◆子供時代 ごあいさつ(ベリアル視点)

 いつも朝から何が楽しいのやら笑顔で駆けてくる小娘が、今日はやたらしょぼくれて歩いて来る。

 我と我が配下、侯爵クローセルは顔を見合わせた。


「かっか、これ返します」

 小娘は俯きながら我が与えた、ルビーの装飾品をネックレスに加工したものを突き出した。

「なんだね、不足になったかね。よもやビジョンブラッドが良いか?」

「閣下、小娘にそのような高価な品、理解できますまい」

 小娘はルビーを眺めながら、枯葉に覆われた地面に布を敷いて片膝を立てて座る我の、膝を曲げて地につけている方の足に座った。我は椅子ではないぞ!


「……お母さんが、こんな高い物もらっちゃダメって。返してきなさいって言われたの。イリヤもお手伝いしないといけないから、森で遊んでばかりでもダメだって」

 なんと。我が与えたものを、そのような下らぬ理由で返そうとは。しかも契約に基づいて指導していると言うに、それも出来ぬとあらば、これでは我の名折れである。由々しき事態ではないか。

「母御の意見も尤もでありますな。一度このクローセルが、母御に挨拶をして参りましょう。幼い子供が連日森で丸一日遊んでいるのを、心配するのも無理からぬこと」

「……うむ、一理ある。ではこの件はそなたに任せよう」

「はは、必ず成果を上げてご覧致しましょうぞ!」

 クローセルは恭しく片手を胸に当て、礼をしてから小娘の家へと向かった。


 ……とは言ったものの、前回の事もある故、気がかりであるな……

 仕方あるまい、我も様子を窺うとするか。

 空から見下ろすと、小娘はクローセルの手を引き小さな村の中を小走りで、自宅を目指しておった。

 珍しいまれびとに、通りすがりの者たちが振り向いて姿を見ておる。


「先生いらっしゃい! ここ、イリヤのおうち!」

 小娘が扉を開けると、母親らしき女が廊下から顔をのぞかせた。小さき質素なあばら家で、なるほど生活に困っておりそうだ。

「イリヤ? 帰って来たの?」

「お嬢さんの母御でいらっしゃるかな? 私はクローセル、以前よりお嬢さんをお借りしていた者。挨拶が遅れて失礼した」

 クローセルが笑顔で挨拶をすると、母親は目を白黒させておる。

 グレーがかった長めの髪を下の方で纏め、黒いロングコートを着た穏やかで知的な紳士。田舎の村に不似合いな学者然とした風体ふうていの客だ。

「これは、娘がお世話になっております。こちらこそ何も知りませんで……、この子に聞いても、森でかっかと遊んだ、先生とも遊んだとしか言いませんで」

 あまり詳しい事を言わぬよう、口止めをしておるからな。しかし子供の事、親にはもっと喋っているかと思ったが、意外と口が堅いようである。


「実は私の主が森で難儀していた時に、このお嬢さんに手数を掛けたそうで。あの宝石は、お礼として差し上げたもの。是非受け取って下され。そして、お嬢さんに魔法や薬の作り方を教える約束をしておりましてな、それも続けさせてもらいたいのですよ」

「まあ……ありがたいですが、あのように高価な品、頂くわけにはいきません。父親が死んでからふさぎ込んでいた娘が元気になって、それだけでも感謝しています。もう十分お返しを頂いております、お気持ちだけで……」

 あの程度の装飾品であるに、母親はやたら遠慮しおる。

 言われてみれば森で最初に遭遇した頃は、あまり笑わぬ娘であったな。単に慣れただけかと思ったが。今では馬鹿みたいに笑ってばかりだ。


 その後も学べば将来の為になるとか、我らには時間があるからとか色々と話して説得して居るが、なかなか進展せぬ。我が与えた品を返されるのも癪であるな!

 待つのも飽いたので我が直接、小娘の家へ来訪することにした。


「クローセル! 挨拶に出向いておいて、いつまでかかるのだ! このような良い話を説得できぬとあれば、そなたの不手際であろうよ!」

「……閣下、申し訳ありませぬ」

「かっか! 先生をいじめちゃダメ!!」

 小娘は庇う様に、我とクローセルとの間に立ちはだかった。

 待て小娘。我の契約者が、なぜこやつを庇うのだ。大体誰の為にこのようなむさ苦しいところに、この我が自ら足を向けていると思うのだね!?

「なんと……閣下に逆らってまでこの私を庇うとは、天晴あっぱれな心意気……!」

 クローセルはなぜか感動しておる。おおよそ、小娘には我の偉大さや恐ろしさが解らぬだけであろうに。


「……娘の言うかっかとは、こちらのご立派な方でしょうか!? 娘がご迷惑をお掛けしております……!」

 我を見て小娘の母親は、慌てて深く頭を下げる。当然の反応と言えよう。

「迷惑と言う程のこともないわ。与えた宝石を返される方が迷惑である」

 かしこまる必要はないと告げて見下ろすと、小娘はなぜか我に向けて両手を広げてピンと伸ばしておる。何がしたいのであるかな……?

「閣下、よもやまた肩に乗せて頂きたいのでは……?」

 ……なんと図々しい小娘よ!! この地獄の王を、なんと心得るのやら!

 しかし期待で胸を躍らせるのを放置して、また泣かれるのも面倒であるからな。

 抱き上げて肩に乗せると、片手で我の頭にしがみ付き、もう片手を母親に向けて振る。

「お母さん、かっかの肩は高いよ! 遠くまで見える!!」

「イリヤ! 失礼でしょう、降りなさい! 申し訳ありません、不躾な娘で……」

 母親が叱ると、小娘は降りないと抗議するように、殊更しっかりと我の頭にしがみ付いた。仕方のない奴よ。

「構わぬ。小娘、しっかり掴まっておけ」

「はい!」


 後の話はクローセルに任せ、肩に乗る小娘が落ちぬよう足を抑えて、飛行して森の中へ向かった。初めて空を飛ぶ故、小娘も最初は少しすくんでおったが、またすぐにはしゃぎだす。

 田舎では飛行魔法を使う者を見た事がないのか、飛ぶ姿を見た子供らが指をさして騒いでおる。


 此度は森の湖の近くに降りた。どうせなので普段は行かぬ場所を選ぶと、小娘は喜色満面で水を飛ばして遊び始めた。何が楽しいのかは解らぬが、花を水面に浮かべたり、パシャパシャと叩いて波紋を作ったりしておる。

 しばらく一人で騒ぎながら遊んでおったが、疲れたのか木に寄りかかって座っておった我のもとへ歩いてきた。そして組んだ我の足を枕に、ごろんと寝転ぶ。全くこの小娘は何なのか……。気まま過ぎぬか?

「かっかはお水で遊ばないですか」

「……遊ぶわけがなかろう」

「たのしいのに??」

 何を言うやら。おかしいとばかりに、首をかしげておる。


「さて、クローセルはそなたにどのような事を教えておるかな?」

 まあ良い、普段の学習の成果をきいてやろう。ここのところはクローセルに任せて、狩りに出掛けておったからな。そろそろ我もまた魔法でも仕込んでやるか。


「計算! イリヤは足し算、得意です! プリママテリアたす、熱たす、乾は火!」

「それは足し算ではないわ! 四大元素の構成要素ではないか……!」

「こーせーよーそ?」

 なんだねその、間の抜けた面は……!

 ダメだ、理解しておらん……。クローセルめ、小娘に合わせて教えぬか!

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