第55話 9/05 怠け者を鍛え直す鷹狩とは?

 仕度を終えた菊次郎と太平次は、本多義信を厩舎へと誘った。


 「義信殿、相性の良い馬をお選び下され」

 「どの馬でも良いのか」

 「馬は生き物で御座います。何より相性が大事かと」


 義信は、馬の鼻筋や首を撫ぜながら、様子を伺い、五頭から一頭を選び出した。


 「それでは試し乗りを」


 偉く慎重だな、と思いながら、義信は馬に跨った。


 「この馬に致しましょう」

 「では、我らは、こちらの馬に致します」


 本多義信は、菊次郎と太平次に挟まれて、町中を抜け、田畑を過ぎ、小高い丘に案内された。


 「ここが鷹狩りの場所で、御座います」

 「流石、家康様のお膝元、良き場所でありますな」

 「主を失い、手入れの方は、些かの有様で」

 「主を失ったか?」


 義信は、これから接見する家康が、影武者の恵最であることを知らされていた。


 「ここなら、敵方の探偵を気にすることなく、お話が出来るかと」

 「敵方とな?」

 「今の徳川家には、紛争の種が埋もれております」


と、菊次郎が辺りを見渡しながら、言った。


 「燻った火種で、旨く煙草を噴かすかは、その火種の取り扱い方で決まるので御座います」


と、太平次が続いた。


 「して、その敵方とは」

 「お江のお方で御座います」

 「お江様、お江様が何故に敵方とな。いやいや、二代将軍秀忠様の正室を敵に廻すは、徳川幕府を敵に廻すことではないのか…。あああ、いやいや、家康様とこの江戸幕府を築かれ、これからの江戸を思われ、尽力なされておるあの天海様が、幕府の転覆を願われておる…、いやいやいや、そのようなことは、決して、決して、ありも申さん」

 「落ち着きなされ、義信殿」


 慌てふためく義信を菊次郎は、落ち着かせようと恫喝するが如く、大声を放った。


 「ああ…」


 その声で、勢いよく、振り回されていた義信の思いは、緩やかな淀みと落ち着きを取り戻した。


 「驚かれるは、お分かり申します。詳しきは、御身を持ってお確かめ下され。無理押しは致しませぬ、と天海様が伝えよと」

 「私にも分かるように、解釈してくれぬか」

 「悲喜交々御座いますが、容易く申しますと跡目争いに御座いまする」

 「跡目と言われても秀忠様の後は、嫡男の家光様が三代将軍となられるのでは?」

 「それを良しとしない者がおると言うことですよ」

 「しかしながら、家光様は、秀忠様、お江様との…」

 「そこですよ、悲喜交々とは」

 「願わくば、分かるように、解いてくださらぬか」

 「出生の秘め事ですよ」

 「出生の秘め事?」

 「家光様は、お江と秀忠様の子ではなく、家康様と天海様と関わりのあるお福とに生まれた者」

 「なんと…、そう、そうで御座い、ましたか…」

 「天海様は、秀吉の頃より、お江のことはよく存じておられて、お江の権力への執着心を危ぶまれておられました。お江は、秀忠様との子を熱望し、励んでおられた様子ですが、今までの輿入れ後とは異なり、子に恵まれず、焦りの様相を呈していた。それを天海様は、危ぶまれ、得体の知れぬ種より、家康様の血を絶やさぬことを憂慮され、お福を向かわされ、見事にご懐妊となった。その子を秀忠様の嫡男とされた。

お江は、子の生まれぬは、夫、秀忠に種がないと思い、ある大名家の家臣に手を出し、懐妊。それが、忠長で御座います」

 「そのような成り行きが御座ったのか…。しかしながら、それだけでは、敵と言いまするか」

 「それは、お江が家光様の失脚を企んでおるからです」

 「何と大胆な」

 「それが、お江と言う女の正体です。家光様が、将軍継承する間際まで、忠長を次期将軍にと、ごねていた程ですから」

 「しかし、今は秀忠様の政権ではありませぬか。次期将軍を決められたのは、秀忠様ではないのか?」

 「当初は、それで良かった。しかし、お江の今後の動向を天海様が憂いなされたことと、秀忠様の将軍としての器のなさを家康様は憂いておられた。この二つの憂いから、家康様の抱かれる意向を無碍(げ)に出来ないと天海様はお感じになり、その呪縛から解き放つ術を家康様に薦められたの御座います」

 「そう、であったか」

 「真意は簡単には推し量れぬもので御座います」

 「知らぬは怖いことよな」

 「御意。天海様は、こう申されておりました。義信様は、一見、暗く、強面に見えまする。しかしながら、本当の義信様は、実直で、見た目からは推し量れぬ優しさがおあり、と」

 「天海様は、人を見た目や噂で見られないお方であると言うことか」

 「御意。私たちのような身分低き者にも、気軽に話しかけられ、膝を突き合わせて、酒を酌み交わせられる徳の高いお方であると、接して感じております」

 「酒を酌み交わす?」

 「あ、いや、例え話御座いますよ、あ、は、あははは」


 つい、天海が僧侶である前提を忘れ、日頃の付き合い方を瀞(とろ)してしまい、菊次郎は、焦りの色を隠せないでいた。


 「ははははは。まぁ、いいでしょう。天海様のお人柄が言わせたこととして、聞き流しておきましょう」

 「そう、して頂けますと、有難い事と存じます」

 「正しいと思う事を素で述べる派、揶揄すれば、悪者扱いされ誤解されやすい私にとって、有り難さを覚えまする」

 「それが、我らがお仕えする天海様で御座います」

 「良き、主に出会われましたな」

 「御意」

 「して、継承争いは分かりましたが、この度の家康様への鷹狩りの享受とは如何に?」

 「お江の方が、家康様を影武者であるまいかと疑い始めたので御座います。お江は影武者であるなら、本来の家康との確執を一掃し、取り込めるのでは。そうなれば、大御所を操れると考える兆しがありまして」

 「それは何かと難儀な…で、鷹狩りとの関係は?」

 「駿府に引きこもり、江戸に顔を見せないのは、よからぬ噂話の広がりを黙認するようなもの。そこで、恵最を鷹狩りを名目に登城させ、家康の威厳を各大名に再認識させ、お江の動きを叶わぬものに致そうと、天海様がお考えになったのです」

 「火種が大きくなる前に、火種ごと絶やそうと」

 「願わくば…ですが」

 「願わくば?」

 「いや忘れてくだされ。知らぬが仏と言うこともありますから」


 本多義信は、含み言葉に違和感を覚えたが、深みのある言葉として安易に触れてはならない黒い渦を感じ、追求するのを躊躇った。


 「承知致した。短き日和であるが、精進致す」

 「有り難く存じます。最後に天海様からの伝言が御座います」

 「何で御座いましょう」

 「此の度のこと秘匿なり。他言は、義信殿の不名誉となるものと肝に銘じて頂きたい。もしやの時は、恐ろしきことに、と」

 「わ、分かり申した」

 「あっ、それともうひとつ」

 「何でしょうか?」

 「文に記されていたように、これから会う家康様は影武者の恵最です。何も出来ない、何も知らない張りぼての元将軍。故に遠慮なく、鍛えてくだされ。敬うことなど要りませぬ。弟子を育てるようにびしびしと、それが、恵最の為になるのです、と」

 「しかし…」

 「野を走れず、ぜいぜい息を切らしていては、本来の家康様への威厳を損ねるものになろうかと」

 「承知致した」

 「ご理解頂き、悼み入りまする。それでは、恵最の隠居生活で怠けた体と精神を思う存分、絞って、絞って、絞り上げてやって下さい」

 「何やら悪意のようなものを感じるのですが…」

 「気のせいで御座いましょう。きっと天海様に魑魅魍魎の話か何かを聞かれて物事に過敏になられているだけでしょう」

 「そ、そうか」


 本多義信は、思った。天海と言う人物と関わると、人が変わるのではないか。菊次郎と話していると、身分の上下ではなく、人としての深さと言うか、発言のひと言ひと言の裏側や枝葉を感じずには得られなかった。

 天海を中心とした人物たちが、何を考え、何をどう動かすのか。義信は、興味さへ覚えていた。

 翌朝、義信は、鷹狩りの行われる場所に先乗りし、家康一行を待っていた。遠目に前後を馬に挟まれた籠がひとつ見えた。秘匿の鍛錬には、招かざる客だ、と困惑していた。しかし、その不安は直ぐに払拭された。それは、前後の馬具が確認できるようになって、昨日見た、菊次郎と太平次の物だと分かったからだ。


 「お待たせ致しました」

 「いや、それは良いが、お供の者とは?どこぞに忍ばれておりまするのか」

 「いいえ、私どものみで御座います」

 「そのような…」

 「ご心配など要りませぬ。誰が先の将軍の命をお膝元で襲うのですか。おりませぬ。いや、もし、おったとしても、このような手薄な警護で動きし者を天下人とは思いますまい」

 「なるほど」

 「さぁ、早速、鷹狩りのご伝授を」


 本多義信は、畳み込むような返答と漲る自信の奥深き包容力に、魅了されていた。


 「義信とやら早う、その鷹狩りとやらを伝授致せ」

 「はっ」


 そこで、義信はふと思った。本当の家康ならば、家康様でよい。しかし、目の前にいるずんぐりむっくりの影武者に様など付けて呼ぶのは、如何なものか、と。

 菊次郎は、義信の困惑を見逃さなかった。

 恵最こと家康の影武者は、太平次によって鷹狩りの準備を手取り足取り、既に進められていた。


 「あの者を何と呼べば良いか、悩まれているのでは」

 「わ、わかるのか」

 「何となくそのように思えただけで御座いますよ。実は、私ども同じく、でしてね」

 「それで、どうなされたのです」

 「天海様にそれを申し上げたところ」

 「ほぉーなんと」

 「好きに致せと笑われました」

 「それでは、困り申す。好きに呼べと申されても」

 「同じく。私どももそう答えました」

 「で、どうなされたのです」

 「思案していると、天海様がこうおっしゃた」

 「なんと?」

 「家康様と呼ぶのが腑に落ちぬのなら、家康と呼び捨てに致すか、うん、どうじゃ、気持ちよかろう」

 「いやいや、家康様のお名前を汚すようで目覚めが悪う御座います」

 「目覚めるは生きてる証しよ。ほぉー、そうじゃったな。そなたが、他が大名の前で家康などと呼び捨てれば、その瞼は二度と開かぬかも知れませぬな、く、く、く、く、く」

 「ご冗談を」

 「では、こうすれば良い。家康殿と呼べば良い。しかし、他の者がおるときは、家康様じゃぞ」

 「承知致しております」

 「まぁ、わしらだけでも、恵最に付け上がるなよと警鐘を鳴らすが如く、締めるところは締めますか」

 「はっ」


 菊次郎は、天海とのやり取りを態と読売ように聞かせた。


 「ならば私も家康殿と呼ぶことに」

 「そうなされよ。但し…」

 「承知致しております、他の者の前では、ですね」

 「くれぐれもしくじられぬように」

 「わかっておる」

 「では、家康殿の用意がなされたみたいです」

 「承知した」


 仕度を終えた恵最が、ごそごそと菊次郎と本多義信に近づいてきた。


 「仕度は、これで良いのか」

 「宜しいかと」

 「で、どうする」

 「まずは鷹狩りとは、どのようなものとお考えか」

 「お考えって、そらー、鷹に獲物を狩らせるのじゃろ。その鷹が得た獲物を奪い取り、取ったぞーとか」


 本多義信は、のほほーんと息をしている恵最に憎しみのようなものが湧き上がり、つい言葉を吐いた。


 「ふん、ど素人が」

 「うん、今、何と言うた」


 我を取り戻した義信は、平静を保ってみせた。


 「空耳で御座いましょう。さて、鷹狩りとは、鷹に獲物を狩らせるものではありませぬ。鷹を飛ばし、その気配を感じた獣を隠れし所から、炙り出し、それを捕えるものです」

 「なぜ、そんな疲れることを態々致すのじゃ。鷹に狩らせれば良いではないか」

 「鷹狩りとは、狩りそのものが目的ではなく、その土地、民を知り、野を走り、体を堅固に鍛えるもの。また、獣を追い詰める際に、戦術を練る、それが、戦に役立つもので御座います。お分かりになりましたかな、家康殿」

 「ふん、そなたも儂の素性を知っておるのか」

 「それがどうした」

 「どうもしない、天海の差金か…。それ位は想像がつくわ。食えぬ奴よ、あやつは」

 「それは預かり知らぬ事で御座る」


 ぎくしゃくした関係を自ら作り出した本多義信の真意は、影武者の恵最により、家康様の名を汚させない、と言うものだった。

 義信は、城に戻れば権威の象徴である恵最を有無も言わせず、鍛え抜いた。

 休ませろ、城に帰れば後悔するぞ、と喚きながらも、菊次郎と太平次の協力や励みを受けながら、日が沈むまで、恵最は領地を駆け巡った。


 一日目、二日目、三日目と過ぎ、七日が過ぎた頃にやっと、体の節々の痛みが気にならないものとなってきた。当初は、言いたい放題の愚痴を吐くも、城に戻れば、食するのも億劫になっていた。菊次郎は、恵最が着替えをしている間に握り飯をこさえて、恵最に与えた。それを「こんな旨いものはない」と、恵最は貪り食っていた。

 腹が満たされば、眠くなる。目が覚めれば、籠に押し込まれ、城から連れ出され、現場に向かわされた。そんな日が、十日も続いた頃には、体も順応してきたのか、定刻に目が覚め、自ら支度し、「よっしゃー」と意気込むまでになっていた。

 当初、ぎくしゃくしていた恵最と義信との関係も、ひとつの物事に向かって突き進む戦友のような絆にも似た親近感が、生まれていた。

 鍛錬半ばともなると、食事の量は増え、菊次郎が、無駄な肉が付くと注意を促すと、「その分、明日、走ればよいわ」と、高笑いして、聞き流す余裕も生まれるようになっていた。



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