ありがとう Chapter.5
「クッ……決め手が無い!」
高度を取った滞空に眼下を分析し、ブリュンヒルドは歯噛みした。
街並みがミニチュア模型と矮小化する巨大な蛇体は、鎌首をもたげて彼女を威嚇する!
(街人達を
(せめて
無い物ねだりだ。
敵は待ってなどくれない。
相手取るのは、あの〈
「キシャア!」
蛇頭が
毒々しいそれを、ブリュンヒルドは
外れた汚泥は背後の家屋を呑み込み……融解した!
毒液だ!
「厄介な!」
汚らわしい攻撃を嫌悪する!
続け様に
ブリュンヒルドを呑み込まんと迫り開く
「
左への跳躍に
(やはりブリュンヒルド一人には重荷……せめて
上空の攻防を見極めながらも、ヘルが防御を解く事は無い。
「よぉ、
悠然とした茶化しが、彼女の
「……ぬけぬけと!」
腹立たしさに正面の
その憎悪を受け止めつつも、ロキは涼しく悪態を続けた。
「大変だなぁ? そんな足手まとい共を一手に引き受けてよォ? いっそクソッタレ共なんざ見棄てちまえばいいじゃねぇか? そうすりゃ〈
外道な提案に背後がざわめく。
また畏怖の念が高まった。
が、ヘルは
「……黙れ」
「あん?」
「黙れと言っている! ロキ!」
「……テメェ? 誰に物を言ってやがる?」
スゥと細まる威圧。
だが、
「
「……ヘッ、御大層な
そして──「キシャアァァァーーーーッ!」──狂暴なる毒牙は再び地上の
「いけない!」
すぐさま蛇頭を追うブリュンヒルド!
注意を
「クッ!」
上空からの襲撃に、ヘルは〈
(正直、これまでに疲労は激しい……されど、護らねばならぬ! 尊き命を!)
「ヒャハハハハハッ! ヒャーーハハハハハハハッ!」
狂騒する高笑いが
「ヒィィ!」「うわぁぁぁ!」
背後には恐怖する悲鳴!
その中には、マリーもいる!
「いやぁぁぁーーっ! お姉ちゃーーん!」
落雷!
闇天を裂く落雷!
白く轟いた光の柱が、邪悪な魔獣を
脳天から尾の先端まで
「ま……まさか?」
背後の宙空から放たれた一矢に予感を覚え、ブリュンヒルドは沸き立つ想いのままに振り返った。
「……フッ、来たか」
待ち望んでいた参戦に、ヘルは淡く苦笑していた。
確信していた事だ……この〈
「バ……バカなッ?」
驚愕に呑まれるロキ!
仰ぎ見るに
あり得るはずがない!
だが、間違いなかった!
青白き帯電
「お……姉ちゃ……」
凛々しく──
一撃を加えられた
巨蛇は
標的は、新たに加わった〈
黒雲が稲光と猛雨の交響曲を轟かせる中で、濁流と蛇体が踊り流れる!
迫る毒牙!
押し寄せる
その巨大な災厄を、
焦りは無い。
臆する事も無い。
そして、油断も無い。
確固たる冷静さの前には、蛇竜の
「ブリュド」
「ブリュンヒルドです!」
「
「神敵たる蛇怪〈ヨルムンガンド〉──神魔狼〈フェンリル〉の弟です!」
「そうか……じゃあ──」
何を言わんとしているかを汲み、ブリュンヒルドは頷いた。
「──ロキの息子です」
「……そうか」
「キシャアアァァァーーーーッ!」
だが──「ふんっ!」──
迫る蛇頭の横っ面を殴り抜く!
またも仰け反り崩れる巨体!
倒れ沈む
眼下の敵を見据える。
視線が繋がった。
「よぉ、バケモノ」嘲笑した侮蔑に
「ああ、そうだな」
「ヘッ、不死身かよ? テメェは?」
「いいや」
返ってくるのは、湖面のように鎮まった
何故なら、
凡百な〈怪物〉とは格が違う!
根本から〈
特別だ!
特別だッ!
それを……たかが〈
「クソが!」
込み上げる苛立ちに、自尊のメッキが穿ける!
「……ロキ」
「ああっ?」
「先に謝っておく。もう
「な……っ?」
「そして、次は
一瞬、さすがのロキもゾッとする。
何の感情も帯びず平然と死刑宣告を
好機は訪れた。
堪え忍んだだけの価値はある好機だ。
だから、
(相変わらず目先の事にだけ囚われ、
ともあれ、ようやくにして行動が起こせる。
手近な人間を目で探せば、すぐ
「そなた、確か〝マリー〟とか言ったな?」
声を押し殺して呼び掛ける。
思わずビックリした顔を向けるマリー。
まさか〈先代領主様〉から声が掛かるとは思っていなかったようだ。
「あ、はい。ヘル……女王様」
すぐに
「……ヘルで善い」浅い苦笑に砕ける。「これより
「え?」
意表を覚える指示であった。
てっきり〈
これはマリーに限らず、ダルムシュタッドの民達が
しかし、眼前の彼女からは、そうした邪悪な印象を一切受けない。
そう、ブリュンヒルドや
だから、信用するのには数秒しか要さなかった。
「……うん、わかった!」
「分かった……か」あまりにも早い子供特有の順応に、ヘルは苦笑いを浮かべた。「さて、私も
誰に言うとでもなく決心を吐くと、
「何をしてやがる! ヨルムンガンド!」
意のままに描かれぬ戦況に、ロキは腹立たしさを吠えた!
元々〈
とは言えど、あまりにも無様過ぎる。
「……クソが!」
呪詛を込めて吐き捨てていた。
「ブッ殺した……確かにな……なのに、何故だ! 何故、生き返ってやがる! 何故、おとなしくくたばっていねぇ! 何故、オレの邪魔に立ちはだかる! 何故だ!」
「それが
不意に聞こえた声が、ドス黒い渦へと呑み込まれた意識を呼び戻す。
振り替えれば、赤煉瓦建築の狭間から一人の男が歩み出て来た。
「……サン・ジェルマン」
唇噛みに睨み据える。
好かぬ顔だ。
「そうか、テメェか? 裏で画策していやがったのは!」
「画策?」
「
浴びせられる
「フッ、そうか……
「グッ!」
失言に気付いて言葉を呑む。
が、卿は上空の戦況を
「彼女は〈被造物〉だ。少なくとも〈神〉の介入によって生まれた〈
「ぅるせえっ!」
「〈神〉の根は〝畏敬〟だ。その強大さに
「っるせえって言ってんだろうが!」
指先から放たれる〈
左肩を撃ち抜いた!
が、その痛みを堪える間に、みるみる傷口は塞がる。
絶対に死なぬ男──殺せぬ男────つくづく好かぬ。
「チッ、
「
「ああっ? 愛だぁ?」
「そう、愛と狂気と……
「ケッ! ほざきやがるぜ……」
毒突きを吐き捨て、再び雨天を仰ぎ見た。
雷光
「……阿呆が」
と、不意に聞き捨てならないざわめきが耳に聞こえた。
「……スゴイ」
「何だ……あの〈怪物〉は?」
「あの巨大蛇と互角……いや、それ以上じゃないのか?」
人質達であった!
(チィ!)
意気が再燃している!
それは
徹底した恐怖によって畏敬を集め〈
(冗談じゃねぇぞ! 全世界をオレの〈
「ロキィィィーーーーッ!」
虚を突いた大鎌の奇襲!
明後日の方向から斬り掛かってきた刃を、ロキは
「グッ?」
頬に刻まれる浅い赤筋!
距離を取った着地に顔を上げれば、黒衣の襲撃者はサン・ジェルマン伯爵と並び立つ!
「ヘル……テメェェェッ?」
「ロキ! 〝ダルムシュタッド領主〟の名に措いて、この混沌を終わらせる!」
「ふざけんじゃねぇぞ! この出来損ないが!」
「もはや理不尽な威圧は通じぬ! あの〈
「チィィィ!」
また
画策していた算段が総て狂わされた!
たった一匹の〈怪物〉に!
総て!
総てッ!
総てッッッ!
「……
自然と零れる呪怨。
直後、サン・ジェルマン伯爵が声高に誇示をした!
「
「ッ! テメェ?」
呆然としていた民衆の意識が、一気に卿へと注がれる!
歯噛みしたのはロキだ!
まさか、このタイミングで駄目押しを
「何かね? 私は、ただ
「テメェェェ……ッ!」
肌で感じる──恐々と怯え震えていた愚民共から発散され始めた温かな光を!
それは〈
早々に手を打たねばならない!
「何が〈
「
「ああっ?」
「私は
涼しげな瞳に宿るのは、
それは到底〈死〉を追い求めていた男とは思えぬ
(また、あの〈怪物〉か! どいつもこいつも……
その
「オレが
「かつては
卿の
それは……
蛇体は
豪雨に染まる黒天を
「クッ! しつこい!」
優雅な回避に大きく距離を取り、ブリュンヒルドは
旋回に動く巨体は
が、その持久力と
「マリーには?」
滞空に合流した相棒へ
「……会わない」
敵の挙動を警戒視したまま〈
「まだ、そのような事を……うわっと?」
またも迫る鱗の鉄砲水を、大きく距離を保った離脱で回避する。
「御会いなさい! いましか無いでしょう!」
「ダメ」
「頑固者!」
「うん、頑固」
相変わらずの
(マリーといい
手の掛かる〝妹〟を
「いいから行きなさい! マリーは〝友達〟でしょう! 大好きな……大事な〝友達〟でしょう!」
「うん、だから会わない。マリーを、もう怖がらせたくない」
「
「仲直り?」
「本当に〝友達〟なら、それで元通りです!」
「でも……」
「何です!」
「コイツ、ブリュド
「あ……」
指摘の先には、
確かに〈
だが、それでも……!
「
「ブリュド?」
「行きなさい! 悔いを残さないためにも! もしも従わないなら……」
「うん、従わなかったら?」
「……絶交です」
「それはイヤだ」
本気で驚いた表情を浮かべる〈
そして、優しく
「だったら、御行きなさい」
「うん、わかった」
眼下を探せば、その姿はすぐに見つけられた。
いいや、例え何処であろうと見つけるであろう。
その〝愛しい存在〟を……。
「……ブリュド」
「何です?」
「すぐ戻る」
背中越しの要らぬ気遣いに、慈しみを
「持ちこたえますよ……絶対に」
「うん」
そして、雷弾は降下に宙を蹴った!
だが、その追撃は渾身の一撃に
「行かせませんよ……誇り高き〈ブリュンヒルド〉の名に懸けて!」
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