いずれ私が名探偵

うたう

いずれ私が名探偵

 ハーロックのことを世界一の探偵のように言うがね、それは間違いだよ。なに? 名前が違う? ハードロック? いやいや、そんな名前ではなかった。まあいい。あの若造の名前なんかどうでもいいんだ。

 私はね、若い頃にモウミー・ケイシーの助手をやっていたんだよ。二十代だったかな、ちょうど君くらいの年齢の頃から五年ほど。なに!? モウミー・ケイシーを知らない? いくらなんでも不勉強すぎるぞ。世間が忘れても、探偵を志すものとミステリー作家を志すものだけは胸に刻んでおかねばならない名前だ。しかし、ケイシー先生は目立つことを嫌っておられたからな、君が知らなくても無理はないのかもしれん。

 モウミー・ケイシーは、寄り添いの探偵だった。結果よりも過程を大事にしていた。事件の解決以前に、人の心を第一に考えておられた。だからどんなにシンプルな事件でも被害者の感情に寄り添って、時間をかけて解決していたし、時には犯人の心に寄り添って、事件そのものを揉み消してやったりもしていた。そのくらい人情味あふれる探偵だったのだよ。

 意外に思うかもしれないがね、私の探偵としてのキャリアは長くない。実は、あの若造の探偵と同じくらいなのだ。というのもだね、先生が天寿をまっとうされたとき、私は先生の遺志を継ごうと思った。実際、探偵になった。しかし、どうにも上手くいかない。私は先生ほどの人情家ではなかったのだ。三ヶ月で引退したよ。それから料理人になった。四十年近く、料理だけをやってきた。

 料理のほうは才能があったようでね、始めて五年で独立した。店は盛況だったよ。新メニューを出すたびに行列ができた。一週間ごとにメニューを刷新していたから、行列の尽きない店だった。私の料理を見て、奇声に似た歓声をあげる者も多かった。不思議と完食する者は少なかったが、私の料理は見るだけで満腹中枢を刺激していたのかもしれん。

 探偵という職業と料理人という職業とが似ていると気づいたのは、あの若造の探偵がぽっと出てきてからだ。先生が大事にしておられたものがよく見えるようになった。食事というのは、栄養を摂取する行為ではあるが、ただ胃袋に詰め込めばいいというものではない。事件だって同じだ。ただ解決すればいいというものではないのだよ。

 あの若造が世界一の探偵だという世間の誤った認識を改めさせねばならんのだ。だからだね、私は先生が築いてきた理想の探偵像を守るために探偵に復帰したのだ。

 あの若造が一番、私が二番手というのが世間の評判かもしれんが、今に見ているがいい。うん? 私は二番ではない? じゃあ、何番なのだ? いや、待て。今が何番であるかは重要ではない。近い将来、一番であるかどうかが大切なのだ。

 さて、パイが焼き上がったようだ。食べていくだろう? 店をやっていた頃、特に人気のあった一品だ。用意するから、ちょっと待ってなさい。


 どうだ? 見事だろう。

 元来、スターゲイジーパイというのは、もっと大きな魚を使うが、私は、小魚を使う。骨や鱗がきちんと取り除かれていなくて、うんざりしたことはないか? その点、このくらいの魚ならば、気にせずまるごと食べられる。食べる者に寄り添う。これが料理人の基本だな。

 あの若造の推理は、例えるなら具のないパイだ。スピードばかりで味気ない。一方、私の推理は、このパイと同じだ。時間はかかるが、しっかりと寄り添う。二○○匹近くの小魚をパイに突き立てるのにどのくらいの時間が掛かるかわかるかね? 私にはそれを厭わない忍耐力がある。その心意気は、事件に対しても変わらない。

 どうした? 食べないのか?

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