第42話 4/15 四方山話に花が咲きすぎ枝見えず
「ほんにそなたの天真爛漫さには手が焼け申す」
「肝に命じておきまする」
「ふう…」
何を言われても動じないお福に、思わず呆れ、天海こと光慶は、大きな溜息を漏らした。
「あの時は、父上もお福の懐妊への喜びなのか珍しく慌てられたのか、後先考えずお人払い迄されて…。傍で見ていた私は気が気でなかったのを覚えておりまする」
「それはそれは」
「それはそれは、ではありませぬぞ。初対面のはずのふたりが旧知の仲のように人を遠ざけて親しく語り合う。そのようなこと、大御所される者が初対面の者に対して行うとは…それも人払いしての蜜談。周りの者にしてみれば、何と危なっかしいことをされるのか、それとも、本当に知り合いなのか…。兎にも角にも、前例のないことでしたからな」
「私の知らぬ所で、大変なことになっておったのですね」
「ああ、そうじゃ。側近の者たちは、『いったい、これはどうしたことであろう』
と、目立った動きはありませぬが、それぞれの心情は蜂の巣をつついたような慌てぶりだったのですよ」
「そこまでの慌てようは大袈裟で御座いましょう」
「何を申すか」
事の大事さを分からぬお福を光慶は、一喝した。すくっと背筋が伸びたお福は、神妙に光慶に頭を垂れた。
「仮にも父上は、家康様の信頼を一心に集められたお方。そのようなお方を自らの管理地で、傷つけようものなら、いかようの家康様からのお怒りを受けるやも知れぬ。お家断絶、斬首もあっても、可笑しくない出来事にも成りかねない事態だったのですよ」
「そのようなこととは、思いもせぬかった…」
極楽とんぼのようなお福が、後悔の念を顕にしていた。
「いや、私もつい事の大きさに冷静さを欠いたようじゃ。まぁ、本人にとって小事も、周りにすれば大事の事も、数知れずあろう。お互い、動けば周りを巻き込むことも多い。巻き込んだ周りにも巻き込まれる者がおる。真実も人を介せば、誇張されたり、その者の都合に合わせて変わり、本来の真実は、思惑の渦に飲まれて、見極めるには苦労するもので御座います。気をつけて動かねばなりませぬぞ。特にそなたは、感情が身を突き動かすでな、もう二度と家康様へ直訴したような突飛な動きは慎むべきですぞ」
「御意」
じっとり湿ったようなこの場の雰囲気を嫌った光慶こと天海は、四方山話で一機に、この場を一掃しようと試みた。
「そうそう、思い出しましたわ。あの時のことを」
「何で御座います…他にも不都合な事をしでかしておりましたか?」
「いやいや、そうではない。あの時は痛快でしたよ。いつも、小言を頂く私もあの時ばかりは、く・く・く・く…」
「何を思い出し笑いなどされて…、如何なされましたか」
「あの時、父上に初めてご意見申し上げたのですよ。そしたら、父上は事の重大さに、はっと気づかれたようで、大人気なかったと、この私に謝れ申されましてな、く・く・く」
「思い出し笑いは止めてくだされ」
「済まぬ、済まぬ、許されよ…」
御淑やかに振舞っていたお福も、このまま光慶に好き勝手にさせれば、聞きたくもない自慢話に花が咲くのではと、話題を変えて、場を引き締めようとした。
「昔話はそれまでにして、光慶殿にお聞きしたいことが御座います。いや、是非ともお聞かせくだされ」
「はてさて、何ですかな」
「単刀直入にお伺い致します」
お福は背筋をしゃっきと伸ばし、鋭い眼差しで問いかけた。
「何で御座いますか、急に態度を変えられて…」
不審がる光慶を気遣うことなく、ずばっとお福は切り込んだ。
「では、お聞きします。今の天海殿が光慶殿であることを知っているのは、この私だけなのでしょうか」
「いや、はっきりと知っておるのは、三人じゃよ。ひとりは、服部半蔵。ひとりは、影武者・恵最。そしてもうひとりは、何かと世話を掛けている豪商の越後忠兵衛だけですよ」
「その忠兵衛とやらは…」
「それは、またの機会にお話申しましょう」
「楽しみにしておりまする。では、本題をお聞かせくだされ」
「どうやって入れ替わった、かじゃな」
「私の真意をお察しになりましたか」
「では、順を追ってお話致しましょう。発端と言うべき時期は、関ヶ原の戦いの後始末が一段落した頃でしたかな。父上は、江戸の町づくりに専念したいと、家康様に申し出られて承諾を得られましてな。思うところがあって、法制度や行政面のことは、金地院崇伝に任せられたのですよ。勿論、要所要所で関わりはしましたが、父上としては、家康様と距離を置く口実を作りたかった、と言うのが本音でしてな」
「距離を置く…とは?」
「笑わないでお聞きくだされ。父上は、家康様亡きことを考えられた時、自分自身の継承者ではなく、自分自身の成り代わりを望まれたのです」
「何故にそのような…後継者でよかろうに…」
「要は影武者と同じように、地位、立場、権限を維持したまま、天海と言う立場、
徳川幕府に及ぼす力を維持したかったのです。二代目では、駄目だったのですよ。それは、古参の大名や旗本にも、一目置かれる立場でなければ、動くにあたって不都合が生まれる、その不都合を出来る限り抑制すべき、だと考えられたのです」
「つまり、家康様の威光は、家康様亡き後も効力を発揮する、いやさせる、と言うことでしょうか」
「その通りです。古くから家康様と関わりのある者は、遅かれ早かれ、死去、または隠居などでいなくなる。さすれば、真の御威光を知る人物は、天海のみになる。つまり、天海の言葉は、家康様の御威光となるのですよ。虎は、死して皮を残す。家康は、死して威光を残す。父上は、その御威光が持つ効力を遺憾無く活用しようとお考えになったのです。それが、天下を統一し、末永く泰平を維持する最良の術だと信じてね」
「それで、光慶殿は、どのように入れ替わったのか?」
「そう、先を急がなくとも良いではないか。こうして思い起こし、話す機会など、そうあるものではないでな。笑うではないぞ、く・く・く・く」
「何事です…、お笑いになっておるのは光慶殿ではないか」
「済まぬ、済まぬ。思い出しても、どうしてそれが上手く運んだか、実はこの私も分かりませぬゆえにな、それが父を超えられぬ人格ですかな」
「そなたの思いはさておき、はてさて、何をなされたのですか」
「表舞台に現れたのは、関ヶ原の戦いの時ですが、家康様との繋がりは、本能寺の出来事が落ち着いた頃でしてな。それまでの間、縁あって比叡山に篭もり、僧侶としては勿論、あらゆる学問書を忠兵衛の手を借り手配させ、それこそ貪り食う勢いで、父上は、学ばれた私もね。特に風水、忍びの心得術、人の心と行動の掌握・詳細を
占星術や陰陽道から習得された。更に私は父上が学ばれ、まとめられた知識を一子相伝の如く、伝承しておりまする。いや、していると自負しておりまする。父上は、その知識と半蔵ら探偵を遺憾なく活かされ、関ヶ原の戦い前の段階で、各大名の考え、行動を推察し、それを、極め細やかに家康様に解かれた。家康様は、それをもとにせっせと各大名に文を届けられたのですよ。それによって、寝返りや意に反する戦と不満を抱く、大名を音無の構えに収めさせ、戦況を優位にされたのですよ」
「光慶殿、出来れますれば核心をもってお話頂けませぬか…」
お福は、焦らされるのに軽い苛立ちを覚え始めていた。
「済まぬ、済まぬ、許されよ。これも父上から学んだ術でしてな。結論から話すは容易いこと。しかし、時を共有すると言うのは、できる限りの詳細を共に抱くものよな、と。結論ありきで、話せば、その過程での認識のずれが、思わぬ矛盾を引き起こすことがあると、教えられてな。私の正体を知る者には、気苦労を掛けるも、認識を共にして頂く必要があるゆえ、許すがよい」
「私めに詳細を話されるは、私を信じて頂いている証…、それに加えて、要らぬ綻びを産まぬためですね」
「そうじゃよ、流石、父から学ばれた経験があるだけのことはあり申すな」
「学んだと申しても、乳母の公募前と、面談当日くらいのもので。それ以外は、文のやり取りを少々…なのに。何やら小馬鹿にされたような気分にさせられるのは、ほんに光秀様譲りのことかと存じます」
「許せ、許せ」
「ならば私も、その時とやらを光慶殿と共に致しましょう」
「そうしてくだされ」
「そこで、ひとつお聞きしたいことがあります」
「何なりと」
「突如、現れた光秀様こと天海殿を、何故に家康様は、受け入れられたのか…。
世の常の認識としては、謀反者では御座いませぬか」
「それも話せば長くなる。そのことにも、半蔵や忠兵衛らが関わっておる。 詳細が知りたければ、半蔵に聞くが良い。半蔵の方が詳細については、よく存じておるゆえにな」
「ならば、そう致しましょう」
「家康様は、父上の僧侶としての新たな生き様を半蔵、忠兵衛の計らいで知っておられた。 しかし、それは修行前のこと。声だけとなれば本能寺の変以後にもありましたが家康様と言えど修業なされた父上に会われるのは、関ヶ原の戦いの前のことでした。その風貌や振る舞いは、後の家康様の言葉をお借りすると『儂の存じておる光秀とは、全くの別人。本当にあの光秀殿か。信長の配下にいた時の亀のような無欲さを微塵も感じさせない変わりようで御座いますな。自信に満ち溢れた懐の深そうな懐深さ。幾多の修羅場・試練を乗り越えられたであろう風貌。優しげな眼差しの奥からこちらを突き刺すような強い意志。これであれば、誰が見ようがあの光秀とは分かりますまい』と言うものでした。そう言わせる程、過酷な修行を父上は、自らの生き様の復刻と志を持たれ、短期間に行われたのです。さて、父上が正体の発覚する危険を冒して迄、戦場に趣き、家康様と共に戦われたのか。それは、生死を掛けて戦うことで、本当の意味での意思疎通を図り、絆を一気に深める目的を持ってのこと。自らが安息の場にいては、場が白けます故にな。事実、同行することで、幾多に渡り、家康様の命を救った。その介もあって家康様は、父上のことを後日、『天海は生き仏や!なんで、もっと早く会えなかったんやろ』と言わせるほど、急激に信頼を得る事になるのですよ」
「そうでしたか…、確かに天海様と話していると、何でも出来る、やらなければならない、という希望の光を帯びたような不思議な気持ちに成り申した」
「それで、よいではないか。何もせず時を過ごすより、仕掛けられたとは言え、自らの決断で動き、新たな道筋を得られるのであれば、納得もいくであろう」
「畏まりました」
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