2021年 ――震災から10年――
震災から10年が経って。
どうも、みしょうかんです。
2021年3月11日現在のみしょうかんは高校1年生。そして考査期間中です。
その為、中学生の頃のように長いエッセイを書くことはできません。後で長いものを投稿する可能性はありますが、とりあえず震災が起きた日ということで短いながらも文章を残しておきます。……あの震災から、今日で10年であります。
時が過ぎ去るのは早い。そんな使い古された言葉が、ふと頭の中に浮かびます。
16歳の僕が、6歳の小学校入学間近の保育園児だった頃。
日本が戦後を迎えて以来、未曾有の大災害が発生しました。
それから多くのことがありました。日本全体のことだけではありません。
この10年間、学生として過ごした僕にもたくさんの変化があったように思います。
時が移り変われば、全てが変わってしまう。何もかもそのままというわけには。
被災地も、僕が2年前に訪れた石巻のまちも、少しずつ復興しています。
鈍く重い鉄槌を身に振り下ろされようとも、死にさえしなければいつか傷は癒えるように。10年前に、心に受けた生々しい傷も少しずつ消えて無くなってしまうのでしょうか。……そうなのかもしれません。被害が小さかった千葉に住む自分にはそうかもしれない、としか言えないのです。しかし。
仮にそうだとしても。時の流れに、全てが押し流されてしまうとしても。
常に言えることは同じです。あの悲劇を教訓にして、未来を生きようと。
勿論、あの大災厄が何かの反面教師だとか必要悪だとかいうわけでは決してありません。けれども、失ったものは戻ってきたりはしません。
嘆いてばかりはいられない。かといって完全に過去のものだと割り切るのは、何も学んでいないと後世から誹られます。10年前の出来事であろうが何であろうが僕達はあの時、2011年3月11日を生きていたのです。決して風化させてはなりません。
被災者の方々の心はまだ、10年程度では癒えていないかもしれません。
それに対して、過去にばかり囚われるなとは言うことはできません。
しかし、無理やりにでも未来を見て心を明るくしなければ、何も変わらない。
過去は変えられない。過去に受けた傷も、時の流れと共に癒えていく。
だからこそ。過去の教訓を忘れない。まだ変えられる未来を、創っていく。
それは個人レベルでは中々難しい。だから、このようなネット上のエッセイという媒体を使って僕は毎年言葉を発信し続けたいと思います。
短いですが、今日はこれまで。
西暦2021年3月11日23時03分 みしょうかん
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