アーレンス男爵の苦悩(アーレンス男爵視点)
アーレンス男爵領は、今日も晴天だ。明日も明後日も晴天だろう。
ここは雨が少なすぎる、雨が降って欲しいものだ。
十歳になる息子のセビリノは、身長がスクスクと伸びている。同じ年の子供に背で負けることはない。勉学には真面目に励んでいる。口数は少ないし何を考えているのかよく解らないところもあるが、立派な後継ぎとして成長するだろう。
我が家系は剣の腕を磨いて国境を防衛し、王家に仕えている。セビリノは剣の才能はあまりないようだが、絶え間ない努力と鍛錬こそが才能だと私は思う。
ただ、大人に混じっての稽古は少々酷かも知れん。しっかりした師匠を探さないとな。
窓の外を眺めながら思考を巡らせていると、扉がノックされた。
息子のセビリノが姿を現す。
「父上、お願いがございます」
「おおセビリノ、ちょうど良い。お前の今後を考えていたところだ」
「話が早いですね。私は魔法を学びたいのですが」
「そうだな、師匠を探して剣を……、いや魔法? 魔法と言ったか?」
剣の師匠を探そうとしていたら、魔法を学びたいと聞こえたのだが。思わず聞き返してしまった。
「はい、私は魔法使いになりたいのです」
セビリノは確かに、小さい頃から魔法に興味を示していた。まさか魔法使いになりたいと望んでいたとは。
「我がアーレンス家は武門の家柄だ。魔法を学ぶのは悪くはないが、剣の基礎を納めてからでも遅くはない」
「遅いでしょう。魔法の深淵に触れるには、今からでも遅いほどです」
あれ、ん? 深淵? それは一体誰が教えてくれるものなのだ……???
私には優秀な魔導師の知り合いもいない。魔法の教師を頼むにも、
「魔法教師はなかなか探せないぞ……」
「しかし魔導書だけで学ぶのも、詠唱を知ることしかできません」
「魔法は詠唱じゃないのか?」
息子の欲しいものが分からなくなってきた。
これならお城が欲しい、などという無茶振りの方が理解しやすい。娘にねだられてとても困ったワガママだ。妻が職人に木で小さな城を作ってもらい、与えて満足させたのだ。
「理論や法則がある筈です。世界が世界であるように、魔法が純然たる魔法であるが故の」
「どうどう、とにかく魔法を教えられる教師を募集してみよう」
「ありがとうございます!!!」
いつになく明るい表情だ。
よほど魔法が学びたいのだな。私は早速冒険者ギルドで、魔法教師ができそうな者がいないか依頼として出してみた。
しばらくして高ランク冒険者が我が家を訪ねたが、ほんの数日で去っていった。
次は妻がお茶会で会う、貴族の身内の魔法使いを紹介してもらった。これなら冒険者よりもしっかりと学んでいて、息子の知的好奇心は満たされるだろう。
子供の相手などはこの私の仕事ではない、と堂々と口走るような男で、それなりの礼金を渡して何とか来てもらうことに成功した。
最初は使用人も私達夫婦も見下すような高飛車な態度を取っていた男だが、我が家を訪問する度、日に日に小さくなって見える。
やはり長くは続かなかった。
「……申し訳ない、私がご子息に教えられることは、もうありません」
「いや、もうなのか……? 雑談の相手でもしてやれないだろうか」
少しでも長く来てもらおうと引き留める。話をしているうちに、新たな発見や導きがあるかも知れない。
「…………雑談の相手すら……私には不相応です。偉そうなことを言って申し訳ありませんでした、修業し直してきます……!」
大事件だ、プライドがバッキバキの複雑骨折。
本当に泣いていた。こちらこそ申し訳ありませんでした……。謝罪もこれまでのお礼も伝える暇を与えず、男は逃げるように去り二度と姿を現さなかった。
一体どんなことが起きているのだ。
私の息子は何をしている……?
魔法の話は分からないからと、放っておいたのが悪いのか。別の教師を探しつつ、次は少しでも同席しようと心に誓った。
「父上、今度はもっと詳しい人をお願いします」
「セビリノ、父は精いっぱいなのだよ……」
「ふむ……、では今までと同じレベルでも、違う知識のある方はいらっしゃいますか」
うーん、あの男も最初は偉そうだと思ったが、私の息子も魔法に関しては急に譲らなくなるな。低いレベルで諦めると言い放った。
悩んでいると、妻が紅茶を淹れてきてくれた。
「今度は薬を作られる方はどうでしょう。あの子は魔法が使えれば、薬がなくても怪我を治せると意気込んでおりました。きっと、領民の怪我を治してあげたいのでしょう」
「そうか、攻撃魔法を学びたいのだとばかり……」
領民を
魔法と薬作りを両立させる者も多い。忍耐強い作業ができるセビリノだ、薬作りも真剣に取り組んでいた。いつの頃からか、我が家の常備薬はセビリノが作製した薬に置き換わっていた。
一年以上は続いたが、ただ息子が望む知識には足りなかったようだ。
「はあ……」
「どうしたんですか、アーレンス男爵。心配ごとでも?」
ついため息がこぼれてしまった。
今は隣の領地である、バックス辺境伯と領土の防衛に関する話し合いをしている最中だった。地図に落とされていた辺境伯の視線が、私に向けられている。
「失礼しました、私事で……」
「特別に差し迫った脅威もないし、話してください。たまには雑談もいいでしょう」
辺境伯は興味深々という眼差しで、促してくる。心配しているというより面白半分だな。
「……実は息子のことです」
「セビリノ君か、魔法の才能があるらしいですなあ。魔法剣士にするつもりですかな?」
息子から何人もの教師が逃げ出した話は、近辺に伝わっているらしい。先生方の名誉を考えると、非常に申し訳ない。
「武器術には欠片も興味を持たず、とにかく魔法を学びたいようです。しかし指導してくださる方もすぐに
「そもそも男爵家は武家ですからなあ。……魔法養成所に入るのが一番ですな。王都なら寮に入れば、生活費も心配しないで済む」
「親族以外からの紹介状が必要ですがね……」
王都の魔法養成所に入ることさえできれば、もう将来は約束されたようなものだ。
だからこそ狙っている人も多い。有力者からの紹介状でなければ、親族以外に複数の紹介状をもらって箔を付けたり、本人が才能を認められるかしなければ門前払いだ。
地方に二つあるものはそこまで厳しくはないが、予算が全く違うので入所費と生活費などはそこそこかかってしまう。
「紹介状を書きましょう。俺の紹介状なら、優先的に入所できる筈です」
「ありがたいですが、さすがにそこまでして頂くのは……」
バックス辺境伯は息子のセビリノを気に入ってくれている。申し出はありがたいが、もし問題でも起こせば紹介状を書いた側にも迷惑を及ぼしてしまう。
「もちろん、条件があります。俺はセビリノ君の魔法も知識も知りませんからな、噂やひいきだけで推薦できない」
私が心配するまでもなく、バックス辺境伯には考えがあるようだった。右手を上げて使用人に声を掛け、誰かを呼んでくるようを伝えている。腕には戦でついた傷痕が覗いた。
ポーションで治療した後に、敵の武器に塗られていた毒が体内に残されたことに気付き、再び切り開いて敢えて血を流した時のものだ。ポーションは足りていたのだが万能ではなく、連続の使用で効果が薄くなってしまって跡が残ったようだ。
「どうした、バックス」
こちらは魔導師で、このバックス辺境伯領の魔法部隊をまとめている男性だ。辺境伯の旧来の親友で、他の伯爵家の二男。
「アーレンス男爵の息子を、魔法部隊の見習いとして指導してやってくれ。見込みがあれば、王都の魔法養成所への紹介状を書く。訓練を受ける態度などもしっかり把握しておくよう」
「あの先生が裸足で逃げる、怖いもの知らずの子供か」
どういう噂になっているんだ。とても聞けない。
「宜しくお願いします、厳しくしてやってください」
「お任せください。仕官先をお探しでしたら、魔法部隊にそのまま残れますよ」
「それはさすがに」
「冗談はやめておけ、男爵は真面目だから本気にされる」
断ろうとすると、バックス辺境伯がさらりと制した。
冗談。これが冗談なのか……?
「失礼しました、バックスと会話をする弊害ですね」
「人を感染源みたいに言うな」
さすがに仲がいいな。どこまでが本気でどこまでが冗談か、私にはさっぱりだ。
息子を頼みますと、重ねて頼んでおいた。
屋敷に戻ってすぐセビリノに、辺境伯の魔法部隊で学ばせてもらえると伝える。セビリノはとても意気込んでいた。多分。あまり表情は変わらなかったが、返事が大きな声だった。これが無理なら魔法は諦めろと念を押す。
魔法養成所に入るべきだと伝言が届いたのは、セビリノがあちらに行ってから一つの季節も過ぎないうちにだった。宮廷魔導師も夢ではないという、とてもベタ褒めの報告に驚いたのを覚えている。
そして本当に宮廷魔導師になり、鬼才だと持てはやされ、我が男爵家の評判も良くなった。
大それた夢を叶えて、よもや長期間、他国へ行ってしまうとは……。
本来ならば、宮廷魔導師は許可がなければ国境を越えることすら許されない。殿下の婚約披露で戻って来るが、また出国するに違いない……。
それでもセビリノの給料は律儀に我が家へ届けられている。アイテム作製や魔法研究など、最低限の仕事はしているらしい。
一番の理由は、宮廷魔導師として魔法研究に
セビリノ、国に留まり真面目に仕事をしてくれないか。父は胃が痛い。
こういえば胃薬を置いて行くのだろうな……。
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