◆子イリヤ、ご招待される・後編(ラケーレ視点)
男性とイリヤちゃんは、ベランダからお客が通されている応接室へ入った。
このまま知らん顔をするわけにはいかないわね。はあ、あいさつに顔を出さないと。侍女と応接室への廊下を歩く。通り過ぎるメイドが、壁際に立って頭を下げていた。
部屋からは大人達の会話に混じり、イリヤちゃんの楽しそうな声がもれている。ノックをして、侍女が扉を開けた。
「先ほどは失礼しました」
「お姉ちゃんです。お姉ちゃん、見てみて! イリヤ、ケーキをもらったです!!」
広いソファーで、赤い髪の男性の横に寄り添うように座るイリヤちゃん。目の前に置かれたイチゴのショートケーキは、一口食べられていた。
テーブルの脇のワゴンには、何種類ものケーキが並べられている。
「イリヤはイチゴのケーキが、大好きです。イチゴはいつ食べたらいいか、タイミングがとてもむずかしいです。食べたらなくなっちゃうもん」
「……ほれ」
男性の赤い爪の指が、自分のケーキのイチゴをイリヤちゃんのケーキに載せた。ケーキのイチゴが二つになる。
「わああ、ありがとうです! えへへ、かっかのイチゴを食べるですよ」
イチゴをフォークで突き刺して、嬉しそうに頬張る。男性はイリヤちゃんが喜んで食べているのを、口元を
殺し屋みたいな男性と自由奔放な子供、それに学者っぽい貴族悪魔。不思議な組み合わせだ。貴族悪魔が食べているのは、ラズベリーソースのかかったチーズケーキ。
「クローセル様はこちらに滞在されているんですか? フェネクス様のように、どこかの国に仕えていらっしゃるんでしょうか」
弟のクレーメンスが尋ねる。悪魔が好きな奴だから、質問攻めにしてないか心配だわ。弟の家庭教師をしている我が家の魔導師も立ち会ってくれているけど、何を隠そう弟の悪魔好きは彼の影響なのよ。
「私は国に仕える予定はないぞい。この世界には、もう少し滞在することになるであろうの」
また招待したいと盛り上がるのかと思いきや、弟の先生はいつになく緊張している。クローセル様も高位貴族なのかな、今日までは立派な悪魔が来てくれると二人で大喜びだったのに。
ちなみに悪魔が国に仕えるといっても、国に仕えている魔導師とかと契約をして、間接的に仕えるだけ。契約者が引退したら、悪魔も関係なくなっちゃうの。だから契約者の引き留めに必死になるのよ。
「イリヤちゃん、ケーキのおかわりもあるわよ」
私も余っていたソファーに腰掛けた。
「もっと食べていいの? いっぱいあるです、何がいいかな〜。チョコレートのも、つやつやしたのもおいしそうです。みかんがのっかってるのもあるよ」
つやつやしたのは、アップルパイね。商店街にある人気の高級スイーツ店で買ったケーキは、どれもおしゃれで美味しそうだ。
「お気に召したのでしたら、残りはお土産にしてお持ち帰りください。我々はまた、いつでも買えます」
弟にしては気が利くわ。悪魔の気を引きたいだけだろうけど。
「ケーキをくれるですか!? わあい、ありがとうございます。かっかもおれいを言うですよ、かっかはどれにする?」
「我はいらぬ」
イリヤちゃんは手を叩いて喜び、おかわりにバナナタルトを選んだ。ずっと南の国の高原で収穫された、糖度の高いバナナよ。他のケーキは箱に入るだけ詰めて、家に持ち帰る。
ケーキはいったん下げて、帰りに渡す。ワゴンで運ばれるケーキを見送ってから、イリヤちゃんは二個目のケーキにフォークを入れた。
「おいしい! おいしい!」
「こぼすでないわ」
体を揺らしながら満面の笑みで食べるイリヤちゃん。タルトの生地がぽろぽろこぼれている。これは仕方ないわね。
「あのね、イリヤはね、森で先生の生徒をしているんですよ。きり株のイスがあるです。かわいいけど、硬いんです。このイスはすごく柔らかくて、せもたれもあって、とってもすてき」
赤い髪の男性が座る反対側のソファーを小さな手が軽く叩く度に、クッションが沈む。零れていたタルトの欠片が、弾みで床に跳ねた。
「かっかのおひざも、せもたれ付き」
「我は椅子ではないわ!」
「あはははは~」
すごい目付きで睨まれているのに、笑うところなの……!? 私なら震えちゃうわ。慣れなのかしら、怖いわね……。
イリヤちゃんは笑顔で、ずっとお喋りしていた。
弟のクレーメンスはクローセル様に質問などをして、会話を楽しんでいた。結局私がイリヤちゃんの相手をしていたわ。
赤い髪の男性もたまにツッコミを入れつつ、喋っているイリヤちゃんを眺めていた。慈愛。慈愛の眼差しか。
日が暮れ始める前に、早めに帰る三人。問題がなくてホッとしたわ。
弟の先生は終始緊張していて、いつになく口数が少なかった。
後から考えたら、クローセル様よりも赤い髪の男性を警戒していたように思えるわ。尋ねてみても、答えてはもらえなかった。
□□□ 数年後 □□□
結婚前は毎年のように訪れていた、海辺の別荘へ久しぶりにやって来た。
広がる海は変わらずに私を迎えてくれる。貴族の別荘が増えたり、繁華街に高級店が増えて区画整理もしっかりとされていたり、町並みには変化があった。観光客も多くなり、宿も繁盛しているようだ。
「やっぱり海はいいわねえ」
「ゆっくりしていってください、姉上」
弟のクレーメンスは相変わらず悪魔好き。ただ、魔法研究所の職員や宮廷魔導師にならなかったのは意外だわ。
「旦那が謝りに来るまでいるわ」
実は喧嘩して家出中なの。せっかくだし、お茶会でもあったら気晴らしに参加しようかしら。
「殿下の婚約披露までには帰った方がいいですよ……。あの殿下がついに婚約者を
「王族としては遅いくらいじゃない? 貴方もそろそろ考えないとねえ」
クレーメンスも跡継ぎだからね。この際だもの、悪魔の女の子を連れてきても両親は怒らないんじゃないかな。この話題になると、弟はすぐに顔を逸らす。
「カールスロア君は僕を裏切らないよな……」
「あの家も残るは三男ね。まさか評判の悪い次男が先に婚約するとはねぇ」
「しかもあのハットンですからね」
ハットン子爵令嬢のアナベルさんは、色々な男性と浮き名を流し、皇太子殿下の愛人とも噂されていた女性。このタイミングだし、カールスロア家の次男カレヴァと結婚するのはカモフラージュでは、なんて憶測が飛んでいる。
わたしはそれはないと思うわ。ああいう男は嫉妬深いのよ、そうに決まってる。
「……そういえば、イリヤちゃんは幾つになってるかな」
昔会った、薄紫の髪の女の子がふと頭をよぎった。お喋りで行動的な子だったわ。悪魔とも仲がいいなら、クレーメンスと気が合うかも。まさかあの赤い髪の男性が、恋人になってたりしないわよね。
親より年上の男性と結婚させられた子も、友達にはいたわ。そもそもあの彼も、人間だったのかしら……?
あの時のクレーメンスの先生の態度が、どうも引っ掛かる。
「イリヤちゃん? 姉上の友人ですか?」
「昔アンタが悪魔と一緒に招待した子供よ」
「ああ! クローセル様をお招きした時ですね」
本気で覚えていないわ。だめだこりゃ。
「あの子がどんなふうに成長したか、興味がないの?」
「いえ、特には」
「イリヤちゃんなら、クローセル様のことも知ってそうなのに」
「あ、その可能性もありましたか……。しまった、全然記憶にありません……!」
ひとしきり後悔した後、両手を口に当てて騒ぎ始めた。
「リニアちゃーん! 今どこにいるんだ……!! クローセル様も一緒なのかい!?」
名前を覚える気すらないでしょ……。ひっどいわ。
悪魔目当てで女性を探すって、どうなのかしら。思い出させるんじゃなかったわ。
逃げてイリヤちゃん!
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