ハローグッドモーニング、人類

宇曽井 誠

終了まであと三日


「マイクテスト、マイクテスト……ハロー、少年。グッドモーニング、愉快な人類さん」

 声変わりする直前のような、明るく高い声が公共放送のスピーカーから流れる。それが政府によるものではない事は明らかだった。

「えー、今日から三日後。この機械都市を破壊します。あ、出られるとは思わないでね? ここをジャックしてる時点で気づいてると思うけどさ。隔壁は全部遮断してあるし、乗り物も全部ストップさせてる。自力で飛べない限り出られないし、飛んでる奴は撃ち落とすから」

 心底楽しそうに、放送の主は続ける。

「それで、ディバシティの皆様方。オレを止めたいなら、ま、この状況でどうにか特定してくれ。勿論、こちらも対策はしてる。でもね、移動はしないよ。流石に機械全部持ってたらバレちゃうだろ? 安心して、虱潰しに探してくれ。それじゃあ……うん、もう言う事はない筈だし、せいぜい足掻いてほしいな」

 音声はそこで途絶えた。同時に、都市中から悲鳴とも言い難い叫び声が聞こえ出した。


 #####


 テミスコーポレーション。それは機械人形の生産、輸出で儲けている会社であり、機械都市を牛耳る会社。しかしそれは表の話。実態は能力者の捕縛、及び殺害を一手で引き受ける、対能力者戦闘組織、ディバシティの運営元だ。

 そして、その本社ビル。最上階にある社長室前で、男は立っていた。男、と言ってもまだ若く、スーツに着られているような雰囲気がある。黒い短髪や黒い瞳、少し色白な肌でこれという特徴はないのだが、逆にそれが特徴的だった。

 社長室の扉が開く。

「エージェント。どうぞ」

「ありがとうございます、アスカー」

「礼は不要だと言うのに。なぜ、言うのですか?」

 棘のある言い方だが、そこに悪意はない事を男は知っている。だから、柔らかい笑みを返して、部屋に入った。


 高級そうな机に両肘をつき、頭を抱えているのはテミスコーポレーションの社長だ。皺の増えた顔の中、衰えない眼光がエージェントの心臓を貫こうとしている。

「エージェント。犯人を捕まえてくれ」

「はい。しかし……居場所等は、まだ分からない、ですよね」

「ああ……それが難点だ。都市から出られない上に通信網が死んでいるから、アラスカ氏とも連絡が取れない。同様の理由でマッドも無理だと。機械人形も全て止まってしまった」

 その状況で、いや、その状況だから自分を頼るのだろう。エージェントはそう思い、息を吸う。

「分かりました。虱潰しに探して来ます」

「助かる。他の動ける奴にも頼んであるから、少しは楽に……なると良いが」

「弱気ですね」

「ああ、弱気になるよ……せめて、ハイランダーがいてくれれば」

 煙草臭く不潔そうな男を思い出し、エージェントは首を振る。あいつはどうやっても好きになれない。

「じゃあ、探して来ますね……あ、見つけた場合の連絡は、」

「必要ない。速やかに捕獲し、連れて来てくれ。もしも都市を破壊するものが時限式なら、壊した上で」

「分かりました。では、失礼します」

 部屋を出て、廊下を進む。最上階で唯一開いている窓は、こんな状況でも開いていた。

 窓枠に足をかけ、エージェントは飛び降りる。


 着地、疾走。どうやら飛ぶものと認識されたらしく、防壁上の自動小銃の銃口がこちらを向いていた。

 ビルの屋上をかけ、壁を蹴り、銃弾が出るよりも早く小銃を攻撃、破壊。二つ目、三つ目も同様に破壊。

「厄介だ、な」

 壁から飛び降り、今度こそ無事に着地。高層ビルの合間、混乱真っ只中の地上に降りる。そこで見知った顔を見つけ、エージェントは舌を鳴らした。

「いやぁ、本当に厄介だなぁ。つか、おめぇさん皺増えた? 若いのに大変だなぁ」

 花壇に腰掛けて本を読んでいるのはエングレーバーだ。呑気そうな笑顔がウザったらしい。

「いやぁ、久々にアトリエから出たら都市が終わるとか言っててさぁ。マジビックリ、つか、俺何日出てなかった?」

「……連絡通りなら、五ヶ月」

「マジか。ヤベェな、あとちょっとで半年じゃんか」

 それでも彼にとっては早い方だ。噂によれば、三年出なかった事もあるらしい。

 しかし、目の前にいるエングレーバーは二十代後半に見える。不健康そうではあれど、そんなに歳を取っている風には見えなかった。

「……まさか、久しぶりに会うのがこんな時なんて」

「ま、良いじゃんか。でもなぁ、俺、通信機使えたらまだ篭ってたなぁ。作品できたからシャチョーに自慢しーたろ、って思ったら使えなくてさぁ。で、エージェント君だっけ? 何してんだ、そんなに殺気立てて」

 エングレーバーは本を閉じると、花壇の隣に座るよう手で示す。

「お前さん一人で悩むよりもさ。のんびりとダベろうぜ?」

「時間がないんですよ!?」

「ああ、だから、だ。一日経てばライダーが、二日経てばリターナーとワンダラーが。でもって、三日経てばハイランダーが戻って来るだろう。そうすりゃ、お前さんの出番は必要ない。だろう?」

 言い知れぬ違和感がある。表現できぬ不快感がある。

 それは自然と口をついて、「でも」と言葉を作っていた。

「それじゃあ、間に合わない気がする……です。みんな、強い人だ、って事は分かってます。でも……いや、だから。だから、駄目だと思うんです。誰よりも早くに犯人を見つけなきゃ、駄目なんです」

「それは子どもによくある勘違いだねぇ。まぁ、面白いから良いけどよぉ」

 エングレーバーは立ち上がると、ジッと南を睨み、そして、

「精々足掻きな。俺に言える事は何もないよ」

 と、人混みの中に消えてしまった。


 違和感と不快感を抱えたまま、エージェントも歩き出す。アテなどないが、とりあえず南に、住宅街に。


 #####


 それから六時間後。沈み行く夕日を高いビルの上から見下ろす彼の元に一矢が突き刺さった。独特の矢尻は同僚、アーチャーのものだ。巻かれていた紙を広げると、アスカーによる酷く簡潔な文字が書かれていた。

「……住宅街で殺人、か。酷い話だ」

 夫婦が殺され、息子二人は行方不明。末尾には、関連がある?、と。

「なんで行方不明なんだろう」

 疑問を口にするが答えはない。自分だって両親が死んでいるが、だからと言って悲しんだ訳でもない上に、葬式には出ていない。彼らも自分達のように他の都市へ移る気なのかもしれない。あまりにもタイミングが悪過ぎるが。

 いや、違う。エージェントは思考を否定し、すっかり夜闇に包まれた都市を見下ろす。アスカーがそんな事で文書を送るとは思えない。

 あの女なら、例えば、そう。


「息子二人が犯人。この事件との同一犯」


 しかし、ならなぜ両親を殺した? 両親を殺す事が目的ではないだろう。

 邪魔だから殺した? ……そうかもしれないが、なぜか違う気がする。

「……でも。こっちの住宅街にはいなかった」

 他に、人が住むところ。そんな場所は馬鹿みたいにあるが、心当たりは一つしかない。

 視線は遠く東、研究施設群の方を見ていた。

 __ハッキングの為の道具が買える程に裕福で。一応は秘密組織であるディバシティの存在を知っていて。親殺しを平気で行う非人間がいる場所。

「そんなの、あそこしかないじゃないか」

 毒気の混ざった言葉は、誰に聞かれる事なく溶けていく。


 が、しかし、声がした。

「本当に、それで良いのかい?」

 振り返りざまに蹴りを放つと、あっさり掴まれる。

「本当に君は正しいと思うのかい?」

 振り解こうにも振り解けない。それどころか、だんだんと手に力が篭っていっている。

「この都市の住民は皆等しく非人間。ならば、殺したところで問題はないだろう」

「それと、これとは、別だっ!」

 左腰に差さっていた拳銃を抜き、放つ。鋭い破裂音の後、頬を液体が伝う感覚がした。

 足を地につけ、一息つく。逆光を背負った相手は、余裕そうに立っていた。

 息を吸い、推論を口にする。

「……あなたは、ワンダラーですか」

「ああ。いや、だが……放浪者ワンダラーは、他にもいるかもしれないぜ」

 煙に巻くように、いや、強迫観念的に相手は語る。

「本当に、本当に自分が放浪者ワンダラーなのか……それは誰が証明してくれる? 君も、君自身が代理人エージェントである事を誰が証明してくれる? そもそも、自分が生きている事を誰が証明してくれる? 水槽内の脳味噌による夢ではない、と誰が証明してくれる? いるか分からぬ神か? 自分を憎む仇敵か? それとも、愛すべき隣人か?」

 資料を思い出す。

 ワンダラーという奴は哲学者の振りをした極悪人だ。答えられぬ問いを、さも真実のように問う。そして、納得のいかない相手を殺して回る。唯一止められるのは、相方のリターナー。

 銀髪の隙間から猛獣のような目が覗く。

「なぁ、教えてくれ。いるか分からぬ神パーフェクトか? 自分を憎む仇敵ハイランダーか? それとも、」

 しかし、その相方は、

愛すべき隣人リターナーか?」

 五年前、ハイランダーの手で惨殺されている。


 隣のビルへ飛ぶ。瞬間、目の前を両刃の剣が滑った。鼻の頭から血が流れ、ビルの深い谷間に落ちていく。

 赤い唇が歪み、吠える。

「答えろ、エージェントっ! ハイランダーはどこだっ!?」

「知りません」

 また剣が滑る。今度は肩を裂いて貫いた。

「隠しているのだろうっ!? なぁ、なぁっ!」

 足元を薙いだ剣撃をギリギリで避け、後退。

「この為にっ! 私はっ! この都市にっ! 戻って来たんだっ!」

 右腕に突き刺さった剣が捻られ、エージェントの口から苦悶の音が漏れた。

「知っていないとおかしいだろうっ!? 以前、君とハイランダーが話しているのを、私はこの目で見たのだぞっ!?」

 あまりにも破綻した理論を、当たり前のように彼は言う。興奮し切った目は安安と止められない事を物語っていた。

 まるで、こちらが狂ったみたいだ。朦朧とする意識を集中させてエージェントは思考する。

 それでも、自分は何も知らない。これは確固たる事実だ。

 息を吸い、吐く。

 そして、真っ直ぐに顔を前に向けると、黒々とした双眸を開いた。


「僕は、兄、パーフェクトの代理人です。間違っても、ハイランダーの代理人ではありません」


 喉元に突き立つ剣がヒヤリとした。

 逃げようと思えば、この場からは逃げられるだろう。しかし、そうすればどうなる? 相手の事は資料でしか知らないが、それでも、どんな事が起こるかの予想はつく。

 絶対に避けないといけない。つまり自分は死ぬしかない、白馬の王子でも現れない限り。

 ……いや、いるかもしれない。

 思わず、笑みが零れた。

「ハイランダー? どうせ、隠れているのでしょう?」

 返事はない。が、いるだろう。エングレーバーは三日後、と言ったが、|ワンダラーが今日来たのだからおかしくない。

 が、しばらく待っても返事はない。エージェントは人が隠れられそうなところに視線を移した。すると、

「そこに、いるのか」

 ワンダラーはニヤリと笑ってそちらに向かう。


 ……今の内に逃げよう。

 エージェントは立ち上がると、反対方向に飛び降りて行った。


 #####


 走る、走る、走る。少しでも距離を取らねば、気付かれた時に追われてしまう。

 しかし、とエージェントは思考する。なぜワンダラーがここにいるのだろう。普段の業務通りなら、彼は別の都市にいる筈。

 それに、なぜハイランダーと関わっている事を彼が知っている? 情報が正しければ、五年。彼はこの都市に帰って来ていない。

「密告者」

 思った事を口にしても実感はない。


 そうこうしているうちに、実験施設群が目の前だ。


 動かないゲートを横目にビルの群れに飛び込む。夜だからか人はおらず、静寂が足元を這っていた。

 灯りのない暗闇の中、エージェントは考える。

「内通者、スパイ……だが、何の為に? 世界を滅ぼして何になると言う」

「そりゃあ、楽しいんだろうねぇ」

 エージェントの肩が跳ね上がる。声の方向を見ると、白光の電灯の下にエングレーバーがいた。紙の本を膝の上で開き、読書に興じている。

「……おや? 驚かないのかい」

「質問、良いですか」

「ちょっと待って……良いよ」

 栞を挟んで本を閉じ、彫刻家エングレーバーはニコリと笑った。

 息を吸い、吐く。

 腰の拳銃に触れつつ、エージェントは問うた。

 エングレーバーはしばし目を見開いた後、肩を落とす。

「質問じゃないね、それは……なぜ?」

「逆に聞きますけど、なぜのですか」

「偶然じゃないかな。で、理由はそれだけ?」

「いいえ」

 息を吸い、

「……二日後に来るという、あなたの予測。ここからして、既におかしいのです」

 言葉を吐く。

「ワンダラーは五年間、この機械都市に帰って来ていません。そんなに長い間帰って来ていない人が、なぜここで帰って来るのですか。連絡手段があれば私も納得しましたが、それは犯人によって遮断されている筈」

「偶然かもしれないよ」

「いいえ、偶然ではありません。ワンダラーは三日前まで魔術都市にいて、次は演劇都市に向かっていました。機械都市とは反対方向の、演劇都市です」

「…………」

「それに、ワンダラーは必要がなければ帰って来ないと聞きました。……それでも、偶然をおっしゃいますか。エングレーバー」

 返答は、ない。

 代わりに、諦めたような笑顔があった。


「……エングレーバー」

「いやぁ、どこで間違えたんだろうなぁ……ほら、手錠なりなんなりかけな。共犯者だからよ」

 そう言って両手を出す彼は、酷く歳をとったように見えた。


 #####


 第七研究棟、八階。血の匂いを追って扉を開けると、腐乱死体の真ん中に二人の子どもがいた。機械の前に座り愉快そうにエージェントを見る青年と、反対に不安げな少年だ。

「……が、犯人ですか」

「ああ。が犯人だ」

 愉快そうに顔を歪め、青年が近寄って来る。

「弟は被害者だからね。ディバシティの保護プログラムにぶち込んどいてくれ」

「…………」

「何? 身分証明書はないけど、名乗った方が良い?」

「……いえ。必要はないです」

「そう。なら、早々に逮捕してくれ」

 これから何をされるのか、この青年は知っているのだろうか。いや、知っているのだろう。保護プログラムを知っていて、知っていない筈がない。

 警告を。同じ立場の人間として、警告を言うべきだ。

 だが、エージェントは言葉を飲み込み、業務をこなす。

「……それでは。この災害を」

「うん。終わらせれば良いんだね」

 青年はニッコリと笑みを浮かべると、エージェントに頭を下げた。

「ありがとう、少年エージェントさん。弟を頼むよ」



 @@@@@



「それで? それで、終わりエンドロール?」

「ああ、終わりだ」

「つまんないの」

 頬を膨らませて机に寝そべるのは年若く見える男だ。長い髪を一つにまとめ、エージェントをジッと見ている。

「どう思う?」

「うん。その子は良い選択をした。自分の能力の主張を上手い事して、ディバシティを関わらせて、弟君を保護させる……最高に近いね。多分目的は全て達成できるだろう」

「目的?」

「うん。……自分のヘッドハント。弟を保護プログラム下でディバシティに保護させる。おそらく後者の方が意味合いが強いだろうけど、前者もあればより強固だ」

 説明をしても頭を捻らせるエージェントに、男はため息を吐く。

「本当に知らないんだねぇ……ま、全部僕がしたしね。しょうがない」

 体を起こし、男は言う。

「まず、ディバシティ社員の家族は保護される……これは分かる?」

「はい」

「良かった。それとね、重大犯罪者の家族も同様に保護されるんだ。差別とか八つ当たりな復讐で、更に事件を起こされないようにね」

「……はい」

「これは、犯罪者本人が死んでいても効果がある。けど、一番良いのは、、特別社員の家族だ。これが、一番厳重に保護される。特に、ハッキング系だと。これは、せっかく手に入れた道具に反乱されたくないから、ってのと、前線じゃなくて技術職だから、換えが効かないってので」

 話を聞きながら、エージェントは自分の立ち位置を思い描いていた。

 かつて、今回とは別の方法で都市を壊そうとし、重大犯罪者とされ、しかしその技術故にディバシティ特別社員となった、実兄。

「成る程。同じ手か」

「そ。つまり、お前は嵌められてたんだよ。多分、その子はお前に捕まえられるところまで想定内だ。この事件だって、実際に起きるけど起こす気はなかったろうね」

 しばらく、沈黙が落ちる。


「……それは、」

 エージェントは一つ息を吸い、問うた。

「兄さん、あなたと、同じように?」


 目の前の男は小さく笑うと、完璧な笑みで言った。


「考えてごらん。お前は完璧パーフェクトの代理人なんだ。それくらい、できるだろう?」

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