閑話 王国の問題と皇国の問題(1)



「地震、ですか……?」

「ああ」


 獣大陸中央部に最も近い国は、最も古い民族とされる、銀狼フェンリル族だった。

 巨大過ぎる穴、別称は〝世界の中心ワールド・アイ〟。そこには、龍が住むとされていた。


 銀狼の国、[白雪]の国王ニタ・トレアンは聡明な王で有名であり、周辺諸国に数千の家臣を控えると噂されている。

 そんな彼の愛娘であり、銀狼一族の中で《最弱》と呼ばれる少女は、父の言葉に首を傾げた。


 事の発端は、白雪王国付近で活発になってきた地震によるものだった。

 不規則ながらも大地を揺らし、その大きさは酷い時で立っていられないものだった。民の不安も募り、ニタ国王は娘であるアリシャを呼びつけたのだ。


「で、ですが父上。かの洞穴は決して近づくことは許されないという決まりでは?」

「その通りだ。だがしかし、このままでは民の不安は募るばかり。それに、お主のソレを治す手掛かりが見つかるやもしれん」


 実の父であるニタ国王の言葉に、アリシャは眉を顰めた。

 それこそ、自虐をするかのようにか細く、強い感情を以て。


「私の病気は、もう治らないと仰っていたではありませんか。それがなぜ、あのような辺地に治すことができると言うのですか?」

「……忘れるでない。我々生物は皆、あの洞穴に住まう龍神様によって救われたのだ。辺地と呼ぶのであれば、それは私も国王としてのケジメを付けなくてはならない」

「!……申し訳御座いませんでした。ですが、私にはあの場所に治す手段が見つかるとは到底思えぬのですが……?」


 誰だってそう思う。なにせ、未開拓の、しかも森の中に唐突に存在する巨大過ぎる穴。

 そこに何かがあるとは思わないだろうし、尚更病気を治す切っ掛けなどあるとは思わないだろう。


「しかし、あの場所は龍神様の眠る場所だ。魔物も居らぬのだから、調査だと思って行ってはくれないか?」


 屁理屈かもしれない。アリシャにとって、育ってきた環境のせいで全てが敵に見えている。

 誰も彼もが最後には汚い笑みで奪っていった。大事なもの、大切な何かを、全部、全部。


 だからこそ、彼女の目に映る実の父は、他の者と大して変わりはしなかった。今度もまた、適当な理由付けで罠に嵌めるだけかもしれない。

 もしかしたら、私をあの地へと追放したいのかもしれない。


 そう簡単に思う程に、彼女の心は歪んでいた。


 長い、沈黙だった。アリシャは俯き、そんな少女をニタ国王は見据える。


「アリシャ姫、此処に居られたのですね」

「! セルレト様!」


 沈黙を破ったのは、第三者の声だった。振り向いたアリシャの視界には、1人の男性が映っていた。

 古代森人ハイエルフ族たる彼は、アリシャ姫の婚約者であり、唯一心を許した相手でもあった。


 森人族特有の、仄かに涼しいような匂いが流れてくる。安堵感を覚えると同時に、アリシャ姫は自分が落ち着いていくのを感じた。

 

「ニタ陛下、この度は陛下の御前であらせられるのに無礼な態度、失礼致しました」

「よい、してセルレト皇子よ、話は聞いておろう?」


 ニタ国王の問いにセルレト皇子は頷き、アリシャの方を向いた。


「アリシャ姫、この度の話、私は賛同します。アリシャ姫の病気は、私にとって最も辛いことである、貴方を傷つけるものだ。それが治る可能性があると聞いて、私は黙っていられない。私も付いていく。どうだろうか?」

「……セルレト様がご一緒ならば」

「本当ですか? ……アリシャ姫のご決断、私は無駄にはさせません」


 頷いたアリシャを見て、セルレト皇子は深く頭を下げた。

 それと同時に、ニタ国王が口を開く。


「それでは、日程は4日後の明朝だ。くれぐれも、気をつけてな」

「はい父上。それでは私はこれで」


 そう告げて、アリシャは謁見の間から去って行った。残ったのは、セルレト皇子とニタ国王だった。

 アリシャの姿が見えなくなってからも暫く、セルレト皇子は頭を下げたままだった。けれどやがて、頭を上げてニタ国王を見る。


「それでは陛下、私も失礼します」


 そう告げて、セルレト皇子も去って行った。


――その口元が歪んでいることに、気付いた者はいなかった。



 セルレト皇子が去っていく姿を、ニタ国王は見つめていた。


――その瞳に生気がないことに、気付いた者はいなかった。



 そして両者の中間に、小さな次元の歪みがあった。


――そこから全て見聞きされていたことに、気付いた者はいなかった。




――事件は、大きく音を立てながら進んでいく。

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