第47話 6/15 人を育てるは、農作物を育てるに似たり。
「父上、刺客で御座いますでしょうか」
「慌てるでない。よく見るが良い。殺気など微塵も感じぬではないか」
「申される通り」
一方、忠兵衛らが用立ててくれた護衛の者たちには、殺気が漲っていた。
「半蔵殿、姿を見せられー」
「お待ちしておりました」
「この者たちは」
「里で調達してきた、お世話をさせて頂く者たちで御座います」
「そうですか、大儀でした、と言うことじゃ、光慶」
「半蔵殿、肝を潰しましたぞ」
「まだまだですな、光慶殿は。それでは、困りますぞ」
「どの口がそう言わせるのか・」
「く・く・く・く・く。半蔵殿の言う通りじゃ。このようなことであたふたしてるようであれば、の~」
「父上までも」
「ここからは我らが先導致しまする」
「お頼み申す」
半蔵たちは、先乗りし、食料や備品を既に調達し、宿舎も整備し終えていた。
根本中堂に着いた一行は、長旅の疲れを癒していた。
「何か足りぬものがあれば何なりと」
と半蔵が尋ねてきた。
「そうじゃな、ここに皆が入れる風呂場を仮設致しましょうか」
「では、早速」
「いやいや、明日からで良い。この者たちも、疲れておろう、今宵は坂本に降り立ち、身も心も労ってからでも、遅くなかろうて」
「はっ」
根本中堂に着いた翌日、天海の命じた仮設の風呂場は、忠兵衛の手配した者たちと世話人たちの手によって完成した。
「ご苦労であったな、皆の者。その方らが作った風呂じゃ、先に頂くが良い」
「恐れ多い、そのようなこと」
「構わぬ。忠兵衛殿の元、半蔵殿の元で働くも、元は同じ忍び。気兼ねなく、骨身を癒し、明日に備えればよい」
「有り難き、幸せ」
「その方らは、明日、堺に戻られればよい。私らは修行に入る故、挨拶は、ご遠慮願う。よくぞ、我らをお守り下された、この通り、礼を申す」
そう言うと天海と光慶は、頭を垂れて見せた。
「ご勿体無いことを、どうぞ、頭を上げてくだされませ」
忠兵衛らの配下の護衛者たちは、甚く、感動していた。
「なるほど、忠兵衛様が、あなた方に肩入れなさる理由が分かり申した気が致します」
その思いは、半蔵が調達した者たちも同じ思いだった。
翌朝、忠兵衛らの用立てた護衛者たちは、深々と天海らがいる根本中堂に向かって一礼して、帰っていった。
「佐平、奴らが本当に帰路に着いたか確かめよ」
「はっ」
それを見ていた天海が口を開いた。
「半蔵殿は、疑い深こう御座いますな」
「念には念を」
「そうですな、それでこそ、半蔵殿よ」
情に流されない半蔵の勤めぶりに、信頼の度を天海は、改めて深めていた。
「半蔵様」
「どうした寅吉」
「半蔵様が、天海様と行動を共にされるのが分かったような気が致します。私たちもあの方らであれば、心底、お守り致したい、と言う気持ちになり申しました。皆も同じかと」
「そうか、そうか」
半蔵は、嬉しそうに頷いていた。
忠兵衛らの護衛が去ってから二日程経った頃、佐平が戻ってきた。
「どうだった」
「奴らは、寄り道もせず、一路、堺に向かい、忠兵衛らの元に」
「そうか、それでよい。あとは、奴らの堺での行動は、継なぎの者が知らせてくれよう」
「お役所の勤めとは、それほど念を押さねばなりませぬか」
「人を信じるとは、容易いものではない。疑い、疑いを重ねて、真に信じたる者かを見極めよ。信じた者に裏切られる程、心を痛めることはないからな」
「…」
「人は嘘をつく。その嘘を見極める術は、情に流されないことと、肝に銘じておくがよい」
「肝に銘じて」
寅吉は、若手の中でも、学を身につけた変わり種だった。
後日、継なぎから、護衛したもの全てが、忠兵衛の元へ戻り、不自然な動きはないという報告が、半蔵の元に届いた。
「天海様、奴らは皆、忠兵衛の元に戻りました」
「そうか、疑いたくはないが、一癖も二癖もある忠兵衛だ。我らの動きに興味を持ったとしても不思議ではないからな」
「そうで御座いますな。しかし、天海様も疑い深い」
「半蔵殿の真似を致したまでよ」
「家康様の口癖通り、食えないお方ですな、天海様は」
「お互い様じゃよ、く・く・く・く・く」
「さて、これでやっと、修行に入れますな、く・く・く・く」
「はい、日々の暮らしの手順は、寅吉に任せて安心。これで、私も、心置きなく、過ごせまする」
「行かれるのか?」
「直ぐにでも」
「気をつけられて、楽しまれよ」
「有り難きこと、有り難きこと、は・は・は・は・は」
「戻りは、三ヶ月後ですぞ、お忘れなく」
「まだ、私の仕事は残っておりますからな。家康様への行の無事の報告がなね。お頼み申したぞ」
「御意、それでは、私も今より松尾芭蕉となりまする」
「謳歌されよ」
半蔵は、立会人を引き受ける代わりに、気ままな旅を手に入れていた。
「寅吉、半蔵は旅立った。これより、そなたが、半蔵に代わり、長となって、任務を遂行致すのじゃぞ」
「重く受け止めて、邁進致します」
「うんうん、それでよい、肩の力を抜いてな、く・く・く・く・く」
寅吉は、佐平、菊次郎、太平次、小太郎に五日に一度、比叡山麓の町、坂本に降り、食材や備品を調達させた。
日々の食事の世話は、料亭や商家の賄いなどに入り込み探偵とするを目的とし、修行した貞丸、伝助に担当させ、滞りなく、任務を勤めた。
寅吉は、天海、光慶の直接的な世話を担当していた。
今回の比叡山入りには、若返りと称して、長男、光慶との入れ替わりの他に天海には、目的があった。
それは、服部半蔵の引退を受け、その後継者を育てること。半蔵に今回の立会人調達に関して、頼んでいたことは
「半蔵殿、そなたが自由を手に入れるは結構。しかし、有能な探偵が不在となるは、この上なく恐ろしい。そこでじゃ、ひとつ頼まれてくれぬか」
「なんで御座いましょう」
「ふむふむ、それはそなたの後継者となる者を探し出し、立会人に加えて貰えぬか」
「して、どのような人物を求められるか」
「学のある者…と言っても、無理があろう。そこで、好奇心が旺盛で、忠誠心に長けた者を探し出してくれぬか。探偵には、武家や商人と渡り合える交渉術の修行を行う者もいると聞いておる。そこから、半蔵殿の目に叶った者を」
「難しい要件で御座いますな」
「そなたが自由きままになれる要件ですぞ。骨の折りがいがあろうと言うものじゃよ」
「ほんに、天海殿は、自分の欲求を他人の欲求に変えられることに長けておられますな」
「く・く・く・く・く」
「了承、実は、めぼしい者がひとりおりまする」
「そうか、そうか。では楽しみにしておりますぞ」
「はっ」
天海の考え方は、農作物を育てるようなもの。育てやすい土壌を作ること。それに適した種を探し撒き、時と愛情を掛けて、丁寧に育てることだ。
天海にとって、半蔵が目利きし、連れてきた寅吉は、まさに二代目服部半蔵となるべき者として、捉えていた。
この三ヶ月の間に、もの考え方、人心掌握術、読心術などの基礎、基盤を寅吉に学ばささせる。その後、光慶の元で育てさせ、竹千代こと家光の警護、相談役に仕立て上げることを自分に課していた。
「寅吉、そなたは半蔵殿の後を継ぎ、家光様を陰日向となり、お助け致すのじゃ」
「そんな大それたこと、この私に出来ません」
「できぬと申すか、やりもせずに」
「余りにも大役過ぎます」
「その大役を演じる者も、元を正せば、皆、赤子じゃぞ。その赤子がどうして、できる者とできぬ者に分かれるか」
「それは、それは、育ちが違います」
「育ちか…そうじゃな。育つ場によって、変わるわな」
「私は、天海様や半蔵様とは、育ちが違います」
「そうじゃな、では、諦めるか、自ら夢を描くことを」
「夢を描くこと?。今まで、考えもしなかった。与えられた命令をそつなく熟す、それが我らの使命かと」
「使命も立場が変われば、その重きも変わる。どうじゃ、人に動かされる側から動かす側に変わってみては」
「私に出来ますか?、そのような大役」
「できぬと思えば、できぬ。できなくとも成し遂げようとする強い意志があれば、自ずと人は育つものよ」
「…」
「どうじゃ、儂らの元で一から学んで見抜か」
「わた・しが、ですか」
「そうじゃ、少なくとも、半蔵が見出してきた者よ、そなたは」
「半蔵様が、私を」
「それに応えてみる気はないかな」
「…」
「そうか、半蔵の目利き違いであったか。半蔵もまだまだじゃの~、これでは半蔵の夢も叶わぬわ」
「半蔵様の夢?」
「そうじゃ、半蔵の夢じゃ」
「私が二代目半蔵様にならなければ、半蔵様がお困りになると申されるのですか」
「困るどころか、落胆し、気が狂うかもな、く・く・く・く・く」
「わ、分かりました。恩義ある半蔵様のためとあれば、この寅吉、一命を落としても、その使命、成し遂げて見せます」
「よくぞ、言った。然と聞いたぞ」
「は、はい」
「では、この場より、そなたを半蔵の後継として、この天海が育てて参りましょう」
「御意」
「ほぉー、早速、その気になっておるな、く・く・く・く・く」
寅吉は、顔を赤らめて、天海を見つめていた。
天海は、半蔵に立会人選別にもうひとつ条件を出していた。それは、技能優秀はさることながら、集団生活が苦手な者、個性豊かな者を交えておくようにと。
半蔵は天海の意図を汲み取り、一筋縄で行かぬ者を探し出し、集めていた。
半蔵にも意図があった。
有能な者を人間関係で破綻させるのは勿体無い。できることならば、その者を社会に適応させ、その才能を生かしてやりたい、その思いだった。
天海は、寅吉に論語を主体に、戦法や人心掌握術を学ばさせ、学んだ事を直様、佐平、菊次郎、太平次、小太郎、貞丸、伝助に教える側の者として、教壇をとらせた。
それを、天海と光慶が監視、助言することで、半蔵の集めた強者たちの心をひとつにまとめ上げていった。
天海には、勝算があった。
荒くね者とは、何故に荒くね者なのか。
それは、無学が故の自己保身からと、見抜いていたからだ。
知識を与え、ものの分別を身に付かせ、考える力を与えれば、感情に流された行動を極力抑えられ、その者が持つ、能力を開花させられると、悟っていた。
それには、外部の者との接触を絶った閉鎖的な空間で、短期間に教え込む必要があった。今回のこの機会は正に、打って付けの環境が揃っていた。
五日に一度、坂本に買い出しに出る。そこには、様々な誘惑がある。それもまた、打って付けの条件だった。
それには、足枷が必要だった。お互いが監視し合うこと。しかし、それは密告し、他人を蹴落とすものではなく、正しい道へと導くものであることを、論語を用いいて、天海は、皆に解いて聞かせ、理解させていた。こうして、ばらばらの心は、運命共同体の形を成し、結束感を育て、競い合わせることで、競争心、向上心、忠誠心を育てあげていった。
人は群がる生き物。
だからこそ、均等に二分しないように、七人の猛者を半蔵に集めさせた。
露骨な程の依估贔屓、激しい程の叱咤激励、その手法は、人格を破壊しかねない程の厳しさがあった。
天海と光慶は心を鬼と化し、それを遂行した。
限られた時で、結果を残さなければならない現実がそこにはあったからだ。
それでも、寅吉を含め、七人は、必死で着いてきた。
時には天海が鬼となり、光慶が佛となる。時にはその逆も。そのようにして、寅吉らの心の折れるのを防ぎつつ、打たれ強い心を育てていった。
飴と鞭。
正に、根本中堂での生活。
そこは、禅の世界と思えない生活が繰り広げられていた。
魚も肉も喰らう。酒も飲む。当番制で坂本に買い出しに行かせる時は、
小遣い銭を持たせ、女郎屋へいこうが酒浸りになろうが好きなように羽を伸ばさせていた。
食事も、貞丸、伝助には、将軍が口にするような調理を学ばせ、七日に一度の割合で皆に振舞われた。
その他の日も、精進料理とは、縁遠いものが、食卓を賑わせていた。
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