そして、これから。


 僕は2019年の3月24日・25日に宮城県仙台市荒浜・石巻市に訪れた。

 それは〈大震災の記憶 あの時、僕は。〉の執筆材料としてである。

 紀行文の中に自分の考えや想いを含ませ、なるべく見てくれている読者の心に響くような、そんな文章になるように努力した。

 しかし読者の中には、何か月もの更新不全を苛立たしく思った人もいるかもしれない。完結が非常に遅くなってしまった、と自分でも思う。

 新学期が始まり色々と忙しくなったこと、〈黎明へ進め〉の更新による遅れなど、言い訳じみているが原因はあった。

 その部分は最初に謝罪しよう。


 ……さて、この小説の結びとなる最終話では、今まで書いてきたことのまとめをしようと思う。各話の最後にも、まとめのような文章を綴っていた自分ではあるが、やはりもう一度考えを整理して、結びとしたい。

 

 まずは、自らの3.11。

 あの時、たったの6才で保育所に通っていた自分ではあったが、今でもその恐怖を多く覚えている。

 鳴り止まぬ大地の怒りと、テレビで報道される大海原の狂騒曲。

 自分が住んでいた地域はそれほどの被害ではなかったものの、小さいながらもあの時起こった大自然の猛威には感覚的に衝撃を受けた。

 その日は自分のことばかりに意識が行っていたがその後、連日報道され続ける被災地の現状を見て、改めて恐ろしさを痛感した。

 

 そして、8年目の3.11。

 カクヨムを始めたのが今年の1月であったから、この機会に紀行文を書いてみようと思ったのが、執筆のきっかけだ。

 まずは自分にとっての3.11を追想してみようとキーボードを叩いていると、案外多く記憶しているものだと心の中で感心した。

 それだけ衝撃的な出来事だったことの証左であるが。

 

 その後、3月24日。

 仙台に訪れ、しばらく市内を観光。

 そして〈荒浜地区〉へと足を進めた。

 ……そこで見たものは何か。


 〈荒地と希望〉である。


 確かに、震災で荒浜地区は災害危険区域に認定され、住民は消えた。

 荒浜小学校にいた多くの児童たちの笑い声は聞こえず、海にはただ、さざ波がこだまするのみ。

 荒浜の全てを呑みこみ、奪っていった震災であった。

 だがしかし、栄枯は必衰する。

 繁栄も廃滅も、永遠ではない。

 新たに荒浜では、希望が芽吹き始めているのだ。

 

 荒井駅舎内には〈せんだい3.11メモリアル交流館〉。

 震災遺構として新たなる歴史を歩む〈旧荒浜小学校〉。

 今年度に完成を予定している、かさ上げ道路の〈県道けんどう塩釜しおがま亘理わたりせん〉。

 そして〈海岸防潮堤・河川堤防〉。

 最後に、後世何百年にも渡り、荒浜を見守り続けるであろう〈荒浜慈聖観音〉。


 これらが、荒浜復興の架け橋になっていくはずだ。

 荒地となった荒浜を再び、元の姿に取り戻す為の。

 ……いや、新たに生まれ変わるのだ。

 震災に強く、また全てを失うことがないような、そんな街に。

 

 まさに、荒浜で感じ取ったものは〈復興への希望〉であった。



 3月25日。石巻。

 その地で自分が想い、文章として書き起こしていく中で分かったことがあった。


 〈僕たちはこれから、何ができるのか〉。


 震災の被害と犠牲を忘れない。

 東北の人々を励ます為に、手紙を送ろう。

 

 立派な考えだ。

 だが、心のどこかでこう思っていないだろうか。

 自分の住む地域じゃなくてよかった、と。

 

 その恐怖を少なくとも知っているが、自分の地域はまだ大丈夫だったから。

 だから、あくまで他人事ひとごとのようなのだ。

 政治家も、メディアも、被災せず避難をしていない人々も。


 寄り添ってなどいないのだ。


 憐れんでいるだけ、偽物だらけの励ましを一方的に送りつけているだけ……。


 ……本当にそうなのか?


 キーボードを叩いていた自分の手が一瞬、止まる。

 構想の時点で書こうと思っていたことを、本当に伝えてよいのだろうか。

 戸惑う、逡巡。


 ……あの旧荒浜小で見た、数多のメッセージ。


 それらも全て、偽物だというのだろうか。

 

 あの中には、実際に被災した人々から旧荒浜小の児童達に送った、の想いが含まれていたことだろう。

 当然それ以外のメッセージは、被災していない遠方の人々からのものだ。

 それらが全て偽物で、本当はそんなこと思っちゃいないなんて考えは、傲慢にも程があるだろう。

 数は少ないかもしれない、本当に震災のことを想っている人など。


 だけど、希望を捨てるには早すぎる。

 

 ……僕が人々の想いを勝手に読んで、理解した気になっていただけじゃないか。

 そう考えると、なんと自己中心的な考えか。

 それじゃあ、心の中で自分のことばかり考える、欺瞞だらけの言葉と金ばかり送る輩と何ら変わりないではないか。

 

 本当に、被災した人々と被災地のことを想って、〈これから〉を考えてくれる人々の事を信じよう。


 それしかない。

 ……本当にそれだけか?

 いや、あともう一つあるだろう。


 この小説を通じて、同じ想いを持つ人を増やすことだ。

 

 ……これだけでは、あまり増えるとは思えない。

 だけど、同じ想いを持つ人がそれを他の人々に伝えていって、更に輪を広げることは可能だ。

 勿論、想いだけでは駄目だ。

 自分なりに考えて〈これから何ができるのか〉を一人一人意見を持つことが大事なのだ。そう言っておいて何だが、自分もまだ解は見つかっていない。

 だが、絶対に見つけるだろう。

 

 この小説を読んでいる人々にも考えて、行動してもらいたいと思う。

 

 考えて考えて、考えても見つからなさそうな〈自分の答え〉を見つけ出して、伝えていってほしい。


 それが、僕がこの小説を書いた意味なのだろう。


 最終話になって、そんなことを思う。


 そして今まで、この小説の更新と完結を待っていてくれた読者の皆様に、最大の感謝を申し上げます。

 

 読者の皆様。

 どうか、3.11を忘れないでください。

 そして、被災した人々と被災地のことを想い、自らがこれからできることを考えて自分なりの答えを見つけ、それを伝えていってください。


 この言葉を以て〈大震災の記憶 あの時、僕は。〉の結びとします。


      

                  西暦2019年7月7日22時53分 みしょうかん

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