ありがとう Chapter.2
ハリー・クラーヴァルが〈フランケンシュタイン城〉に同居して、三ヶ月──。
フォン・フランケンシュタインたっての
驚いた事に、彼はこの若さにして城主だという。
「俗世は誤解をしているけど、この城の
この点はサン・ジェルマン卿も素直に感嘆を抱いたものだ。
実のところ、フォンが同居を
さりながら、これはサン・ジェルマン伯爵にとっても好都合ではあった。
流れさえ
二人が初めて出会った場所であった。
それ
使用人に聞かれる心配も無い。
親友だけが共有する秘密の語らい場だ。
水平と広がる青は、囲い
少しばかり小高い丘に孤高と
「いいかい、ハリー? つまり〈電気〉なんだよ! 電気こそ〈科学〉の基盤であり〈生命〉の重要項でもあるのさ!」
興奮気味な口調で持論を展開するフォン・フランケンシュタイン。
この三ヶ月で彼等の関係はグッと距離が縮まっていた。
「
余裕を
この手の抗論では、決まって関心薄く振る舞った。
彼の傾倒熱を軟化かせる
が、信念めいた貪欲な知識欲が折れる事は無い。
今回も、そうだ。
「ああ、そうさ。だけどね、ハリー? 彼等が〈生命の真理〉に辿り着く事は無いよ。賭けてもいい。何故なら、彼等は〈
「ほう? それは?」
「それは
自信に足るフォンの持論に、サン・ジェルマン卿の眉尻がピクリと反応した。
そんな
「考えてもみてくれよ? 仮に〈電気〉を
(驚いたな……まさか独学持論で、そこまで
サン・ジェルマン卿は内心舌を巻いた。
一見『科学論』からは掛け離れたオカルティズムにも映るだろう。
こんな持論を学会で弁舌しようものなら〝
が、さりとも、それは
物理的合理性を根とした現行科学論だけでは、到底
何故ならば、それは〈哲学〉の領域たる倫理観であるのだから……。
(〈哲学〉と〈科学〉──それは何も相反する物ではない。
景色の青に虚無感を逃がす。
眼前に遊ぶ蝶の黄羽根が、その雄大なキャンバスへ溶け込んだ。
それは
「……トラウマなのかね?」
「何だって?」
「
ビクリと硬直を見せるフォン。
だが、
「オイオイ、聞き捨てならない邪推だな? やめてくれないか、ハリー? 確かに
「だが、それは〈神の領域〉を侵す禁忌だ」
「ハリー! 時代は移り変わるものなんだ! そして、やがて〈科学〉は〈神〉さえも凌駕する!」
反目に交える誇り高い否定!
まさに一触即発と張り詰める両者の意固地!
と、その時──「御二人ったら、また眉間に
「エリザベス?」
予想外の参加者にフォンは面食らい、ハリーは親しげな会釈を
「やっぱり此処にいたのね、フォン? それにハリーも」
清楚でありながらも彩飾に気品を散りばめたドレスが、勾配緩やかな丘を静々と登って来た。
長く艶やかな黒髪は後頭部に詰めて気品を保つも、やはり北欧に
そうした繊細な美貌に刻まれながらも、おおらかで柔和なオーラに祝福されている女性であった。
それは、彼女の慈母的な性格が投影されているからであろうか。
彼女の名は〝エリザベス・ランチェスカ〟──フォン・フランケンシュタインの
名門貴族〝ランチェスカ家〟は、フランケンシュタイン家とは古い付き合いだという。
ややあって合流したドレス姿が腰を下ろすと、緑の丘陵に白い花と咲いた。
「エリザベス、どうして此処へ?」
「あら、いけなくって? ハリーと一緒に出掛けたのだから、きっと此処だ……って思ったのよ?」
「何だって?」
「フッ……どうやらエリザベス嬢には、とっくに看破されていたというワケか」
「なんてこった!
拍子抜けするフォンに、涼しい苦笑を携えるハリー。
その二人の反応を交互に見比べ、クスクスと笑うエリザベス。
それはサン・ジェルマン卿にとって、永らく望む事すら忘れていた福音であった。
常に〈死〉を追い求めてきた
「ハリー、聞いてくれ!」
興奮醒めやらぬ勢いで、フォンは部屋へと駆け込んで来た。
ハリー・クラーヴァルは、静かに本を閉じる。
「どうしたというのだね? フォン? 常に沈着な
「これが落ち着いていられるものか!
「随分と詩的な事だが、
「彼女が……エリザベスが、僕の
「何だって? それは本当かね?」
さすがのハリーも、これには素直に驚いてみせた。
予想外……というわけではない。
正直、この二人は
さりながら、フォン・フランケンシュタインも、エリザベス・ランチェスカも、奥手である。
進展見せぬ恋路は
(それが、こうも一気に飛躍するとは……つくづく運命とは分からぬものだ)
安堵めいた苦笑を
と、同時に久しく新鮮な好奇心が刺激された。
「決め手は何だったのだね?」
「さあ、何だったのかな? ともかく、彼女の独白には面食らったよ。まさか縁談の話が持ち上がっていたなんて、
「縁談? それは寝耳に水だが……?」
「ああ、
「ふむ? それで?」
「だから、
「詩的だな」
「笑うかい?」
「いいや」
共に過ごす時間の中で卿は学んだ。
この青年は単なる合理的理屈の
そうした論と並列して、詩人並みの感受性も
ともすれば〈唯物的科学論〉と対極的な〈哲学的観念〉へと着地するのは当然であり、それは皮肉にも〈錬金術的禁忌〉へと開眼させてしまったのだ。
ややあって、フォン・フランケンシュタインは
「それで……なんだがね? 実は
「旅に?」
「ああ。今回の流れは、それこそ〝略奪愛〟だ。ランチェスカ家だって腹に据え兼ねるだろうさ」
「ふむ? 駆け落ち……か」
「おっと、止めてくれるなよ? ハリー?
「止める? まさか?」
彼が
「……スイスだな」
「何だって?」
「スイスには、
「そいつは有り難い! 渡りに船だ! だけど……」
「何かね?」
「いや、家主の許可は?」
「心配は無用だよ。家主〝バイロン卿〟は、
「ああ、ハリー!
真摯な友情に心から感動し、フォンは
とは言え、実のところサン・ジェルマン卿には打算もあった。
(エリザベス・ランチェスカ──愛する者との日常が、彼から狂気の理想を失念させるやもしれない)
結局のところ
非凡の才は偉業を
そうした才人を、サン・ジェルマン伯爵は多々
この
そして、彼女──エリザベス・ランチェスカを。
しかし……何故であろうか?
何故、彼女の事を想うと心が乱されるのであろうか?
祝福されるべき若者達である。
似合いの男女である。
二人共、掛け値無しに大切な存在である。
嗚呼、嘘偽りの無い賛美を捧げよう!
しかし…………何故?
エリザベス・ランチェスカの死去をハリー・クラーヴァルが知るのは、これより一年後となる。
放火による焼死──それが死因だった。
「何故だ……フォン・フランケンシュタイン! 何故〈
「
「ッ!」
久しく交えていなかった
暗く灯る蒼い照明。聖堂
〈
風の噂に聞いたものの、ハリー・クラーヴァルは信じたくなかった。
真偽を確かめるべく、サン・ジェルマン伯爵は所在を探り続けた。
そして、運命は皮肉にも両者を〈敵〉として対峙させた……。
「偉大なる指導者〝クリスチャン・ローゼンクロイツ〟は総てを教えてくれたよ──
「そ……それは!」
「不老不死の
「違う!」
「彼は
「……その対価として〈生命創造ノウハウ〉の総てを明け渡すというワケか」
「ああ、そうさ。
(……クリスチャン・ローゼンクロイツ! 前途ある若き才気をたぶらかし、その情熱を
愚劣なる悪意に嫌悪の炎が猛る!
「まぁ、いいさ。もう
フランケンシュタインが指を鳴らすのを合図に、彼の背後に物々しい機械装置一式が競り上がってきた。
そして、拘束台に捕縛された
「エリザベス?」
紛れもない!
その優麗な美貌を見間違うはずもない!
肢体の節々が傷んではいた。右顔面は無惨に焼け崩れ、艶やかだった黒髪は灼熱の暴力によって煤けている──が、見間違うはずがないのだ!
それが
「
「馬鹿な事は
「馬鹿な事だって?
「踊らされるな!
サン・ジェルマン伯爵の鬼気迫る制止を耳に、やがてフォン・フランケンシュタインは虚脱的な抑揚に吐露する。
「ねえ、
狂気に魅入られた高笑い!
それは〝不死身の男〟たるサン・ジェルマン伯爵すらゾッとさせるものを
哀しいかな──眼前に在る狂人は、もはや卿の知り得る
「さあ〈電気〉よ!
一転、堰を切ったかのようにスイッチを入れ始めるフランケンシュタイン!
けたたましい振動音を唸り、狂科学の発明装置が目覚める!
帯びる蒼き電光!
その光蛇は
ガルバーニュ電流の手荒い刺激が、深き眠りにビクビクと
「そうだ! 嗚呼、そうだ!
「
そして、一発の銃声が狂愛を終焉させた……。
何故、幸福と不幸は等分ではないのか?
フランケンシュタイン城応接間にて、サン・ジェルマン伯爵は無情を噛み締めていた。
その命題は〈生〉に流れ過ぎる時代に幾度となく体験してきた事である。明答など無い。
うつろう意識の外で、激しい雷雨が荒れている。
いつから降っていたのであろう?
数分前か?
数時間前か?
城主たる
使用人も皆去った。
広く暗い城内には、死人のような気配に生きる
愛する二人の死体だ。
防腐剤投与に冷凍保存──皮肉にも〈
何故、二人の死体を保管したのか?
それはサン・ジェルマン卿自身にも判らない。
衝動的な選択であった。
ともすれば、失いたくなかったのかもしれない──
──
雷鳴は
時代は流れる……。
だから何だ?
世は〈近代科学主義〉なる時代を迎えた……。
だから何だという?
雷雨は
それは果たして現実だろうか──。
それとも心理の情景であろうか────。
と、永い歳月の黙考に飽きたかのように、サン・ジェルマン卿は暗く沈む顔を上げた。
「いや、待て……元来〈生〉と〈死〉は表裏一体──ならば、
机の引出しを乱雑に漁り、不要な物を投げ捨てる!
捜し物は、ただひとつ!
かつて〈死〉を得るために研究を重ねた手記!
それを、このような形で役立てる日が来ようとは……。
「確かにエリザベス・ランチェスカの脳は炎熱に殺されている……だが、フォン・フランケンシュタインの脳は無事だ!」
しかし、肉体破損はどうする?
蘇らせたいのは、
フォンか?
エリザベスか?
「
ならば、両者の身体を
それでも足りなければ、死体漁りも辞さぬ覚悟だ!
「死なせない! このまま
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