カールスロア侯爵夫妻とアナベルちゃん・前編(カールスロア侯爵夫人視点)

「あなた、知ってました? カレヴァに恋人ができたこと」

「カレヴァに? またすぐ別れるんじゃないか」

 宮殿から戻ってすぐに執務室へ向かった夫に、私は今日のお茶会で耳にした話を早速教えた。親しくしている子爵婦人から、次男でこのカールスロア侯爵家の後継ぎである、私の可愛いカレヴァに恋人がいると聞かされたのよ。

 耳を疑ったわ。我が家と縁のある女性で、社交界の評判はとても良くないの!


「なんと、あのハットン子爵家の娘だっていうのよ。うちの領地の運営を任せているけど、先代と違って品格も勤勉さもないハットンの!」

「ハットンの! 姉か妹か!??」

 最初は興味のないような反応だった夫が、勢いよく振り返った。格下の家なのはともかく、ハットンはないわよね。

「姉の方よ。名前はなんて言ったかしら、身持ちが悪いって噂で」

「アナベル君か! アイツも見る目があるな、私も彼女がカレヴァの嫁になってくれたらいいと思ってたんだ。彼女は仕事ができるし、実に実直な女性だ。カレヴァにピッタリじゃないか、これは上手くいくといいな!」


 べた褒めよ。どういうことなの!?

 そうだわ、男性には人気があるのよ。既に私の夫である侯爵まで手懐けているとは、なんとも憎い女性だわ……!

「あらあらあら! いつの間に親しくなったのかしら、知りませんでしたわ! 随分と詳しいご様子ですこと!!!」

「……何を言っとるんだ。アナベル君はハットンの代わりに領地の案内をしてくれるんだ。仕事の付き合いしかない。正直、ハットンよりも説明は理解しやすいし領内に詳しいし、彼女の案内の方がよほど有意義だ」


 領地の案内。代官として運営させている領地の視察に、そのアナベルさんという女性が同行していたのね。もしかして、明日の視察にも……!??

「あなた。私も明日の視察は一緒に行きます」

「次にしなさい。宿や食事の手配もあるんだ、突然一人増えてしまえば先方は迷惑するだろう」

「迷惑でも構いませんわ。アナベルという女性を見極みきわめてあげます!」

 妻の同行を断ろうとするなんて、怪しいわ。やましい気持ちがあるんじゃないのかしら。睨み付けると、夫は観念したように手を上げた。

「分かった、連絡しておく。今回は盗賊被害があった村の視察もするんだ、危険を感じたら馬車から降りないように」

「分かりましたわ。侯爵家の騎士団は優秀ですもの、心配なんていりませんわよ」

 脅しても無駄よ、付いていきますからね。

 明日はどんなドレスにしようかしら。若さに負けられないわ……!


 侍女に支度を命じて、私はアクセサリーを選ぶ。派手過ぎず上品で、高価なものがいいわね。ハットンには手が出ないような品よ!

 やっぱりブルーダイヤモンドかしら。

 日傘も持ちましょう、花模様の刺繍があるものがいいわ。夫からのプレゼントだもの。手袋は白、靴はどうしようかしらね。たくさん歩くかも知れないわ、こればかりは動きやすさを一番に考えましょう。

 負けられない戦闘よ……!


 あまり寝る時間も取れず、準備を完了させて迎えを待った。朝食後、すぐに護衛を連れた馬車が到着する。私達は侯爵家の馬車で、夫がアナベルさんまで同じ馬車に乗せたわ。私がいなかったら、二人きりになるつもりだったのかしら!?

 執事も同乗しているものの、主人の命令には逆らえないものね……! 妙な真似はさせませんからね。

「侯爵夫人もいらっしゃるとは知らず、失礼致しました」

「いえ、昨日決めたのよ。領地が気になってねえ」

 夫はよくそういう言葉が出るな、というような目で私を見た。今まで頼りになる立派な侯爵だと安心していたけど、どうも信用ならないわね。


「しっかりとご案内をさせて頂きます、何でもお申し付けください」

「……悪いな。盗賊被害はどうだ」

「前回以来、報告は上がっておりません。本日の予定ですが、まずは新しい橋の視察をして頂き、リンゴ農園で生育状況を確認し……」

 リンゴは侯爵領の特産物の一つ。王都にも届けているし、王室御用達の農園もあるわ。小ぶりで蜜が多いリンゴよ。

 橋は王都と農村を結ぶ道にある橋が老朽化したので、リンゴを大量に運んでもビクともしない立派な橋に架け変える工事をしている……と、以前夫が部下と話していた気がするわね。


 ルートも適切だし、現時点で不審な点はないわ。

 アナベルさんは噂で聞く印象と違って、姿勢がいいし理知的な話し方をする女性ね。媚びるような言葉も素振りもない。

 いやまだ油断できないわね!

 観察している間に、最初の目的地である高架工事の現場に到着。

 隣にある木製の橋よりも広い、石の橋が完成間近になっていた。ちょうど職人は休憩時間で、座って飲みものを飲んでいるわ。私達の馬車を目にするや否や、全員が立ち上がり迎える体制を作る。


「侯爵様、遠いところをお疲れさまです」

「はは、工事に不都合はないか? 期日通りに完成しそうだな」

 夫の視線は頭を下げている現場責任者の男性を越えて、橋に向けられていた。続いて降りる私をエスコートしていると、男性はアッと小さく呟いて顔を上げた。

「奥様もご一緒でしたか! このような場所まで足を運んで頂き、本当に感謝します」

「立派な橋になりそうね。でも物足りないわねえ。そうだわ、欄干らんかんに彫刻をほどこしましょうよ」

「それは素晴らしいですね、早速手配しましょう」

「おい、完成間近なのに思い付きで余計な提案をするな」

 責任者が大賛成なのに、夫は渋い表情をするわ。木の橋より硬質的で味気ないもの、彫刻くらい欲しいじゃないの。

 風流が理解できないんだから、これだから男はダメね。


 橋の見た目や工事の見通しについて話し合ってから、近くにある小さな飲食店に案内された。貸し切りになっていて、店主が緊張で固まりつつも飲み物を用意する。

「ありがとう。申し訳ないけど、話が終わるまでは席を外してもらうわ」

「もちろんです、お嬢様」

「お嬢様って年でもないわねぇ」

 店主夫婦とアナベルさんは昔からの顔見知りのようで、二人は彼女の前では気持ちが和らいでいるようだったわ。私の為に焼菓子を用意してくれてから、夫婦は店の外へ出た。

 部外者がいなくなったの確認して、夫は本題に入る。


「……それで、予算が足りないという話だが」

「どう考えても不可解だと存じます。侯爵閣下は潤沢に予算を組んでくださり、当初の予定よりも幅を広げられた程です」

 夫にアナベルさんが頷くと、責任者の男性は書類の束を鞄から取り出した。執事が受け取り、夫に渡す。受け取った書類をテーブルに置いて、アナベルさんと二人でじっくり眺め始めたわ。アナベルさんは立ったまま、斜め後ろから覗き込む。

 近いわ! ちょっと、妻で侯爵夫人の私が隣にいるのよ!

 でも仕事の邪魔になると、夫は怒るのよね。釈然としないまま、フィナンシェを口に入れる。このお菓子は全部、私が食べますからね!


「……金額が違います。大変申し訳ありません、……父が横領をしているのではないでしょうか……」

 工事のお金の管理も、ハットン子爵の仕事。他に道路の整備や河川の改修工事など、全体の工事の予算の中から分配している。ちょっとずつ横領すれば露見しないと思って、浅知恵でも巡らせたのかしら。

「あら、ハットンが。それにしても、よく父親を告発するような真似ができたわね」

「良さないか!」

 感想を口にしただけなのに、夫に怒鳴られたわ。釈然としないまま、口をつぐむ。

 すぐに味方するんだから!

「侯爵夫人、失礼ながら血縁と仕事の上での犯罪には関係がございません。カールスロア侯爵閣下に運営を委任されているのです、信義で応えるのが私の勤めだと認識しております」


 うっ。そう言われると何も返せないわ。

 なんなの、この忠臣みたいな子。

 人によっては運営を任せた領地のことは、代官からの報告だけで済ませていたりするの。夫のように直接視察して現場責任者などから話を聞かなければ、今回の不正は露見しなかったわね。

 ハットン子爵がもう少しずる賢ければ、責任者に口止めくらいはしていたでしょう。

 彼女は最初から隠蔽する気もないようだったわ。


 仕事はちゃんとしているのは、ちょこっと認めるしかないわね……。

 でもカレヴァに相応しい女性か、まだまだ厳しく審査しないといけないわ!

 資金などの話が終わった頃には、お菓子は全てなくなってしまっていた。こんな大衆が集まるようなお店のわりに、いい味だったわ。私が気に入ったからか、帰りに適当な箱に詰めて、お菓子をお土産に持たせてくれた。

 宿で食べてもいいわね、今度は夫にも分けてあげましょう。


 さて、次はリンゴ農園ね。

 リンゴが食べられるかしら。口の中が甘いから、さっぱりしたいのよね。ちょうどいいわ。楽しみねえ。

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