~第三幕~
ありがとう Chapter.1
黒天の
唸りは現世の魔界を
卿が肩に抱える
大きな螺旋にうねる石造りの階段を登ると、黒鉄の枠組みに補強された樫戸が待ち構えていた。
その向こうが〈
乱雑な放置ぶりが
幾つもの卓上には雑多な実験器具が転がり、
「此処が……
物珍しさに室内を見渡すブリュンヒルド。
科学的な充実を賑わした部屋など初めて見る。
とりわけ部屋の片隅に陣取る機械設備群は、異彩な存在感を強烈に印象付けた。
壁際には粗雑な木板が寝台と据えられ、それを囲うかのように大掛かりな機械や計器類が全容を隠している。
それらが暗に示しているのは、何かしらの猟奇的実験である事は想像に
そして、
「こっちだ! 手伝ってくれ!」
サン・ジェルマン卿の呼び掛けに従う。
寝台に
その光景を見ると
が、当のサン・ジェルマン卿にしてみれば関係無い。
ただ〈
彼女の
「それは?」
ブリュンヒルドの
「〈
「
ヘルの見解にピクリと止まった。
「そんな単純な話では済まない……。
「やはり
言葉の
その抑揚は哀しく、その表情は憐れみに
「軽蔑するかね? 神に反逆した
穏やかに首を振る。
「それは、
返す言葉に詰まるサン・ジェルマン卿。
憂慮に虚空を仰ぎ、紡ぐ主張を模索した。
意外な事に彼を組み敷いたのは、暴力でも脅威でもない──誠実なる博愛だ。
立ち尽くす黙想が想いを探り触れる。
雷光が轟いた。
幾度目の
果たして、
街外れに
そして、欲望は
飲んだくれの宿無しには
彼──〝アイゴール〟には。
背ムシの男である。背中が妊娠しているかのような
顔は
生まれながらにして背負う障害は、親が捨てるに充分な
以後、
ただ残された権利〝生〟を守る
此処〝ダルムシュタッド〟へも、そうした経緯で流れ着いたに過ぎない。滞在して一年強というのは、彼にしても長い方だろう。
金属や機械部品は、
しかしながら、どうでもいい。
目的は、
「へへっ……あったあった」
嬉々と発掘したのは、
飲み干したとはいえ、内側に付着した
その
酔いへの渇望に
安い誤魔化しに
「……クソッタレ!」
予想通りだが、
だから、瓶底を叩いて呼び込んだ。
不快に顔面を濡らす
雀の涙が尽きると、飽きて放り捨てた。
そして、新たな残り酒を探す。
これを
地平曇らせる
「おかしな野郎だぜ? わざわざ、こんな雨の中を歩いて来るなんざ?」
とはいえ、
他人には興味など無い。
が、少々違和感を覚え、アイゴールは改めて見入る。
「待てよ?
その
一瞬、嫌な発想が
街と城塞の間には、広大な岩盤が続いている。
基地を中核とした六〇〇平方メートル範囲は、演習目的に
それら──街周辺を含む──領域は強固な有刺鉄線網で囲われ、
仮に何らかの
地盤が
そこから〈デッド〉が
慌ててゴミ山へと身を潜め、気配を殺した。
手近に武器を探したが、金属類は回収されている。鉄パイプすら無い。
「コイツぐらいか」
仕方なく角棒形状の木材を手にした。
気休め程度の武装でも、何も無いよりは良い。
深い
彼のような
「違うな……〈デッド〉じゃねえ……足取り……そして、体幹が、しっかりしてやがる。じゃあ、何者だ? 何だって、こんな奇妙な方角から来訪してやがる?」
胸元開きに着こなした紺色の革ジャン。
後ろへと流した蒼い長髪。
全体的に細身にも見える長身は、
視認情報から漠然と受ける印象は、全体的に粗暴だ。
「どちらにせよ……
武器を握り締める。
仮に〈デッド〉なら、命の危機を除外できる。
仮に〝人間〟ならば、迫害へと
仮に〝
獲物が間合いに入った瞬間を見計らい、アイゴールは角材を振り上げて躍り掛かった!
「くたばれ!」
渾身の
つんのめる上体を
「くたばれ! くたばれ! くたばれ! イヒヒヒヒ……くたばれ! くたばれ! くたばれ!」
殴る!
殴るッ!
殴るッッッ!
暴力はアドレナリンを分泌し、彼は陶酔的な高揚に
と──「……オイ」──静かなる凄みを含んだ声が、
睨み返してくる
「ひっ?」
無様な尻餅に転げるアイゴール。
体勢を保ち直した長身の男は、
「テメェ、
格の差であった。
轟く雷光を背にしたシルエットは、無慈悲な苛立ちを発散していた。
「ひぃぃ!」
完全に畏怖へと呑み込まれ、アイゴールは身を
制裁の光が〈
「御許しを! 御許しを!」
直訴を泣き叫ぶ!
その脅えきった哀願は、
と、
死刑は執行の気配が失せていった。
違和感を
「……プッ、醜いなぁ? テメェ?」
「え? ハ……ハイ」
「テメェ〈怪物〉か?」
「ハ……ハイ!」
御機嫌取りに大嘘を飾る。
だが、だからどうした?
この
どうせ
彼は、そうして生きてきた。
眼前の矮小を品定めに眺め、やがてロキは打算を弾き出す。
「オマエ、俺の手足となれ」
「は……はい? と、申しますと?」
ロキは煙雨霞む街並みを睨み据えた。
「こんな街は、一瞬で灰に出来るがよぉ……それじゃ面白くねぇ。何より
「アイツら?」
先の咆哮への畏縮は何処へやらで、街は就寝の
それは日々迫害に
炎を踊らせる暖炉。
その熱に
雨に奪われた体温を取り戻そうとブランデーを
先刻まで作業没頭に居た場所を
機械の
考え得るだけの処置は
落雷も
その
生命再生には
(それだけ、ロキ戦のダメージは深いという事か……)
無理からぬ。
相手は〈
(
疲労から目頭を押さえ、虚空を仰いだ。
最早、
運を天に──
それは、つまり〈
何とも皮肉な理不尽さに、自然と乾いた自嘲が
「ハリー・クラーヴァル──いえ、サン・ジェルマン伯爵……」
ブリュンヒルドだ。
「……何かね?」
「
「……聞いて、どうしようと?」
疲労からか……卿の声音は冷めていた。
それでも、ブリュンヒルドは心穏やかに受け止める。
「分かりません。分かりませんが……聞いておかねばならぬ気がするのです。
「忌まわしき悪魔の所業……それを知ってしまう覚悟はあるのかね? ともすれば、
自責の吐露にも似た忠告に、
「目を
やがて、サン・ジェルマン卿は深い
「……
不死身の男〝サン・ジェンマン伯爵〟が初めてダルムシュタットの街を訪れたのは、旧暦中世末期にまで
肝心なのは、
木漏れ日が穏やかに顔を撫でる。
「……寝入っていたか。それなりに疲れていたな」
大樹の根本で目を醒ます。
緑萌える丘陵だ。
小鳥の
半身を起こせば、眼下には広い湖面が光の反射を小波に刻んでいた。
「ダルムシュタッド……いい所だな。だが
淡く自嘲を含む。
異端としてさすらう
永き歳月に探究した〈生命の神秘〉を
『Fの書』──彼自身は、そう命名した。
そう、
だが──「まだまだ足りない……か」──
「果たして、この地では
そんな
「どいてくれ! すまない! どいてくれーーっ!」
必死な喧騒が近付いてくる!
何事かと振り向けば、青年の乗った馬が一心不乱に駈けて来るではないか!
いや、
馬は興奮のままに暴れ狂い、前屈体勢の青年はやっとの事で背中へとしがみついている状況だ。
卿は動じる事もなく、数歩の後退で進路を
一挙駆け登る荒くれ馬!
涼やかな傍観視の横を擦り抜ける……瞬間!
「とあっ!」
予備動作の無い跳躍に、サン・ジェルマン卿は
青年の後ろだ!
すかさず背後から
「ドウッ! ドウッドウッ!」
次第に鎮まる野生。
ほどなくして完全に従順へと返った馬を、卿は
面喰らったのは、
無理からぬ。
数秒の間に信じられない事象のオンパレードであったのだから。
「あ……ありがとう」
「馬は初めてかね?」
「あ、いや……そうだな。そろそろ年齢相応に慣れようと挑戦したんですが……この様で」
ばつ悪そうに砕けた苦笑いを浮かべる。
自然と敬語になっていたのは、この精悍な顔立ちの紳士が歳上だと察したからであろうか。
それとも静かなる威風に祝福されていたからであろうか。
サン・ジェルマン卿は、その人好きのする笑顔を黙想に観察する。
年齢は二〇歳後半ぐらいか。
ともすれば警戒心が薄過ぎるかのようにも見える好感は、
さりながら、興味を
脈絡と続く流浪旅では、
つまりは〝お人好し〟と呼ばれる存在である。
卿にしてみれば草木と同じ──嫌いも好きも無い。
萌える丘陵にて象徴的に繁る一本の
「それにしてもスゴいですね? ハリー・クラーヴァル? さっきの一幕には驚嘆しました!」
サン・ジェルマン伯爵は、またも偽名を
これより先──このダルムシュタッドに滞在する限りに
「長い事、旅をしてきた中で、馬には多少慣れているのでね」
「いえ、それよりも、あの身のこなしですよ。それに反射神経や跳躍力も……」
その指摘に、卿は弁解を探した。
彼の運動神経は〝常人〟ではない事に起因するものだ。
取り立てて〈超人〉として生まれたわけではないが、それを磨くに時間は有り余っている。自然と蓄積される経験も多い。
そして、それを実践できるだけの
「何にせよ、
「研究?」
「ええ、つまり『生命神秘への探究』──俗っぽい言い方をすれば『不老不死の研究』ですよ」
「──ッ!」
「……やめたまえ。明るい前途を奈落に落としたくなければ」
「奈落ですって? とんでもない! これが実れば、万病すら克服できる! 何せ
揚々と力説する青年の瞳は、一点の曇りすら無かった。
若さ
その希望は危なっかしく、そして
(……目を離すべきではないか)
心静かに決意した卿は、緑の座間から立ち上がった。
「
仰ぎ眺める好青年に手を差し伸べる。
それを受け取り、青年は引かれるままに起き上がった。
「フォン──フォン・フランケンシュタインです」
これが生涯の友となる若者との出会いであった。
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