第1話 勇者

「ば、馬鹿なっ! 馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!!!! こ、こんな事……こんな事が……ありえぬ、ありえぬっっ!!!!! 吾輩を――魔王軍最高の知将と謳われた吾輩がこのような、罠に嵌まるなど――……!?!!」

 

 漆黒の炎に包まれている、十数棟の建物を溶けたバターのように深紅の斬撃が両断。蠅頭の怪人に襲い掛かった。

 普通の魔物であれば、間違いなく即死だったろう。

 が、そこは怪人――魔王軍十三魔将が一人、ジ・バド。咄嗟に、数十の魔法障壁を展開、直撃を避けてみせた。

 ……大被害は免れようもなかったが。

 かつて『大陸で最も美しい都市』と言われ、多くの人々に親しまれたルシードに、魔将の苦鳴が響き渡る。それに応える声はない。都市は、今や死につつある。

 万を軽く超えていたジ・バドの部下達も既に悉くが倒れた。

 そして、今……魔将本人も、最期の時を迎えつつある。

 斬り飛ばされた三本の左腕は漆黒の炎に飲まれ、消失。傷口からは大出血。

 恒常発動している治癒魔法はまるで効かず、再生も不可能。いや、むしろ、少しずつ傷口はその大きさを広げ、魔将を喰らい尽くそうとしている。

 それでも、魔将は魔法を止めない。

 ここで、自分が倒れてしまえば、今日、この場所でいったい何が起こったのかを、報せる者はいないのだ。何が何でも……たとえ、この命尽きようとも、化け物の情報を伝えねば。

 

 ―—こつこつ、と歩く音。


 右手で傷口を押さえながら、魔将は複眼を音の方向へ。

 通りを進んで来たのは、一人の少女。未だ、十代半ばだろう。

 長く美しい金髪。人族にしては美貌といって顔立ち。身体を守るは女神の加護受けている筈の軽鎧。そして、片手には厄介極まる聖剣。

 かつて、光り輝いていたそれは、軽鎧も剣も漆黒に染まり、禍々しい深紅の光を放っている。

 表情は絶対零度の微笑。

 そこに、一片の慈悲も容赦も、ほんの数か月前まで少女が溢れんばかりに持っていた優しさと穏やかさ、あどけなさはない。

 あるのは――殺意を超える殺意。

 魔物を、魔将を、魔王を殺す為ならば、躊躇いなく、都市一つを焼き払う決断をする冷徹さ。

 

 ――魔王軍最大最悪の仇敵、『勇者』セリカ。

 

 魔将は怒号を発した。


「貴様っ! 貴様っ!! 貴様っ!!! よくも、よくも……よくも、吾輩の部下をっ!!!! 許さん、許さんぞぉぉぉぉ!!!!!」 


 無数の炸裂魔法を全力発動。進んでくる勇者へ殺到し――全弾直撃。

 通り一帯が吹き飛び、土煙。

 普通の人ならば、まず間違いなく死ぬ。たとえ、勇者の仲間を自称する輩共であっても同様だろう。

 が……魔将は、全力で逃走を試みていた。

 この程度で、どうこう出来るような生物ではない。ないのだ。美しいのは外見だけ。今や。あの娘は。


 ―—土煙を切り裂き、四方より黒炎が襲い掛かる。


 右手を犠牲にし、脚と翅を守る。何があろうとも、こいつの情報を、同輩の魔将へ、魔王様へ届けねば、ならぬっ!

 さもなくば、吾輩の両親、妻、娘、息子はこの怪物によって。 

 再度の黒炎。衝撃。左足が吹き飛ぶ。

 それでも――ジ・バドは、速度を緩めない。 

 もう少し、もう少しで、都市の大門に達する。後は、この身を犠牲にしてでも、張られている結界を突破し、情報を――……複眼が大きく開いた。急停止。狼狽の声が止まらない。


「な、何故だ? な、何故、き、貴様が、吾輩の前にいるのだ?? さ、先程までは、間違いなく後方にいた、筈だ!?」


 大門前には少女が立っていた。魔将には理解出来ない。

 同時に悟る。 

 ―—この怪物に、吾輩では勝てぬ。何があろうとも勝てぬ。魔王様であっても、魔剣がない身では。 

 故に問いかけた。


「勇者よ! 女神に選ばれし勇者よ!! 貴様に、貴様に何があったのだ!!! 貴様は強かった。間違いなく強かった。だが……このように、吾輩一人を誘い出し、殺す為に、吾輩の部下を都市へ誘い込んだ後、皆殺しにするような邪悪さは持ち合わせていなかった筈だっ! それが、何故」 


「―—―—教えて」


 場にそぐわない涼やかで、美麗な声。

 しかし、絶対な意思を感じさせる声。

 たとえ、相手が魔将、魔王、否―—神であろうとも、この問いかけを拒絶したなばら、その場で惨たらしい死を迎えるだろう、ことが容易に想像出来てしまう声。


「百三十三日前、カッサンドラの大橋で、あの人と戦ったのは誰?」

「……カッサンドラだと?」


 魔将が訝し気に応じる。

 勇者は聖剣をゆっくりと構えた。魔力に反応し、深紅が蠢いている。


「知らないなら、いい。魔物、魔将、魔王全員に聞く」

「聞いて、答えがなかったのなら……どうするのだ?」 

「え? 殺すに決まってるでしょ?」


 買い物へ行くかのような、声色。

 魔将は恐怖で震えた。この少女は……自らの欲する情報の為ならば、魔族を、絶滅させるのを躊躇しない。

 同時に理解した。この『勇者』を変えた、変えてしまった出来事を。


「…………吾輩ではない。が、その者の――『カッサンドラの勇者』のことは、知っている。知らぬ筈がない。僅か一人で、吾輩の同輩を止め、進軍すら止めた勇者の中の勇者。吾輩は武人ではない。ないが……一人の漢として、敬意は払う。敵ながら、見事と感服した」 

「……前に殺した魔将と同じことを言うのね。そこまで言って、魔将の名は言わないんでしょ?」

「無論! 吾輩は……我等は同輩を売らぬっ!」

「そ、なら――死んで?」


 漆黒と深紅が混じった斬撃によって、己が切り裂かれつつも異形の魔将は、魔族の未来を案じていた。

 自分がここで死ねば、魔将は残り十名。短期間で三名が呆気なく、勇者に――復讐の怪物によって殺され、その配下の部下達も虐殺された。

 このままでは、遠からず、魔族全体も標的に……せめて、情報―—……。 


※※※


 『ルシードの惨劇』と長く魔族間で語り継がれる一戦において、魔王軍はまたしても魔将を喪った。

 開戦以来、優位に立っていた筈の魔王軍は戦略の練り直しを迫られ、魔王領への長く辛い撤退戦を強いられることになる。

 

 ……戦争の潮目が変わったのだ。

 

 そして、その契機となったのは、間違いなく『カッサンドラ大橋』。

 故に――物語は、そこへと舞い戻る。

 堕ちた『勇者』を救う為、『勇者』は未だ死ねない。

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