼も規則を順守する自制心もあるが、何より、あの男を敵に回したくないからだ。

 ローマン・ハマートン。ジクムントが誇る最強の男。身長は二メートルを超え、全身は硬い筋肉で武装されているくせに迅雷の如き速度で動く、堅物の英雄。正義を胸に燃やし、常に己を律する彼は、たとえかつての仲間だろうと悪に堕ちれば容赦なくその拳で打ち抜くだろう。

「怖いねぇ」

 くっと口元を歪め、楽し気に喉を揺らす伯彪。その後頭部を誰かが軽く叩いた。近付いてきている人物に気付いていた伯彪は特に驚きもせず顔を上げ相手を見上げる。

「何だよアルバン」

 そこにいたのはふよふよと浮かんでいる十歳ほどの小さな少年――アルバン・マロ。可愛らしい顔立ちなのに、表情には厳しさしかない。

「何だよじゃないわ! お主まーた手を抜いたな。お主ならこの現場もっと早く辿り着けただろう!」

 甲高い声で怒鳴られ、伯彪は両手で耳を塞いだ。

「全力出したって。流石に人死に出そうな状況で慌てないほど冷血漢じゃないぜ。それともそう見える?」

 心外そうに問えば、「見えるわけないだろう!」とまた叩かれる。今は自分が叩かれる状況なのだろうかとも思ったが、別に痛くはないので放っておいた。

「儂が言っておるのはお主の覇気のなさじゃ。その若さで名実ともに組織の前線団員の二番手だというのに、ローマンを追い抜こう、ローマンと競おうという意思が感じられん。向上心を持たんか」

 ぺしぺしと何度も何度も叩かれ、痛くはないがいい加減鬱陶しくなり、伯彪はアルバンの首根っこを掴んで膝の上に抱え込んだ。子供扱いするなと暴れられたが、はいはいと流して抱え続けていると、諦めたのか舌打ちとともに大人しくなる。その彼の頭をポンと叩き、伯彪は再びローマンと周囲の人波に視線を向けた。

「あのなー、アルバン。お前勘違いしてるよ」

「勘違い?」

 不機嫌そうな顔で睨み上げられるが、伯彪は穏やかに微笑んでいる。

「俺はね、全力なんだよ。いつでもちゃんと全力でローマンに挑んでるし、いつでもあの人を超えようと思ってる。俺の修行の量知ってるだろ?」

 問えば、アルバンは難しい顔で「まあな」と答えた。アルバンも、伯彪がいつでも努力しているのは知っている。知っているのだが。

「だが儂が言っているのは精神的な話であってだな!」

「わーかってるって。でも、そっちだって俺はいつでも本気だよ。誰より強くありたいって気持ちはいつでも変わらないさ。だからこんだけ人がいるのに俺は二番になれて、二番でい続けられてる」

 ジクムントの組織構成員は日に日に増えており、減る人数もそれなりにいるが、それよりも増える人数の方が多い。中には新人とは思えない活躍をする者もいるし、古参の者たちだって皆強者ばかりだ。それでありながら、不動の二位でいられる。これは強い意思なくして出来ることではない。

「だがな、だが」

 アルバンは何か言いたげに口ごもった。言いたいことはきっと一貫しているのだが、彼の感覚と伯彪の主張の信頼性が彼の中で喧嘩してしまっているのだろう。

 そんなアルバンの頭をもう一度撫で、伯彪は心の中で彼に謝った。

 伯彪がローマンを超えようという意思があるのは本当。そのために修行を続けているのも本当。だが、アルバンが「伯彪が本気じゃない」と思ってしまう理由にも、伯彪には心当たりがあった。

(中々伝わらないんだよなぁ、これ)

 どれだけ挑んでも敵わない相手。そういう相手に対して抱く感情は、あるいは憧れ、あるいは悔しさ、あるいは諦念ていねんであることだろう。一方、伯彪がローマンに対して抱く最大の感情は「嬉しい」なのだ。

 全力で追いかけて、それでもなお追いつかないの背中。強くなったと思い挑む度この指はくうを掴む。追いすがる自分の本気を、それ以上の力で振り払う、止め処なく進み続ける英雄の存在が、どうしようもなく心を躍らせた。勝つことは当然嬉しいが、ローマンに対しては勝てないこともまた嬉しいのだ。彼を追い続ける限り、伯彪は自分がまだまだ強くなれると信じているから。

(だからこの場所は譲れない)

 静かな闘志を細めた双眸に宿す伯彪の顔から、いつも浮かべている笑みが消えた。

 他者を追いつかせないほど全力でひた走る、勇敢で一途で懸命な英雄に、最も近く、最も遠いこの席。あの背中を見続けることが出来る二番手が、きっと伯彪にとっては最大の価値がある。この場所を奪おうとする相手がいるのなら、全力で蹴落とそう。英雄に挑むため、英雄に勝つため、英雄を超えるため、この場所は、必ず守り通すのだ。

 永遠の二番手と、口さがない者は笑う。結構だ、と伯彪は思っていた。それはローマンに最も近い挑戦者の称号だ。

「伯彪?」

 雰囲気が変わったことに気付いたのかアルバンが顔を上げてくる。それに応えるように下に向けた伯彪の顔には、もういつもの笑顔が戻っていた。

「何でもね。……まあ、大丈夫だよアルバン、俺はいつかきっと勝つから。だから今は」

 勢いよく立ち上がり、伯彪はアルバンを思い切り空に向かって持ち上げる。唐突な行動にアルバンからは悲鳴が上がった。

「せいぜい全力で鍛えて全力で楽しく挑むさ。あの追いつかせてくれないでっかい背中に」

 にっと歯を見せて笑うと、落ち着いたらしいアルバンからも呆れたような笑顔が落とされる。

「そうか、ならお主の言葉を信じるとしよう。――ところで」

 ふわりとアルバンが伯彪の腕から浮き上がった。空中で伯彪と向き合ったアルバンは、また厳しい表情を浮かべている。

「いきなり持ち上げるなと何度言ったら分かるのだお主はーーーっ!」

 先ほどよりも激しく叩かれ、伯彪は大笑いしながらロボットから飛び降りた。逃げ始める伯彪を、アルバンは怒鳴りながら追いかける。道中声をかけてくるファンたちに返事をしながら、二人の追いかけっこはしばらく続くのであった。



 *    *   *



 ふっ、と小さく笑ったローマンに、同僚が何事かを尋ねる。

「いや、相変わらず熱い視線を送ってくれるな、と思っただけだ」

 それがファンのことだと思った同僚は「そうだな」と笑って返した。ローマンも訂正はしない。真後ろまで迫っている若き虎の耽々たんたんたる眼差しは、今は自分だけが知っていればいい、と。




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背を追う者 若槻 風亜 @Fua_W

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