2020年 ――震災から9年――

震災から9年が経って。


 僕が〈大震災の記憶 あの時、僕は。〉を執筆し始めてから、一年が経った。

 その間に色々なことがあった。

 

 新型コロナウイルス感染拡大による、東日本大震災追悼式の中止。

 原発が立地していた福島県ふくしまけん双葉町ふたばまちの一部地区での避難指示解除。

 その他、大熊町おおくままち富岡町とみおかまちでは帰還困難区域を含めて避難指示が解除された。

 三つの町の避難指示解除はいずれも今年の三月に入ってのことだ。

 

 僕がこの小説を完成させた去年の7月から、また現状に変化があった。

 だから、僕は一度完結させたこの小説をまた『連載中』にして、毎年現状をつづる章を追加していこうと思う。

 それがアマチュア小説家としての僕にできる、唯一のことだと感じたから。

 勿論、何か自分が書きたいと思ったことがあったら、3月11日に限らず急に投稿することがあるかもしれないので、もし良かったら小説をフォローしてもらいたい。

 

 ……さて。

 前述の通り、東日本大震災九周年追悼式は新型コロナウイルス感染拡大に伴って中止となった。だが首相官邸での献花式は行われ、僕は数時間前までそれをツイッターで視聴していた。

 そして午後2時46分に『黙祷もくとう』の声に合わせて立ったまま目を閉じ、震災で亡くなった人々に想いを捧げた。

 その後、安倍首相の追悼の言葉や献花を見て献花式は終わった。

 

 今年の追悼式は献花式に代わられる形となったが、来年は必ず行わなければならないだろう。来年は震災からちょうど10年の年である。

 政府の方針としては、政府主催の追悼式は発災から10周年となる2021年まで実施するとしている。2022年以降の追悼式はその時の状況を勘案しながら決めていくと述べており、とりあえず来年で追悼式には一旦のピリオドが打たれることになる。

 また、政府が復興の総仕上げとする『復興・創生期間』の終了までもあと1年。

 東日本大震災に関しては、今年が節目となる10年目となろう。

 来年、そしてこれからに向けて日本国民全員が力を出し合わねばなるまい。


 今年に入ってみて最大のニュースといえば、やはり新型コロナウイルスだろう。

 中国湖北省武漢市での感染に端を発するこのウイルスは、いまや日本や韓国などの近隣諸国のみならず中東やヨーロッパ・アメリカなど全世界に波及している。

 現在日本では600名近くが感染し、死亡は12名。回復は100名余りとなっている。

 政府の初動対応に関しては色々と批判したいこともあるが、この場ではやめておく。何より、これからの感染防止対策に期待したいところだ。

 そしてこのコロナウイルスの影響によって、追悼式中止や被災地各地での式典の縮小が余儀なくされたり、それ以上に3.11関連の報道減少にもつながっている。

 だが、この感染症は規模や特性こそ違えど、東日本大震災と通じるものがある。それは多くの日本国民が一致団結して、困難に立ち向かわねばならないということだ。手洗いうがいをいつもより意識して行い、不要不急の外出はできるだけ控え、外出をする場合はマスクをする……といった対策を。

 僕は学生の身分だから、今この文章を打ち込んでいる時のように家の中で一日を過ごすことができているが、働いている人たちにとってそれは難しい。僕の父も朝から仕事に出て、母は半日だけ休暇を取ったが午後になると仕事に行った。

 だが、できる限りのことはしていけるはずだ。偉そうだとは自分でも思うが、少しでも感染という一種の恐怖に立ち向かっていってほしいと思う。

 それが去年、僕が二つ前のエピソードで述べた『〈全ての日本国民〉が東日本大震災という一つの大災害を乗り越えた〈その先〉に一体何ができるのか』という問いかけに対する一つの答えなのだと思う。


 話題は変わるが、今年は東京オリンピックの年である。新型コロナウイルスの影響によって、1・2年延期という声も出てきている状況ではあるが、とりあえず話を進めていくとしよう。

 僕は今日Yahooで〈3.11〉と検索した。知っている人も多いだろうがYahooでそう検索すると、一検索あたり10円が被災地に寄付されるのである。僕がこれを投稿する頃には深夜になっているだろうから、まだやっていない人はなるべく早く検索してほしい。間に合わなかった場合は、来年こそはという強い意志を抱いてほしい。

 そしてYahooの3.11特設ページで色々と記事を見ていると、三陸鉄道に関する動画(https://youtu.be/5sduiKxq_q8)を目にした。その動画内で被災地の高校生や三陸鉄道の人・地元の人が一様に言っていたのは『他の人達に来てもらいたい』という旨のことであった。三陸が復興している様子を、国内外問わず多くの人達に見てもらい、三陸の良いところをたくさん見つけてほしい……。そんな想いであった。

 オリンピックというのは、世界から多くの人が集まる平和の祭典だ。3.11で東北など被災地を支援してくれた世界各国の人々が日本に集まり、勿論主目的は観戦だが、その折に被災地が復興しているところを見てもらう。

 今も帰還困難区域は多く、復興が十分ではないと感じている人は多い。

 避難指示が先日解除された双葉町でも、帰還しようと考えている人は全体の10%程度だったという。

 しかしそれでも、そのまだまだ途上の様子を見てもらうことで、自分達の支援は、想いは、少しでもこの地に届いたのだという実感を持ってもらう。

 2020年というある意味節目の年に開催される東京オリンピックは、このように3.11にも重要な意味を担っているのだと思う。

 もしかしたら、今年は開催できないかもしれない。その点については深く言及するつもりはない。しかし。


 いつに行ったとしても、被災地はその時々によって違う色を見せる。


 僕は去年宮城へと行き、仙台市荒浜地区と石巻市に訪れた。いずれもまだ復興は途上といった感じだった。石巻は幹線道路が整備されていて少ないながらも公営住宅が建てられていたが、荒浜地区はまだ海岸に近い地域は殆ど更地で、震災遺構の旧荒浜小学校がその亡き街並みを見守っていた。

 しかし今年またそこへ行けば、新しい公営住宅が建てられていたり人が戻ってきていたりもするだろう。今年は僕は行く予定はないが、必ず再び訪れる。

 そしてその復興の様子を見て、また3.11を絶対に風化させてはならないのだと心に刻み、被災地への支援をしようと心から思うことができる。

 そうして何年間隔となっても何度も被災地に足を運んで、決意を新たにすることで3.11のことを永久に語り継いでいくことができるのだと思う。

 もしこの小説を読んでいる方で、まだ被災地に行ったことのない方がいればぜひ訪れてみてほしい。そして、そこで自分が感じたことや考えたことを他の人に伝えていったほしい。それはどんな方法でもいい。知人に話すでも、ツイートするでも、僕のようにネットで小説にしてみるでもいい。

 ただ一つだけ言えることは。

 

 自分が実際に見て、感じた想いというものは必ず誰かを動かすことができる。


 ということだ。学生特有の青臭い言葉だとは思うが、そうやって一つずつ少しでもいいから行動を起こすことが、何かを変える原動力であると僕は信じている。

 こうやって僕がカタカタと文を綴って投稿しようとしているのも、誰かがこれを見て何か一つでも行動を起こしてくれることを期待するからである。


 来年は震災から10年。

 まだ10年という人もいるし、もう10年という人もいる。

 けれど、そのような人々が一致してできることは、小さな行動を起こすこと。


 その小さな行動が、これからを変えてくれることを信じて。


 今年の3.11がまた終わることを惜しみつつ、このエピソードを終わりとします。


 では、また来年の3.11、もしくは近いうちに。



                 西暦2020年3月11日23時28分 みしょうかん


 

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