相思《きせき》で織り成す奇遇
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一目惚れである。
趣味の薬草集めを終え、山手を下っている道すがら出逢った男はカラスの様に艶やかな黒い髪を長く垂らし、黒い衣を身に纏っていたが、衣はところどころ破けており、血が滲んでいる。
ざっくり言うと“手負い”であった。其れはどう見ても“異様”でしかない。日常と非日常が交わるこの場面で、奈月はぽかんと開けたままの口から「怪我してる」とだけ呟いた。
大体にして、物事を深く考えるタイプではない。
薬草を詰め込んだ鞄を開けると「近くに河があるから、そこで治療しましょ」男に語り掛けたのだ。
胆が据わっていると言えば聞こえは良い。
相手が賊であったら?そんな事は考えもしない。
何度でも言うが、一目惚れなのだ。
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「えっ、待って蒼庵くん、そんな」
「良いから捨てて来い」
「どうして!」
「
「ホヅミって?」
「だからな、知らねーモンを拾って来んなっつってんだよ」
淡々と語る男は、奈月の後ろに佇む黒いカラスを一瞥する。
「何でまた、アンタなんだろうな」
洩れる言葉には失笑が交じった。
カラスは黙した侭、入口から動かない。
「済まねーな。着いて来たからには、話して貰うぜ。俺が関わらなかった間の事」
「入れよ」
蒼庵が促すと、漸くカラスは足許の敷居を跨いだ。
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風呂を借り、出で立ちも世間に紛れやすい衣姿へと成り変わり…本人に実感は無いのだが、此の温ま湯の様な温度が少しだけ、気に障る。
太陽の光。
子供達の笑い声。
(此処は………)
「やっと抜けられたんだな」
何かを思い出そうとした間合いで、蒼庵に声を掛けられ振り向いた。
「………」
「アンタは絶対、こっち側に戻って来ると思ってた」
「………君は」
「死んだよ、
「……そうか」
「どうなったんだよ、アンタの
「………奪われた」
「……そうかい」
手渡されたのは、またしても“生温い”温度。
故郷には無い、僅かに苦味を含んだ液体は緑茶である。
見ると僅かに、“濁っている”。
一口、二口と喉に染み込む感覚が、ぼんやり霞んだ記憶を少しずつ鮮明に戻していく様を静かに捉えながら、咲京は言葉を押し出した。
「…止められないのか、此の破壊の連鎖は」
「今の侭じゃ、難しいよな。何せ相手は此の世界を壊す権利を与えられた、神サマってんだから。それに」
「世界の安寧を守れない存在が…神である筈が無い」
「…まぁ、同感だわ」
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鋭い眼光から滲む闘志が、無数の光の矢に貫かれ瞬く間に失われていくのを、蒼庵は
此の世界は残酷だった。
あらゆる存在を否定する破壊の神の手に因り、次々と島や街が破壊されていく。
原因を絶とうにも、其の光の矢が何処から、いつ降り注ぎ大地を人を…万物を破壊するのか判らない。
無条件の裁きに抵抗する方法は多くない上に、実行できる人数も限られている。
紅蓮は其の数少ない“英雄”の一人だった。
有志を集め育て、やがて一国を築こうとしていた折に“裁きを受けた”。
父の功績は凄まじい。
物言わぬ裁きにも意志がある事を証明したのだ。
蒼庵は受け継いだ一国を切り分け、紅蓮が己に遺した知恵を全て与えた上で離散させた。
何処ぞが欠けても継承を途絶えさせぬようにと言い含め、己は常に破壊の被害が及ぶ地に駆け付け復興作業に従事している。
彼も今や、英雄と呼ばれていた。
決して素行が良い訳ではないので、事業に着手してすぐは火事場泥棒に間違えられたり、追い返されたりもしたのだが、紅蓮を知る者達が何とか忘れ形見である噂を広め、支えてくれている。
感謝しか無かった。
父の分まで、と云う気持ちで今を生きている。
───────
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隣を歩く男がまた、幻想を絵に描いた様な非現実を、見てきたと言わんばかり、嬉しそうに語るから。
確かに足は動く方だ。頼みもしないのに成果を挙げて来るので、腹の奥がどうにも擽られてしまう。頭の中は一体どんな構造をしているのか。覗けるものならそうしてみたい所であるが、話の続きが聞けなくなってしまっては本末転倒だ。気を取り直して尋ねる。
「浮くって言うんですか?あの大きな島が」
「理論上はなっ。」
「はははっ。其れは是非とも、見てみたいもんですねえ!」
「“裁き”の跡地に残る光の
「仮に本当に浮いたとして、地上に残る人々への影響は無いんでしょうか。あの立地では確実に地表が海に変わってしまいますから、周辺にある港町に住む石頭連中を根気強~く説得しなければなりませんね。草を抜くのとは訳が違います、相当な動力が要るでしょうし…其れに」
「おおっ!無理って言わねーんだな!」
「僕を誰だとお思いで?此の世に二人とは産まれない変態学者だって皆言ってます。天才過ぎるからってす~ぐ悪い様に揶揄する石頭どもは滅んで然るべきだと僕は思っていますが、そう上手く行かないのがこの世界。きっと次回の裁きも狙われるのは天才肌の僕ら側です。だから護らなければなりません。何としても先ずは己が身を!道理で無理なら摂理に問う、其れでも無理なら、新しく作るしかありませんよ。動かせる道をね!!」
「
確かめるまでもないのだ。
この男の隣に在れば、“見る”はいつでも己が役目であった。不満は無い。ただひとつ、金回りを確保する術を持たなかったので、此処に身を寄せているに過ぎない。
面倒なのだ。齷齪と稼ぐ暇があるのなら、ひとつでも多くの
「所で、紅蓮はまだ
「今度はまたデカイトコと
「文武両道、素晴らしいですねえ。彼の統治は確実に世の中の流れを変える。弱き者を助ける救済力、貪る者を見抜く判断力、そして自ずから剣を振るう行動力。正しく王の器!」
「ソレだけじゃねーからな、アイツが動く理由」
「ええ、含めて彼も確実にこっち側の人間です。あああ~!!はやく無事に帰って来て~~~!!紅蓮に読んで頂きたい論文がもう!こんなに溜まってしまっているのですから!!」
「よく書くよな、お前も」
「僕の論文を読める数少ない夕霧の民…まさか生きて逢えるなんて…!!」
「その生きれる期間を延ばす為にも、今ここで俺達が踏ん張らなねーとな」
「はい!!!」
この世界に生きて、愼は幸せだと自負している。
隣で嫌とも言わず己の足となり実地調査や生計の一切を引き受けてくれるこの男との出逢いも、紅蓮との出逢いも、己を良く思わない連中との出逢いでさえ、愼は
其れが己の今生である限り、天人と言われる賢者に託す歴史もすべてでなければならない。何を欠けさせても、後を生きる者に伝える真実が崩れてしまう。
愼が記す論文とは、生涯を捧げ描く、滅びを下す神や翻弄される民、すべてに背き新たな歴史を築く為の、壮絶な戦いの記録なのである。
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「あ~~~ん!!今日も売り切れてるじゃないの~~~!!私のバニラアイスちゃ~~~ん!!!」
巷で流行り始めたスイーツの争奪戦に、今日も一歩及ばず敗けてしまったのだ。
「店先で騒ぐな、御巫」
「だってだって
「スミマセンね御巫サン、ボクの仕事が遅いばっかりに…今日も大好きなバニラアイスちゃんに逢えませんでしたね…」
「やだ、いつも通り“ルビー”って呼んで下さいよぅ!一緒にお仕事してるんです、蒼庵サマの所為なワケ無いじゃないですか~!!」
慌てて蒼庵の傍に戻る。
この日、一行はいつもの復興事業を離れていた。あと一歩と云う所で国を崩された父の遺言を守り、蒼庵は国の礎となる予定であった『護衛騎士同盟』と云う機関をも丸ごと引き継ぎ、仲介役をしている。だが、今日は其の商談に難があった。要するに間に合う筈の合流に遅れてしまったのだ。
「優しいねルビーちゃんは。依頼人のおっさん達に聞かせてやりたいわ」
「あんなに難しいお話、纏まる方が不思議ですよ!仲介人に護衛やれだなんて…組織を疎かにしろと言ってる様なものです!!」
「まぁ、出来る範囲で何でもやりますって言っちまってるからな。」
「限度がありますって!!蒼庵サマこそ、お優し過ぎです!色男!!好き!!!」
訪れた宿で、テキパキと蒼庵の身の回りの世話を終わらせて紅茶を汲む。
「今日もあったか~いお茶、ありがとな」
「キュウッ…!そ、そそ、その笑顔を見られるだけで私もう、さっきのアイスクリームちゃんの悪夢、あっという間に忘れられます…!!」
妙な擬音を挟みながら。
震える手で紅茶を差し出す瑠美の顔は、林檎の様に赤く染まっていた。裁きを受け壊滅状態となった集落で、たった一人生き残った自分に差し伸べられた手のあたたかさは、何物にも変え難い“恩”である。
返しても返しても溢れ続ける想いは、いつしか燃える様な恋心と成って心を擽っていた。
勿論、この想いは蒼庵本人にも伝わっている。後は蒼庵がいつ決めるのか、其れだけを誰もが待っているのだが、何せ此の忙しさだ、もう少し落ち着いてから返事をしたいと断られてしまった。瑠美は三日三晩泣き明かす。其の間にも世の中は止まぬ裁きに身を心を打ち崩されていった。誰もが着の身着のままに生活をしており、とても他者を祝福しようと云う雰囲気ではない。今日も身形の違いでならず者から略奪を受けそうになったのを天馬に助けられたばかりである。
時代の流れを慮って動く蒼庵の背中はまだまだ遠く、其の視線はいつも“祝福ある”未来を見ている。彼の最終目標は裁きの出所を掴む事だ。慈しみの時間が何かの束の間であってはいけない。生まれて来る命が、危険に晒される様な世の中であってはいけない。
先ずは父の目指した“平穏な世界”を取り戻す事が、蒼庵の使命であり宿命である。自身の幸せは其れが成就した時、皆で分かち合いたいと考えているのだ。感銘を受け再び三日泣き明かした瑠美は、愛する者の壮大で最も現実的な生き方を追う事を決めた。
今日の距離感は言わば、お互いが一線を越えない為の
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出会ったのはもう随分昔で、付かず離れずを保ち続けているから、彼の口数は今日も最低限に留められたままだ。この
「助けられるのが当たり前だと思うなよ」
「絡むな絡むな」
「お前達には自覚が足りない」
「もー、良いじゃねえか。其れを助けてくのが俺らの役目なんだろ」
「お前は民に甘過ぎる」
民を庇い、逆に責め句を受けるはめになった蒼庵はそんな天馬を宥めつつ、「気にすんなよ」と民にはお決まりの愛想笑いを振り撒く。
誰を責めても己の肩に乗る運命の重さが変わる事は無い。切り離されたのなら切り離されたまま、歩み寄れる時間を待とうというのが蒼庵の性分であるから、天馬は代わりにこの時間を押し進めているのだ。
時代が進み続け、溝ばかりが深まりつつあった中 、英雄と民の間に設けられたこの日常茶飯事の様なやり取りはしかし、後世にも多大な良い影響をもたらしたことも記述しておきたい。同じ時代に生きているからこそ時には衝突もしてしまうが、この縁を繋いだのは間違い無く双方自身が歩み寄ったという事実そのものに他ならないから。
天馬は憶えている。
蒼庵がどんな経緯で英雄を演じ続ける事に成ったのか。人間であった頃の感覚を今は半分も持って来ていないが、相棒にするくらいであるから彼も天馬と同じく元の性格は決して穏やかな方ではない。それが災いしたのかどうかは最早知る由も無い事だが、新しく帰る場所に成るかもしれなかった国を、新しく築き上げた家庭ごと最悪の形で喪った。
止まぬ雨を浴び続ける様な後悔を押し殺しながら英雄に成った。柄ではないと断り続けた契約を受けて初めて蒼庵は漸く自分の
英雄契約は当時、“計三百年を三分割する事で二度の
その為、己の契約を施行するにあたり因果の精算が発生した。結果的に彼に与えられた初年度の期間は雀の涙ほどしか残されてはいなかった。遣り残した事が山程ある状態で天馬から期限を知らされる。この時にもう二度と自分事を優先しないと決めた。新たに得た二度目の時間は出来得る限りの無駄を省いて過ごしているのだ。
「其れでも放っておけないものはある」
──此れは天馬にしか知らされていない蒼庵の等身大の本音。先日は両腕でも抱えきれない程の真っ赤な薔薇の花束を恋人に贈りたいと依頼して来た。英雄であるから、民の見える所では素っ気ない振りをするが、一度喪ったものであるからこそ今度は全てを鮮やかなまま、流れのままに護り抜きたいとも、思っている。
其れは天馬にとっても同じである。
───────
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