悔
@hatomugi_x
悔
「何か言い残す事はあるか?」
目の前の室長がそう呟く。禿げ上がった頭に人相の悪い面構え、服の上からでも分かるガタイの良さ。結局最初から最後まで、こいつがお仲間じゃない事に違和感しかなかった。俺なんかよりよっぽど犯罪者らしいのに。
「別に無…いや、うーん…。」
八畳ほどの部屋に強面のおっさんと二人きり。最後の思い出がこうも悲惨だとあの世で知り合いに会った時確実に笑われてしまう。それに、そもそも俺はこの男が嫌いだ。はいそうですと頷く気にもなれない。
「担当と話をさせてください。いいですよね?最期くらい。」
「お前の担当というと…
「そうそう、片桐さん。外に居るんですよね?丁度いいじゃないですか。」
この薄っぺらい作り笑いを浮かべるのも今日で最後かと思うと、名残惜しい気がしなくもない。こいつには何度も助けられた。
模範囚を演じるのには骨が折れたが、その分やり甲斐はあった。俺だって人生最後の生活が辛気臭いものになるのは我慢ならない。その甲斐あってか数人の刑務官とも仲良くなり、ここでの生活はそれなりに楽しかった。
そして何より、こういう時に無理が利くから優等生は良い。
「…仕方ないか。俺も、お前と奴との関係を知らない訳じゃない。待ってろ、呼んできてやる。」
まさかこんなにもすんなり要望が通るとは思ってもなかったので、少し驚く。"嫌い"から"少し嫌い"に格上げしていいかもしれない。
「本当ですか…ありがとうございます!」
「片桐君、入りなさい。」
一礼する俺に目も向けず、所長は扉の外にいた男を室内に招き入れる。入ってきたのは中肉中背で生真面目そうな若い男、俺の教育担当である
「こ…
戸惑ったような表情で理由を尋ねる若い刑務官。それを遮るように、壮年の拘置所長は口を開く。
「最期に君と話したいという彼からの要望だ。しかし、こちらとしてもただで認める訳ではない。3分間、今から3分間だけ喋る時間を設けよう。では。」
そう言い残し、所長は退室していった。今この部屋に居るのは俺と片桐刑務官のみである。
「どうも片桐さん。すいませんね私の我儘に付き合わせてしまって。」
「…ハァ、お前さぁ。この際もういいだろそういうのは。」
呆れたように、目の前の男が呟く。
「ああ…ごめん。癖になったからかな。つい自然に出ちまう。」
「さあ、最後に少し話そうぜ。兄ちゃん。」
————————
「話っていってもお前…何話すんだよ。3分しか無いんだぞ。」
「兄ちゃんの話聞かせてくれよ。どうだった?実の弟が担当って。」
「…別に、特に何とも思ってなかったよ。」
「うわっ、冷てー。なんだよそれ。」
「あ、何とも思ってなかったってのは違うか。やたらと媚を売るお前が気持ち悪くてなぁ、担当を変えてくれって何度も頼みにいったよ。」
「ははは、ひっでー。」
「…なあ。」
「何?」
「お前、後悔してないか?」
「してねーよ。後悔なんか、してない。正しいと思った事をやったから、俺は今ここに居るんだ。」
「…はは、そうだな。そういう奴だよ、お前は。」
「そういえばさ、
「純夏は引っ越したよ。どこに行ったのかは俺も知らない。」
「…そっか。」
「…『私のせいで、ごめんなさい。こんな事言う資格は私なんかには無いだろうけど、言わせて。本当にありがとう。』純夏からの伝言だ。確かに伝えたからな。」
「うん…ありがとよ。」
「…父さんと母さんもさ、元気だよ。だから、何も心配するな。」
「うん。」
「なあ、兄ちゃんはさ。初めてなのか?死刑に立ち会うの。」
「いや、お前で2人目だよ。」
「へぇ…妙に落ち着いてると思ったらそういう事かよ。」
「…だからさ。」
「?」
「2回目だから。今回はちゃんと目の前の死と向き合える。大丈夫。俺の中でちゃんと死ぬよ。お前は。」
「はは、なら…良かった。」
「そろそろ時間だな。満足したか?
「ああ、最後に一つだけ…俺の態度ってさ、やっぱり分かりやすい?」
「ああ、分かりやすい。何も言わなかったけど、他の刑務官も、神山所長も多分感づいてるよ。」
「上手くやってたと思ったのになぁ。」
「嘘が下手なんだよお前は。昔から。」
「おいおい、そんなの————」
————————
「調子はどうだ?大丈夫か?」
その夜の官舎。堅物な先輩刑務官、
「…いや、やっぱりいい。蒸し返すような話をして悪かった。」
「いえ、気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ。不思議と何ともないんです。」
「そうは言ってもだな…」
「それに多分。僕が悲しんだら駄目なんです。心配するなって、大丈夫だって、言っちゃったから。そこまで嘘には出来ません。」
「片桐。」
「最後の会話が嘘ばっかりだったのは流石に申し訳なかったですかねー…貂二の担当も僕から名乗り出たものですし、父と母は今でも時々泣いてます。それに、死刑に立ち会うのは今回が初めてでした。嘘ついてカッコいい事言っちゃったけど、正直実感が無いんです。僕は明日もあの独房で、いつものように貂二の相手を」
「片桐。もういい。」
その時ようやく、自分が泣いている事に気付いた。どうしてそうなっているのか、俺にもよく分からなかった。
「だって…アイツはっ…悪く無いんです…なのにどうして…!どうして…っ」
「…はぁ、分かった。もう全部吐き出せ。元はと言えば話を振った俺が悪い。最後まで付き合うぞ。」
「すいません…っありがとうございます…」
「それに明日休みだろ?落ち着いたら、飯でも食いに行こう。」
「はい…はいっ…!」
堰が切れたように溢れる涙が、頬を流れる。
声が震えて、まともに呼吸なんか出来やしない。
頭が沸騰したように熱くなり、浮かぶのは追悔の念ばかり。
満天の星が雲一つない空に輝く、そんな夜。
俺は、弟にもう会えない事を自覚した。
————————
恋人である
一兎と純夏には何も喋らせなかった。あいつらが腫れ物になる必要はどこにも無い。俺が罪を被って済むのなら、それが一番いいに決まってる。
スムーズに死刑が決まり、俺は拘置所に移される。すると何の偶然か、俺の担当刑務官はまさかの一兎だった。しかし過度な介入は避けろとでも言われているのか、会話という会話もないまま月日は過ぎ…俺は執行日を迎えた。
一兎との会話を要望したのは、これから訪れる死への恐怖を、少しでも和らげようとしたからなのかもしれない。久し振りに話す一兎は昔と何も変わっていなくて、実際少し安心した。
なんて事ない、他愛のない会話だった。
これが最後だというのに、こちらを気遣ってか一兎の言う事は嘘ばかり。相変わらず分かりやすい奴だ。ああ、でも純夏の件に関しては正直に喋ってくれたみたいだな。それだけでも、俺にとっては十分だ。
最後の質問に理由なんか無い。もう終わりと言われると、人間は何か捻り出したくなるという事だ。だが、嘘が下手と一方的に言われたままでは後悔が残る。だから退室間際、俺はこう呟いた。
それまでの仕返しと、ほんの少しの感謝を込めて。
「おいおい、そんなのお互い様だろ。」
————————
片桐一兎には弟が居た/片桐貂二には兄が居た
背丈も同じ。顔つきも同じ。好みも同じ。性格だけが正反対。そして2人とも——
——嘘を付くのが下手だった。
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