04|『3・11』2020年に思うこと。
去年――
2019年にこの企画を立ち上げてから、1年が経ちました。
1年前は、このエッセイのタイトルどおり、「みんな、3・11のことを忘れないで!」という強い思いがありました。
もちろん、いまもあります。
でも、それは、自分自身や、地域に被害を受けなかった…実感さえない人たちへの呼びかけなんだということを、いまは強く自覚しています。
そもそも人間には、「忘れる」という機能がそなわっています。
それは神様がさずけてくれた、自分を守るためのすばらしい機能です。
たとえば――失恋して、自暴自棄になっても、時がたてば、その記憶もうすらいで、つぎの恋をはじめることができる。
あるいは――小説の新人賞に落選して、才能のなさを嘆いていても、時がたてば、ダメージもうすれ、また新たに挑戦する勇気がわいてくる。
「忘れる」という機能は、ひとに「希望」を与えてくれるステキな一面もあるのです。
だからこそ、忘れてはいけない記憶は、みずから忘れないように努力する。それが、大切なんだと思いました。忘れなければ、いつか、なにかで誰かをたすけることができるかもしれない。
あるいは、こうしてエッセイなり、物語なりを書いて、みんなに読んでもらって記憶してもらう。それでもいいのだと思います。
だから…なんでもいいから、なにか書きましょう!
***
さて――
今年は、『新型コロナウィルス』のニュースばかりで「3・11」に関するニュースが、従来より少ないような気がしています。
毎年行われていた『東日本大震災の追悼式』が中止になったことも、影響しているのかもしれません。
それでも、あちこちのテレビ番組で特集が組まれ、私は、この季節になると、なるべくたくさんの番組を見るように心がけています。
今年も、たくさん見ました。
被災地のインフラが整いはじめて、復興をアピールする番組もあれば、芸人の《サンドイッチマン》が現地をたずねてリポートする番組。どの番組も、「少しでも自分たちが復興の役に立てば…」という使命を感じました。
その中で――
私が、いちばん関心をよせたのは、いまだ、心に深刻なPTSDをかかえて生きていらっしゃる――いまだ、絶望のふちに立たされておられる、心を被災した方たちにスポットをあてた番組でした。
いくら町が整備され、鉄道が三陸を走っても、心の復興まではできていないのが現状です。
世の中の人たちは、インフラが進み、瓦礫に覆われていた町がきれいに整備され、新しい見栄えのいい町に生まれ変わった姿をみて――
「ああ、よかった。これで東北もすっかりもとどおりだ。まあ、変わってしまった部分はあるだろうし、遅れている部分も多少はあるが、これだけ復興がすすめば、もう一安心だ。あとは、ひとりひとりの働き次第だ。がんばれ!」
――と、気楽にエールを送って、もう自分ができることはないと安心し、どんどん無関心になってゆく…。
それが、「3・11」を風化させてゆく原因のひとつでもあるのでしょう。
私は、思うんです。
復興も大事。
けれど、お金で解決できないことのほうが、もっと大事なのだと――被災者、ひとりひとりの心の痛みに寄りそう努力こそが、本当は、いちばん求められていることなのではないかと、いまは思っているのです。
それは、なにも、現地へ行って、孤独なお年寄りの話をきくとか…そういうことではありません。(もちろん、それができたらステキです)
そうではなくて、いま、自分が生活している場所で、あなたにできること…それは、いまだ苦しんでおられる方々の痛みを、想像して、一緒に感じることなのです。
そういう結論に達しました。
***
その番組で、あるひとりの女性が語った絶望は、こういうものでした。
原発から非難してきた彼女は、自分が被爆しているのではないかと、つねに不安をかかえているといいます。
結婚、出産ということを考えたとき、
「はたして自分は、健康な赤ちゃんが産めるだろうか?」と悩み、
「自分は、そういう未来を考えてはいけないんじゃないか?」と、つい後ろ向きな考えになってしまうというのです。
それに追い討ちをかけるように、
「あなた。子供は生まないほうがいいんじゃない?」と、まわりから言われ、さらに絶望のふちへと追い込まれていました。
ただでさえ、被爆という不安に押しつぶされそうになっている彼女に、まわりのひとたちは、どうしてそんな無遠慮で身勝手なことが言えるのか…私には理解できませんでした。
***
そして、もうひとつ――
あるひとりの男性は、被災地から非難したさきで、子供たちがイジメに会い、自分自身も、被災したときの記憶がフラッシュバックして、夜中になんどもなんども起きてしまうといいます。
それを誰かに話したところで、誰もその苦しさをわかってくれない…9年経っても、いまだにPTSDから解放されないという事実を、まわりの人間は誰も理解してくれないんだといって、目頭をおさえ、肩をふるわせておられました。
被災者は、避難先では、ほんとうに孤独です。
「あんたら、政府や東電から、支援金や賠償金もらって金持ちなんだろ?」という、ねたみ、そねみの悪意ある言葉をあびせられることもあるそうです。
心ない人間たちの言葉は、弱りきっている被災者たちの心に追い討ちをかけ、ますます孤独や絶望のふちに追い込まれてゆくことになるわけです。
もしも――その女性と男性…お二人のまわりが、彼らを気づかってくれる人たちばかりだったら…彼らは、ここまで追い詰められることはないはずです。
被災者の気持ちは、被災者にしかわかりませんし、なにをいったところで、心の傷はなくならないですが――でも、まわりが見守ってくれているんだと知るだけで、孤独や絶望からは逃れられる。
私たち《部外者》は、彼らに対して、そういう立ち位置でいるべきなんだと思うんです。
「本当の意味での《共感》はできないかもしれないけれど、見守るよ」
「そっとしておいて、というなら、そっとしておくよ」
「話をきいて、というなら、話をきくよ」
そういうやさしさ、いたわり、気づかい…それをするだけで、きっと彼らの心の復興は早まってくれると思う。
そういう結論に達しました。
どうか、忘れないでほしいです。
いま、元気に笑って「復興がんばるぞ!」と明るくふるまっている学生さんたちにも、記憶のフラッシュバックはあって、夜中に起きて泣いているという事実を。
そのときの、悲しみ。恐怖。絶望。それらは、一生消えない記憶なのだということを。
フィギアスケートの羽生結弦くんも、当時のことを思い出すだけで、いまも泣いてしまうんだといっていました。
私たちには『忘れてはいけない出来事』だけれども、彼らには『忘れたくても忘れられない出来事』なんだということを――しっかりと胸に刻みましょう。
最後に――
東日本大震災で亡くなられた方たちのご冥福と、
いまだ苦しんでおられる《心を被災した方たち》へ、この想いが届くことを願って…。
(2020年3月11日)
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