ビリじゃないじゃん

天鳥そら

第1話一番がよかった

草加靖くさかやすしは、陰陽師の末裔だ。祖父や母は色々術が使えるが、靖には陰陽師らしいことはまったくできない。できることといえば……。


「トップとりたかったの!ピアニストの頂点!」


「はいはい、コンクールで二番だったんですよね」


人気のない夜の校舎、幽霊が出ると言われる音楽室の一室で、20歳になるかならないかという女性と向かい合っていた。


「そうなの!あんのメガネのくそったれが~!」


何て口が悪いんだろうという言葉は飲み込んで、どうしたら納得して成仏してくれるだろうかとうなった。そう、大した力はないが、受け継がれた陰陽師の血はこうして、迷える幽霊と交流する術だけは靖に与えていた。


大したことできないんだから、いっそ、視えなければ楽なのに。


生まれてこのかた何度靖の頭をよぎったか。陰陽師の修行をしている姉からは、ずいぶん中途半端な力だねと笑われている。


「で、コンクールで優勝できなかったのが悔しくて、毎晩ピアノ弾いてると」


目の前の女性は、ふと考え込むようなしぐさをした。さらさらと流れる黒髪に、ぱっちりとした黒い瞳。幽霊でなければ美人と一緒だと喜ぶところだろうなと、ため息を喉の奥に押し込める。


「私って、いつも2番目なのよね」


「おーい」


靖の質問には答えず、まったく別の話を始めるので細目になって見つめる。目の前の幽霊は一向に気にしていないようで腹が立った。音楽室のピアノに月の光があたる。白と黒の鍵盤が今にも勝手に踊りだしそうなほど、イキイキとしていた。


「コンクールだけじゃなく、かけっこでも成績でもいつも二番」


「え?学年で二番ってこと?」


「ええ。そうよ」


目の前の女性はそれからも自分が一番でなかった時のことを思い出して、指降り数えている。


「一番イヤだったのは、大好きな人に、二番目に好きだから彼女になってよって言われたことかな」


「そんな野郎、フッてやれよ」


「私には一番だったんだもん。すぐに別れちゃったけど」


悲し気に顔を伏せる女性が可哀そうになり、靖の口からぽろりとこぼれ落ちた。


「それは、嫌だったかもしれないけどさ、いいじゃん。成績でもコンクールでも二番目になれるほど優秀なんだったら」


「でも、一番じゃないのよ。いつだって、本当に欲しいものは目の前をかすめて去って行ってしまうの。虚しいわ」


「俺も、二番です」


「へ?」


間の抜けた返事をする女性に、靖はやけになった。


「この前の成績、学年でビリから二番目でした」


「あの、それは……」


「ビリじゃないからいいって言ったら、親にすげー怒られて。そういう問題じゃないでしょって」


ふてくされて、そっぽを向くと、ぽーんっとピアノの音が防音室に響く。靖は気乗りしない風に幽霊の方へ目を向けると、困ったようにドレミファソラシドと指をすべらしていた。大人げなかったと思って、靖はすぐに口を開いた。


「結局さ、あなたは優秀じゃないですか。一番にこだわることないと思いますけど」


靖の方をじっと見つめてから、幽霊は両手を使ってピアノを弾きはじめる。ほとんどの人間が知ってるきらきら星、運動会で聞いた曲、学校でも流れている朝の音楽。幽霊は靖の知っていそうな曲を選んで、弾いているみたいだった。だんだん真剣な表情になる幽霊に、かける言葉が思いつかずただ眺めていた。


「でもさ、君は一番取れる可能性はあるじゃん」


「あのさ……」


まだ一番にこだわるのかと思ったら、幽霊はピアノを弾きながら泣き始めた。


「私さ、一番とりたかった。それしかできないと思っていたの」


「はあ」


「だから、講師の仕事とか子供のレッスン見てほしいとか、ちょっとしたリサイタルとか頼まれても全部断っちゃったの。コンクールの練習がしたいからって」


幽霊はピアノを弾き続ける。人気のあるアニメ曲や古い歌をアレンジしたもの、ジャズも弾き始めたので靖は鳥肌が立った。とても名のあるクラシックコンクールで弾く曲だとは思えなかった。幽霊の指が軽やかに動く。月の光がまばゆくて、昼間のような明るさだった。影が濃くなり浮かび上がる。涙をこぼしながら、コンクールでは弾かないであろう曲を弾き続ける幽霊にぽつりとこぼした。


「後悔してるんですか?断ったこと」


「一番になりたいって思いを捨てたら、一生、ピアノが弾けなくなるような気がしたの。レッスンの合間に、断った仕事や依頼の練習をしてた」


「……やれば良かったのに」


「そうよね。今ならそう思う」


鳴り続けたピアノの音がやみ、幽霊がこちらを向く。月の光に照らされて、透き通った身体が輝く様子は、命を失った幽霊だと思えなかった。


「何か弾いてほしい曲、ある?」


何度もまばたきをしてから、靖は頭をかいた。クラッシックなど聞いたこともなく、何も思い浮かばない。ただ、年末に流れる曲だけは覚えていた。


「えーっと、年末に流れる……ハレルヤだっけ?それ」


「大みそか恒例の第九ね。いいわ。アレンジ入るけど、良い?」


「はい」


幽霊はピアノを弾く前に、窓の外を見た。雲の切れ間から月が姿を見せる。満月には届かない少し欠けた月だった。


「十三夜っていうのよね。私みたい」


くすくすと笑ってから表情を引き締めて、細くて白い指を鍵盤に走らせる。幽霊の腕前がどれほどのものなのか、靖にはさっぱりわからない。それでも靖にとっては最高のリサイタルだと思った。どれほどの時間が経ったのか、気づけば音はとまっていた。慌てて拍手をすると幽霊がこちらを向いてにこりと微笑んだ。


(がんばれ)


月の光がふわっと揺らいだかと思うと、一瞬の間に幽霊はいなくなっていた。しんとした静けさの中で黒いピアノが静かにたたずんでいる。靖はピアノのそばに立つと、ぽーんっと音を鳴らした。


「がんばれ、か」


ピアノのふたを閉めて、カバーをかける。窓のカーテンを閉めて音楽室内を見回し、忘れ物がないか確認をした。それからあくびをして、大きく背伸びをする。


「次はビリから3番目ぐらいにはなろうかな」


靖は幽霊が無事にあの世に旅立ったことを報告するため、さっさとその場を立ち去る。カバーをかけられたピアノのそばに、カーテンの隙間からこぼれた月の光が躍るように揺らいでいた。


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