わたし Chapter.7

 見くびっていた!

 正直〈冥女帝ヘル〉は〝呪術方面にだけ長けた存在〟だと!

 その甘さに〈戦乙女ブリュンヒルド〉は唇を噛む!

 身の丈ほどもある大鎌デスサイズを振りかざす漆黒の女神は、自分と互角に空中戦を渡り合うだけの充分な応戦力を発揮していた!

(このままでは!)

 眼下の〈〉は満身創痍の膝立ちに屈し、自由に動く事すら叶わなかった。フェンリル戦の疲弊は思ったよりも激しい。

 そんな無力を、ロキは優位性になぶり続ける!

 ゆっくりと向けたてのひらから放たれる光弾!

「うっ!」

 顔面直撃を受けて吹っ飛ぶ〈〉!

「ぐ……うう!」

 無様に数メートル転がると、なけなしの気力を杖に這い起きる。

 が、悠然たる闊歩に近付いた加虐心は、至近距離からまたも光弾をるのであった!

「どうしたよ〈怪物・・〉? さっきまでの勢いは?  それとも、いっそ〈雷神トール〉にでもすがるか? 『たすけてパパ~!』ってな? ヒャハハハハハッ!」

「グウゥ!」

 体内に残された電気いのちを振り絞り、泥濘ぬかるんだ地べたから巨躯きょくを引き剥がす!

 が──「……ウゼぇよ」──またもる光弾!

 無抵抗に吹っ飛ばされ──泥にまぶされ、起き上がり──吹っ飛ばされる────その無慈悲な私刑リンチが幾度繰り返されたであろうか?

 あまりにも下衆ゲスなやりくちに、ブリュンヒルドの堪忍袋も緒が切れる!

「ロキィィィーーーーッ!」

 憤怒に燃えて特攻せんとした矢先、またしてもヘルが眼前に滑り込んだ!

 襲い掛かる大鎌デスサイズを、小型円盤盾バックラーが横凪ぎに弾く!

「退きなさい! 冥女帝ヘル!」

「そうはいかん! ブリュンヒルド!」

 操者の体重を乗せた両武器が競り合った!

「〈冥女帝〉とはいえ、私には支配できぬ者が三つ在る。ひとつは〈神〉……あるいは〈魔〉と呼ばれる存在。これらは、我がことわりに在る」

「な……何を?」

「もうひとつは〝神力や魔力に依って再生した知性体〟──貴様のような……な。あの〈科学兵士ウィッセンチャフト・ソルダット〉とやらを容易たやすく支配できたのは、その根が〈科学〉とやらでありうつろであったからだ。仮に〈吸血鬼ヴァンパイア〉や〈死霊レイス〉ならば、如何いかに私とて意志力の対決に組み敷く必要がある」

「だから、先程から何を!」

 均衡崩しの一振りに戦乙女ヴァルキューレを後退させる大鎌デスサイズ

「そして、最後は──」憐憫れんびんとも取れる眼差まなざしが、地上のにえを見据える。「──世のことわり総てから外れた未知」

 滞空に踏み留まったブリュンヒルドは、すぐさま踏み込んで再び取り付いた!

「だから彼女・・をロキに任せ、自分は私の足止めへと徹する──仮にも〈冥女帝〉と呼ばれた貴女あなたが、姑息な手先に堕ちるとは! 恥ずかしくはないのか!」

「私はロキの娘・・・・だ……逆らう選択肢など無い」

「神の一端が!」

「逆におう〈戦乙女ブリュンヒルド〉よ? 貴様は何故、あの〈怪物〉に汲み入る? それは〈オーディン〉の意思ではあるまい? よこしまなる人外に通ずるなど〈戦乙女ヴァルキューレ〉として最大の禁忌タブーではないのか?」

「そ……それは!」

 わずかに生じた動揺を虚と突き、大鎌デスサイズが裂く!

 瞬時に戦士の本能が受動的反応を見せ、後方跳躍に間合いを取った!

「……よこしまではありません」

「何?」

「確かに、彼女は〈怪物・・〉です……しかし、よこしまなどではありません! 彼女の本質は〝純心なる魂〟そのもの! なればこそ、私は守るのです! おのれの〝正義〟に準じて! 例え〈戦乙女ヴァルキューレ〉失格の烙印を押されようとも!」

「純心なる……魂?」

 毅然たる意志を宿した正視を受け止め、ヘルは改めて眼下の〈女怪物〉へと好奇を注いだ。

(高潔にして愚直なブリュンヒルドに、ここまで言わせるとは……本当に何者なのだ?)

 そして、密かに本質の看破を試みた神眼は感じるのであった──混沌とした〝生の波動〟と〝死の波動〟の狭間に息吹く一片ひとかけらの輝きを。

アレ・・は……何だ?)






「ざまぁねえな? 怪物・・?」

「ハァ……ハァ……グゥ……ハァ……」

 泥塗どろまみれに膝を着き、苦しさを喘ぐ〈〉。

 落雷さえ呼べれば──切なる想いが電気はらむ黒雲を仰ぐ。

 直後、無慈悲なる手が、苦悶滲ませる美貌から前髪を鷲掴みにした!

「うああ……!」

 ギリギリと捻り上げられ、上体を吊り起こされる!

 膝立ちに露呈するのは醜い右顔面!

 ギョロりとした眼球と表皮無き筋肉繊維を奇異と眺め、ロキはあざけりの口笛くちぶえを吹いた。

「ヒュウ! ゴキゲンなツラじゃねえか? 敵とはいえ〝いい女〟だと思ったんだが……とんでもなく醜いぜ? テメェ? ヒャハハハハ!」

「ゃ……やめ……ぅ……く……」

 耐え難い屈辱感に鼓動が暴れる。

 無抵抗をなぶられるしかない状況に、瞳は無自覚な恐怖を微々と滲ませた。

 それが〝女〟としていだく〝陵辱行為への嫌悪感〟に近しい感情だという事を、性的概念を萌芽していない現在いまの〈〉が理解できようはずもない。

「よぉ? バケモノ・・・・? オマエ、オレの片腕になれ」

「な……に?」

「フェンリルさえブッ殺せるちから……オレは高く評価してんだよ。その凄まじい戦闘能力を破棄するにゃあ惜しい」

「グゥ……フェ……フェンリルは……」

「あん?」

「フェンリルは……息子・・だろう!」

「……で?」

「悲しくは……クゥ……ないのか!」

「アホか? オマエ? おっんじまったヤツァ使えねぇ……それまで・・・・の話だろうがよ?」

「そう……か……」

 他人の心情機微を嗅ぎ取れるほどの人生経験など積んではいない。

 さりとも〈〉は確信した。

 この男には情愛など無い……と!

 掠れる意識に浮かぶのは友達マリーの笑顔──そして、未来!

 だからこそ、この男を……この男の在り方・・・を認めてはならない!

 生まれて初めての激しい拒絶意思が胸中を占めた!

「で? どうするよ? オレの片腕になりゃあ、このクソッタレた世界を手玉に取れるぜ? オレとヘル……そして、オマエでな!」

「こと……わる!」

「あ? テメェだって本心じゃ憎いんだろ? この世の中が……オレ達を異端と虐げてきた、この世界・・・・がよォ!」

「憎しみが無いと言えば〝嘘〟になる……けれど──」

「……けれど?」

「──愛していないと言ったら〝嘘〟になる!」

「……そうかよ」

 落胆にも取れるいきを吐くと、ロキは右脚を大きく引いた。

 そのすねに込められた神力が白き発光を宿していく!

 そして──「残念だぜ」──渾身に〈〉の腹へと叩き込んだ!

「かはっ!」

 高々と蹴り上げられる巨躯きょく

 為すがままに噴き上げられる標的へ、白光を臨界まで息吹いたてのひらが死刑宣告とかざされた!

「消えろよ……怪物・・!」

 追撃と放たれる神光の砲撃!

 凄まじい白の怒濤どとうに呑まれる中で〈〉は再会した──「お姉ちゃん」──(嗚呼、マリー……)──それは彼女が最期に望んだ微笑ほほえみであった。





 泥塗どろまみれに転がる死体・・を、闇空の涙が容赦無く打ち叩く。

 虚ろに流された眼差まなざしからは生気が完全に消失し、猟奇的な美を刻む強靭な肉体は最早動く事も無い。

「ケッ……テメェなら、オレ・・を分かると思ったんだがよォ?」

 転がる投棄物を横目に、ロキは吐き捨てた。

 果たして、それは虚しき本音か……あるいは、皮肉を含んだ自嘲か。

「ロキィィィーーーーッ!」

 憎しみ任せの急襲!

 高空から突撃して来た〈戦乙女ヴァルキューレ〉だ!

 が、まるで予見していたかのように涼しい顔で避けるロキ。

 わずかな上体反らしだけで、円錐槍ランスが紙一重に擦り抜ける!

 着地の勢いによる地滑りを踏ん張り堪え、ブリュンヒルドは憎悪に満ちた敵意で臨戦態勢を身構えた!

「よくも……よくも彼女・・を!」

「あん? 何をイキってんだ? テメェ? バケモンが一体くたばっただけじゃねぇか?」

「黙れ! その薄汚いくちで、私の親友を愚弄するな!」

「親友? そのバケモンが? クックックッ……ヒャーッハッハッ! コイツァいい! 傑作だぜ! クソジジイ御用達の〈戦乙女ヴァルキューレ〉ともあろう者から、トンだ不良品・・・が出てきやがった!」

「黙れと言っている!」

 円錐槍ランスの切っ先を突き向けて威嚇する!

「何をさかってんだか知らねぇが、この闇暦あんれきじゃバケモンの一体や二体くたばったところで惜しくもねぇだろうが? 何せ吐いて捨てるほどいるんだからよ? ヒャハハハハッ!」

彼女・・を他の〈怪物〉共と一緒にするな! その愛されるべき〈魂〉を!」

 遅ればせながら降下してきた冥女帝ヘルが、ロキの背後へとかしこまった。

「申し訳ありません、父上。咄嗟とっさの瞬発で、抑え込む事が叶いませんでした」

 淡々とした抑揚で報告しつつも、仰臥に息絶えた死体を盗み見る観察眼。

(確かに死んで・・・はいる。先刻までの猛々しい荒ぶる光は、完全に消失した……が、あの微弱なは何だ?)

 間近に見る事で初めて認識する事が出来た。

 暗闇の中でまとわり踊る二対の蛍火──。

 弱々しくか細い灯火は、仲睦まじく踊っているかのようであった──。

 おそらく、いままでは〈〉自体の光が激し過ぎて隠れてしまっていたのであろう。

(性質的には〈魂〉だと思われるが……それにしては微弱過ぎる。まるで〝残り香〟のような……。それに、何故それ・・ふたつ・・・も宿っている?)

 実に奇妙な現象であった。

 不自然な事象であった。

 幾多の〈魂〉と対面してきた〈冥女帝ヘル〉にしても、このような状態は見た事も無い。

 ひとつの存在に対して、ひとつの魂──それが生命のことわりだ。

 にもかかわらず、この〈〉には複数の〈魂〉が内包されている。

 そんな黙想を妨げたのは、不意に頬を弾く痛み!

 父親ロキだ。

 蔑んだ表情でヘルを平手打ちにしていた!

「ち……父上?」

「ったくよォ? 使えねぇヤツだな……テメェは!」

 実の親とは思えぬ無情の仕打ち。

 が、物を言い返す気など無い。

 とっくに諦めている。

 そう、とっくに諦めている……のに、何故こうも胸が痛むのであろう?

 大切にしていた硝子細工が割れ落ちたかのように……。

「ロキィィィーーーーッ!」

 憤怒に突撃する戦乙女ヴァルキューレ

 渾身に繰り出す円錐槍ランスの突き!

 だが──「アメェよ」──ロキは止めた!

 指先一本で切っ先を押し留めて!

 集中させた神力によってせる技だ!

「オレ様は〈神〉だぜ? たかだか〈戦乙女ヴァルキューレごときで傷付けられるかよ?」

「神界のものが!」

「ヘッ! 言うじゃねぇか? 可愛いお顔に目くじらたててよォ? そんなに、あの〈怪物〉へ入れ込んでたってか?」

「……彼女・・だけではない!」

「あん?」

「これは〈冥女帝ヘル〉を侮辱した分だァァァーーーーッ!」

 持てる神力を振り絞るブリュンヒルド!

 その気迫と共に円錐槍ランスへと注ぐ!

「……ブリュンヒルド?」

 予想外の庇い立てに、ヘルは戸惑う。

 そんな冥女帝に一瞥いちべつだけ向けると、ブリュンヒルドはへと集中を戻す。

「……別に貴女あなたへ情を傾ける義理は無い。貴女あなたとて同罪だ。彼女・・を殺した」

 ──では、何故?

 父親ロキの手前、声に出してうのははばかられた。

 さりながら、ブリュンヒルドは無言の疑問へと答えるべく叫ぶのだ!

彼女・・なら、きっとこうしたからだァァァッ!」

 せめぎあう神力と神力!

 切っ先と指先の間に生じる眩い光が、激しい反発力を生んだ!

「グゥゥ……ッ!」

「……プッ……クックックッ…………」

 ふくみ笑う。

 ロキの余裕が崩れる事は無い。

 ブリュンヒルドが如何いかに躍起になろうと、所詮〈神〉の前には雛鳥のくちばしだ。

 そして、悪神は解き放つ!

 余力程度の神力を!

「な……何ッ?」

 白が膨らむ!

 染まる眼界にブリュンヒルドは戦慄を覚えた!

 圧倒的な底値差の現実に!

「はい、ゴクローサン」

「ぅ……あああああぁぁぁぁぁーーーーーーッ!」

 白光に呑まれ吹き飛ばされる戦乙女ヴァルキューレ

 此処に気高き聖鎧は割れ、正義の円錐槍きばは砕け折れた……。





「……ぅ……ぅぅ……」

 泥濘ぬかるむ地に倒れ伏しながらも、ブリュンヒルドは霞む意識を保とうと足掻く。

 満身創痍の顔を上げれば、愛すべき戦友ともの亡骸が横たわっていた。

 容赦なき雨に全身を叩き付けられ、その死顔デスマスクは蝋人形のごとうつろを見つめ続けている。

「ごめん……なさい」

 泥を掴んで這う。

 這い寄る。

 せめて、傍へ寄り添ってあげたかった。

「守ってあげられなかった……救ってあげられなかった……仇さえも…………」

 頬を濡らし染める物が雨か涙かは、もはやブリュンヒルド自身にも判らない。

「しぶてぇなあ? さすがに〈神界の者〉ってトコか? あるいは〈聖鎧〉の加護ちからか?」

 無慈悲が歩を進めた。

 後腐れなくトドメを刺すつもりだ。

 さりとも、ブリュンヒルドに抵抗するすべは無い。

 気力も……武器も…………。

 と、両者の間に入る姿があった!

 絶体絶命の戦乙女ヴァルキューレを背にかばう者は……冥女帝ヘル!

「あん? どういうつもりだ? ヘル!」

「父上、勝敗は決しました。これ以上の追い討ちは無意味……此処はわたくしに免じて、何卒御鎮まり下さい」

「イヤだね」

「父上! 何卒!」

 必死な懇願こんがんに、スゥと邪視が細まる。

「オマエ……まさか、さっきの一幕でほだされたんじゃあるめぇな?」

「そ……そのような……事は…………」

 逸らす視線が〝答〟であった。

 だから、ロキは思わず吹き出す。

「プッ……クックックッ……アーッハッハッハッ!」 

「ち……父上?」

「ヒャハハハハ……ヒィーヒィー……」

 狂ったように笑い続ける父親ロキを前にして、ヘルは戸惑いを覚えた。

 その狂気染みた挙動には、ゾッとするものさえ覚える。

「コイツァいい! そりゃそうか? 考えてみりゃ、オマエは神話時代から〈冥界〉で独りぼっち……闇暦あんれきになったらなったで、脳ミソサイコヤローに監禁されて〝お友達〟なんていなかったもんなァ? そりゃ、あんな優しい言葉を掛けられりゃあ、心だってコロッと揺らぐわな? プッ……クックックッ──」

「そ……そのような意図では…………」

 羞恥にも似た気まずさを噛むヘル。

 と、頬を打つ音が闇空に木霊した!

「──自惚うぬぼれんじゃねぇよ」

 またもロキが平手打ちに裁いた音だ!

 その表情は冷徹へと染まっている。

「ち……父上?」

子供テメェオレの道具だと言ってんだろうが! それを口応くちごたえなんざしやがって……何度言わせりゃ分かんだ! ああッ?」

「私は……道具?」

 ヘルが覚える頬の熱さは、そのまま心の寒さであった。

(嗚呼、やはり総てが無意味なのだ……親子という呪縛の前では……この世におのれが存在する意味さえも…………)

 うつろに潤む傷心……。

 それを汲んだか、ブリュンヒルドが歯噛みに正義感を甦らせた!

「クッ……ロキ! 貴様という男は……どこまでも下劣な!」

「おやおや、元気が戻ったかよ? 戦乙女ヴァルキューレさんよォ?」

「貴様は……貴様は〝ウォルフガング・ゲルハルト〟と同じだ! おのれのエゴイズムのためだけに、他者を〝道具〟と見なしたあの男と! いや、実の子供にさえ情愛を欠く分、最悪だ!」

「情愛? 何だ? 腹の足しになんのか? ヒャハハハハッ!」

「貴様は!」

 泥塗どろまみれのけを、優越溺れの蔑笑べっしょうが受け止める。

 と、その時であった!

 目がくらほどの光がロキを照射する!

「クッ?」

 白光に呑み込まれた!

 相手を見定めようとするも、直視には厳しい!

 それ・・は爆音を轟かせて突進すると、重い体当りにロキを跳ね飛ばす!

「グアッ!」

 完全な奇襲に数メートル弾き飛ばされながらも、ロキは神力による肉体強化の発現でダメージを軽減した!

 片膝着きの着地に視認してみれば〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉とやらが所有していた軍用ジープであった!

 運転席に収まっているのは、ロキが慢心を捨てねばならぬ相手!

「サン・ジェルマン! テメェ?」

 吠える憤慨ふんがいを尻目に、サン・ジェルマン卿はブリュンヒルドを起こした。

「立てるかね?」

貴方あなたは、ハリー・クラーヴァル? 何故、此処に?」

「説明は後だ。手を貸してくれ。彼女・・を運ぶ」

 視線で指し示すのは、事切れた〈〉の亡骸。

「運んでどうするのです! 彼女は……彼女は、もう!」

「希望はある!」

 確信に足る断言に、ブリュンヒルドは疑念を呑んだ。

 強い意思に頷くと、二人掛かりの肩担ぎで濡れた巨躯きょくを後部座先へと運び乗せる。

 助手席に戦乙女ヴァルキューレが滑り込み、いざアクセルを踏み倒そうとした瞬間──「待って下さい!」──ブリュンヒルドが制止の声を上げた!

「彼女も!」

 冥女帝ヘルである。

 真意は汲めなかったが、サン・ジェルマンは無言に容認した。

「……乗りたまえ」

「わ……私は……」

 静かな誘いに躊躇ちゅうちょを露呈する。

 その負い目を看破すればこそ、ブリュンヒルドは決断の後押しを吼えるのだ!

「早く乗りなさい! ヘル!」

「し……しかし、私は〈悪神ロキの娘〉──父に背く事など…………」

「自分で決めるのです! 自分の在るべき道は! 私や彼女・・のように!」

 誇らしき象徴として強き想いを注ぐのは、後部座席に眠る親友の姿!

「自分の……道?」

 忌児ヘルの琴線が揺れた。

 許されるのであろうか?

 呪われし血統に生まれた私にも?

 子供は親の道具に過ぎない──親の支配権限は絶対────いな、違う!

 私は……私だ!

 ならば、私は!



 荒々しい全速で走り去る車体!

 だが、みすみす獲物をのがす事を、ロキがしとするはずがない!

がすかよ……サン・ジェルマン!」

 みるみる遠くなる車体を標的と定め、追撃に跳躍しようと構える!

 が──「な……何ィ?」──いつの間にか地面が氷樹の蔦と根を張り、彼の足首を凍結の足枷で捕縛していた!

「まさか……フェンリルだと! テメェ?」

 信じ難い現象に、横たわる巨獣の丘陵をける!

 さりながら魔狼は間違いなく、とっくに事切れていた。

 だが、それならば何故なのか?

 死界に見開く瞳孔は、去り行く車影を写し込むだけであった。

 おのれの一歩を踏み出した妹の決断を……。

 そして、生死と誇りを懸けた好敵手ライバルの命運を…………。


「クソッ! どいつもこいつも……何故、オレに反抗しやがる! 何故、意のままにならねぇ!」

 行き場の無い呪怨が、ますます憤りを燃え上がらせる!


 その深く淀んだ負念を、闇空の支配者は嬉々と満喫していた……。

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