ともだち Chapter.7
アンファーレン宅の敷地裏には、木造仕立ての納屋が在る。
農作業道具や
そこが〈
そして、最近は同居人が
中央に山積みとなった
一応、アンファーレン老の名誉の為に付記しておく。
彼は家屋での睡眠を勧めてくれた。
しかしながら、ブリュンヒルド自身が
屋内の造りは御世辞にも広いとは言えず、来客用の個室も無い。
そんな環境では、
何よりも先客である〈
「野宿よりマシなのですから、贅沢は言えませんね。それにしても……」
積まれた
「どうした?」
「あ、いえ」気付かれた
「うん、
「ええ、保温性も思っていたより悪くありません」
「
「……そこまで極端な比較はしていません」
「そうか」
相変わらずの噛み違いに困惑するも、ブリュンヒルドは会話に含まれていた違和感に気付く。
「え? 洞窟に? そんな場所で野宿した経験があるのですか?」
「うん」無関心に返事をしつつ〈
「そう……ですか」
「寒かった。そして、固かった」
いそいそと働く巨体を見つめていると、何故だか
相手は〈怪物〉だというのに……。
(……
神界の戦士として
やがて就寝準備を終えた〈
「ブリュンヒルド、寒かったら言え」
「え?」
「抱っこする。体温、温かい」
「……遠慮しておきます」
並んで横たわる。
ジージーと夜虫が鳴き、天井板の
(下界は、ここまで混沌としていたのですか……)
ウォルフガング・ゲルハルト──。
アンファーレン老人と、孫娘のマリー──。
ハリー・クラーヴァル──。
そして、正体不明の〈
此処数日で、目まぐるしい体験をした。
脳内整理だけでも
何よりも日中に体験したばかりの惨劇は、彼女の心に悪夢として刻まれた。
(いったい
何故だか寂しさにも似た感情に想う。
優しく無垢な〈
恐ろしくも忌むべき〈怪物〉──。
その両極端な側面を知ってしまったが
(もしも、あの〝殺戮の化身〟が彼女本来の姿だとしたら、私は……私が
さりながら
旧暦一九九九年七の月──地上は突如発生した魔界の気〈ダークエーテル〉によって侵食された。
青い生命の泉は奇病に侵されたかのように黒ずんでいき、甦った
(地上が……私の愛する地上が〈魔〉に侵される!)
それは耐え難いものであった。
だから、独断に地上へと降り立ったのだ!
だが、ブリュンヒルドの降臨から数時間後、地上は完全に〝闇の世界〟と変わり果ててしまった。
新世界の法則と
そして、
彼女
俗に〈
さりとも、目的を
この現世魔界に
それが、彼女の
とりとめのない黙想に、どれだけの時間が経過したであろうか。
やがて背中合わせの巨体が、のそりと身を起こした。
(こんな夜更けに? 何を?)
ブリュンヒルドは緊迫の中で、
内心は穏やかにない。
昼間の暴走ぶりが悪夢と
(まさか? いえ、
闇夜を味方した不審な行動が、情に殺していた敵対視の方を傾かせた!
はたして、それは殺人であろうか?
はたまた人食いであろうか?
(やはり〈怪物〉は〈
狙いは、盲目の老人?
いや、もしかしたら、この瞬間に我が身へと襲い来るのやもしれない!
(私は〈
高揚が確信を
失望?
何故?
相手は〈怪物〉だ。
この
(
なのに、何故……こうも胸が冷たくも痛い?
触れれば壊れる繊細な氷細工ように……。
上体を起こした〈
背中一杯に視線を感じ、
が、
いよいよ来る──ブリュンヒルドが予測するも、その展開は一向に訪れない。
(何故?)
警戒心を裏切るかのように〈
両手に軽く分けられる程度の
距離は
歩いて一〇分程度の
とはいえ、不確かな
その中を黙々と進む〈
適当な間合いを取って──
無論、鎧装束は装着済みだ。
(一体、何処へ?)
晴れぬ疑念に洞察する。
そう、
確かに自分を襲いはしなかった。
アンファーレン老も……。
さりとも、彼女が悪行を働かぬという立証にはならない。
尾行は続いた。
完全に街からは
足下に
この魔気〈ダークエーテル〉は、人工領域には侵入出来ない。
ダルムシュタット内部に〈デッド〉が発生しない理由が、
裏返せば、こうも黒い霧が発生しているという事は、それだけ街から離れたという事でもある。
いつ〈デッド〉と遭遇してもおかしくない。
そんな
もっとも
(例えば、あの
相手は
だが……そうだとしたら、この後ろめたさは何だというのであろうか?
揺らぐ。
(私は……本当に正しいのでしょうか)
その自失に注視を
「しまった!」
慌てて〈
「ど……何処へ?」
「……た……て……だ……ある……て……」
気取られない程度の距離で、
岸壁を行き止まりとする
周囲は樹々の緑に囲われながらも、そこだけは土肌に
そこに〈
拾った枝を
彼女の奥に見えるのは、岩壁を
はたして自然に刻まれた物か、はたまた〈
ただ、その中には納屋に劣らずの量で
他にも古びた鍋やら斧やらが無造作に放置され、貧しくも荒れた生活臭を演出している。
(隠れ家……なのでしょうか?)
状況から、そう推測した。
(もしかしたら、此処で人間に反旗を
そんなブリュンヒルドの疑念を知る
「……た……か……が……の……」
先程から聞こえてきた意味不明な発声は、どうやらコレの朗読である。
まだ難解な文面は解読できないようだ。
(いったい何を読んでいるのでしょう?
というよりは〝魔術〟などという高等知性的な技能を扱えるとは思えない。
どちらかといえば〈魔獣〉と同じく〝生態として備わった魔力を行使するタイプ〟だ。
いや、それ以前に……。
(彼女からは、いわゆる〝魔力〟というものを感じないのですよね……近しい
不思議な感覚であった。
怪物──魔物──
にも
「……から……で……」
奇妙な音読は続く。
(本当に、一体何を?)
好奇心に突き動かされて身を乗り出す。
それが
手前の足場が段差となっている事に気付けず、ブリュンヒルドは滑り落ちる!
「きゃ!」
短い悲鳴に尻餅をついた!
「いたたたた……!」
自分の間抜けさに苦笑したくも、
と、
眼前を見上げれば、白い月明かりを背負った
「あ……あ……」
威圧的なシルエットに戦慄する!
完全に不意を突かれた!
応戦しようにも万全の状態に無い!
武器は転げ落ち、腕を伸ばしても届かない位置に有る!
圧倒的に不利な体勢で発見されてしまった!
「ブリュンヒルド、来た」
「あ……あの……こ……これは……!」
大きい
(
恐怖に
しかし──「え?」──彼女の予測を裏切り、大柄な手は優しく頭を
その挙動に添えられた言葉は、
「大丈夫。痛いけど痛くない」
「な? 何を?」
「ブリュンヒルド、まだ痛いか?」
「い……いえ」
「尻、
「結構です!」
「では、此処は
「うん」
パチパチとはぜる
「……いずれ出ていくつもりだったのですか? アンファーレン老人の所を?」
「うん」
膝を
ブリュンヒルドは、茜の陰影を遊ばせる横顔を見つめ続けた。
相変わらず感情の
だが、物悲しそうにも映るのは、ブリュンヒルド自身が憐れみの念を
不覚にも、この
「いつまでも居てはいけない。私が居たら迷惑」
「アンファーレン殿は、そんな風に思っていないのでは?」
「うん」
「でしたら、もう少し考えてみては……」
「ダメ。私が居たら、きっと不幸を呼ぶ」
「不幸を?」
「私は〈
「ッ!」
「〈
「あ……
胸が締め付けられた。
どこまでも
どこまでも憐れな〈
ブリュンヒルドは初めて知った。
こんな〈怪物〉もいるのだ……と。
ふと
「な……何です?」
「ブリュンヒルド、まだ痛いか?」
「え?」
「泣いている」
指摘されて、ようやく自覚した。
自分の頬を
「い……いえ、これは……目にゴミが……」
ばつ悪く指で
「ところで、先程、本を読んでいらっしゃいましたね?」
「うん」
素直に
それは〝本〟ではなく〝手帳〟だ。
革製の表紙で装丁されているものの、年季からか
「城から持ってきた」
「城?」
一応、彼女が以前に居た生活環境だと察しはつく。
「これで言葉を勉強してる」
「言葉を?」
「うん」
預かった手帳を開いてみる。
「こ……これは!」
閲覧して、すぐさまゾッとした!
しかし、もっとおぞましい
身の毛がよだつ
人間を部位解剖した
「これは……これは!」
悪夢に
筋肉の解剖図──眼球の断面図──神経組織の展開図──そして、脳の解体図!
「これはこれはこれはこれは!」
「そんな……そんな……そんな!」
「ブリュンヒルド、そんなに面白いか?」
不意に呼び掛けられ、現実へと呼び戻された。
「どうした? 悲しいお話だったのか?」
無垢な好奇心が
その
「私も、早く読めるようになりたい」
未体験の楽しみへと浮かべる
その愚かしい様に、
そして、心の底から込み上げる激情に突き動かされていた!
愛のままに!
強く!
力強く!
「ブリュンヒルド、苦しい」
その胸に
「この本は……私が預かります! もう……もう絶対に……この本は読まないで下さい!」
「ぅ……ぅぅ……ぅぁぁ……」
噛み殺していた
汚らわしい無垢なる手が、泣き濡れる頬を優しく
「ブリュンヒルド、大丈夫……痛いけど痛くない」
ブリュンヒルドは理解したのだ……。
この〈
手記に記載されていた
黄色く
それは、決して
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