第43話 4/25 川の流れのように思いを受け止めよ

 「さて、いよいよ本題と参りましょうか」

 「痺れを来たしておりまする、早いのは…、でも、遅いのも疲れ申します」

 「それは、好みの問題でしょう、で、入れ替わりの件でしたな」

 「御意」

 「関ヶ原の戦いの後、家康様と話したこと…それは、未だ秀吉信仰の浸透する豊臣体制を倒し、天下統一に至る迄には、まだ、まだ、刻限を要する。されど、互いに老体と呼ばれ、余命に脅かされる。そこで、父上が申し出た四方山話は、奇想天外なものでした」

 「家康様の熟女好きを幼女好きにするとか」

 「それは面白い。幼女と一緒に小便でも漏らしますかな」

 「小便ではなく、渦巻く塊…、いやいや、想像しただけで…。お陰様で夕飯は節約できそうです」

 「それは惜しいことをしましたな、栄螺の蒸し焼きを馳走しようと思っておりましたのに」

 「もし、それはありがたいと私が言ったらどうするつもりだったのです」

 「その時はその時、新たに考えますよ。夕飯を食べたくなくなる方法をね」

 「成る程、そういうことですか」

 「何がかな」

 「栄螺などここでは用意はできませぬ。私も食したことがない。麒麟を現実のものにした、そうで御座いましょう」

 「想像上の生き物か、当たらずも遠からず、と言った所かな」

 「図星で御座いますか」


 光慶殿は、父・光秀がお福を選んだ訳が分かったような喜びを感じていた。


 「まぁいい、父上は真剣な様相で、家康様に、こう告げられた。天下統一が早いか、我らが死するのが早いか。ならば、死を超越した戦いに挑みとう御座います、とね」

 「それで如何なされた」

 「父上が告げられたのは、ある書物に若返りの術があると。それに自らが挑み、望みを達成すれば、家康様にもご伝授、致し候、と言うものでした」

 「なんと、荒唐無稽な話を…、それを信じられたのですか家康様は」

 「ああ。家康様は、それまでの行いと言うか、天海ならやらかすのではないかと思われたみたいですぞ」

 「最早、家康様の心は天海様の思うままに…と言うことですか」

 「それは何とも…」


 お福の問いかけに光慶は、少々戸惑った。それは、光慶に取っては日常のことであり、改めて考えても見なかったことだったからだ。


 「私が思うに、関ヶ原の戦いの前に行われた文攻撃にあるのではと…」

 「文とは…書簡の類で御座いますか。握り潰される文で攻撃とはどのような」

 「武力に勝るだけでは、勝てぬ戦国の世。如何に根回し、下交渉が大事か。その証が関ヶ原の戦いであったのではないかと。あれ程の大きな戦にありながら、短期間で終えたのは、正に戦場が戦の場だけではなく、戦場に出向く前に勝敗の機微は、決まっていたと言うことですよ。相手の弱点、要求を熟知し、心を揺るがし、我らの思うように操った知力に、家康様は、甚く感心され、それ以降は、武力より、知力に興味を持たれた。知識は、知らぬことが多く、知らぬだけで否定し、関心を寄せぬは、何よりも損失と家康様はお考えになった。延命だけは、力や金では、どうにもならぬ難題だけに一縷の望みがあればこそ、真偽を問うより、試すことの大事さを選ばれたのではと、私は思います」

 「それで如何なされた、天海様は…」

 「父上は、自らがその難行に挑むと告られ、難行後に起きえるすべての事態を家康様に告げられたのですよ」

 「どのような、虚言を、述べられたのですか」


 お福は、笑いを必死に堪えていた。


 「虚言とは…、ですから、笑わぬようにと、申したではないか。それほどに、ふたりに取って、命の尽きる恐怖や焦りがそこにはあったと言うことですよ」

 「…命、尽きる…で御座いますか…。考えもしたことがありませぬ。しかし、おふたりにとっては、重大な案件だったのですね」

 「そう言うことです。事を行い、進めるは、一朝一夕に参りませぬ故にな」

 「して、難行とやらの後、起こる事態とは…」

 「それは、私と入れ替わった際に起こる違和感を払拭させる言い訳のことですよ」

 「言い訳で御座いますか…、どの様な物を用意されたのですか、ふ・ふ・ふ」


 光慶は、お福の小馬鹿にしたな態度に憤慨をしながらも、心を鎮め、話を続けた。

 それは、このやり取りの方法がお福の考え方を変える手法だと、父、光秀から教わっていたからだ。


 「そう思うのは、ありきたりのことでしょう」


 天海こと光慶は、苛立ちを隠すように毒を吐いた。


 「ですから、誰もが思いつく、ありきたりを、覆すこと。それには、難行で起こり得る事態を先に告げることによって、疑いの目を逸らさせようとしたのです。事前に告げられれば、疑いより、変化に興味の矛先を向けられると父上は、家康様の心を読まれていた。人は嘘を告げる際、見破られる恐れから、大袈裟に振舞ったり、嘘に嘘を塗り足すものです。その恐れや不条理が、相手に不信感を抱かせる。一度、不信感を抱かせれれば、どのような真実を述べても、嘘に思われるものなのです」

 「確かに一度、不信感を抱けば、それを払拭するのは、至難の業で御座いますな」

 「付け入る隙の仕向け方で物事の進み具合も、変わります」

 「ほう、それでどう変わるのですか」

 「付け入る隙の与え方ですよ。嘘を見破られまいと、高飛車に相手を攻めれば、相手は反抗し、突き崩そうと、対抗心を剥き出しにしてくる。聞き手は、話し手を認めれば相手に屈したような敗北を感じるようになるのです。そうならぬように、相手に惑わされぬよう、聞き手は、猜疑心と闘うことになる。そう、もう、こうなれば、何が真実か、虚か、など関係なく、どちらが上位に立てるかが、真偽の本意となるのですよ」

 「売り言葉に、買い言葉ですね」

 「そうじゃな。仕掛け方に配慮すれば、その後の展開は変わってこよう」

 「それで、天海様は、どのように家康様に仕掛けられたのですか」

 「聞き手、即ち家康様を上位に立たせるように、父上は、切り出されたのですよ」

 「うむふむ」

 「父上は、携わったことのない難行のその後に、不安を顕にされたのです」

 「不安…をですか。分かり申した、無知と弱音を吐かれたのですね」

 「ほぉー、いいですね、お福。流石、父上の意向を託された者よ。我らの考えを綿のように吸い込み、肥やしにされ、成長なさる。ほんに、修得が早う御座いますな」

 「褒められて、おりまするか」

 「ああ、褒めておる、褒めておる」

 「それは有り難き幸せ…と言うことに」


 お福と光慶は、心から繋がった思いで、満たされていた。


 「さて、続きと参ろう。父上は有りもせぬ難行を誠しなやかに述べられ、敢えて、その不安を家康様に見せることで、臆する者を演じられた。すると、どうでしょう、家康様は疑うのではなく、難行を終えた時のことに興味を持たれ、未だ見ぬ物への好奇心に支配されるようになったのです」

 「獅子、術中に嵌るですね」

 「もう、後は、その好奇心をくすぐれば良いこと」

 「ほぉー、私にも見えて参りましたぞ」

 「では、何を告げられたか、推察されてみなされ」

 「ふむ、ふむ。入れ替わった時に起こる不具合…、入れ替わった時に疑われないための布石…ですね」

 「いいですよ、その調子です」


 小馬鹿にされたように思ったお福の目尻は、鋭く強張った。それを察した光慶は、扇子で口元を隠し、笑った。お福の闘志に火が、付いた。しかし、考えれば考えるほど、そんな馬鹿な、とか、有り得ない、とか、思い浮かべては否定する作業が、頭の中で繰り返され、何が正解なのか、混沌する一方だった。思案に行き詰まり、縁側にふと視線をやると、無防備に、腹を見せ、日向ごっこをする猫の姿が目に入った。


 「何と、気ままで、お気楽なものか…」


 そう思った瞬間、思考の暗転に一筋の光が差した。難しく考えることはないのだ。相手に興味を持たせればいい。聞く者が興味を持つこと。それは、自らが興味あるもの。素直に、不都合を口にし、どう変化するかを口にすればいい。素直さに自信や根拠など、必要ない。確信を持てぬもの故に自信なさ気に話せばいい。そうすれば、聞き手が自ずと、それを解き明かそうと思考を張り巡らさせる。

 問題を相手に投げかけ、その返答に自らの思いを便乗させれば、言い争うこともない。言い争わなければ、双方の思いが共鳴し合い、合意に結びつく。そこより得た結論は、押し付けたものではなく寧ろ、聞き手の願望や思考が反映されたものとなる。

 聞き手が自らの思いで、錯覚、偶像を信じようと、いや信じることの楽しみを優先させてやれば、事は上手く運ぶ。そう思えた瞬間、縺れた思考が一気に解された。

 光慶は、お福から迷いが消え去ったのを見逃さなかった。


 「どうやら、思考の伏魔殿から抜け出されたようじゃな」

 「はい、下手な考え休むに似たり、でした」

 「ほぉー、では聞かせてくださるかな」

 「お聞かせするようなものでは、御座いませぬ。童の思いをそのままに、申せばよかったのですよ」

 「わらべの思いですか…。わらべが何事にも、何?なに?何?と聞きたがる。あれは、人の成長に大切な好奇心が育つ様子。答える者も、真剣に答えを求められている訳ではないので容易に答える。その際の答え方にも、その者の物事の捉え方が見え隠れする。わらべにとってみれば、答えを知りたい欲望より、そう言えば、構ってもらえる嬉しさや人との関わりを楽しんでいるに過ぎない。見たまま、思い浮かんだままを、相手や周囲の環境を考える濾過を通さず垂れ流す。わらべなら、知らぬことと、濾過されぬ言葉は、聞き流されるが、成人ではそうはいかぬ。わらべに成りきる演技力が必要になる。馬鹿、阿呆を演じるのが一番難しい。だからこそ、馬鹿、阿呆を演じられる役者は、上手いとされるのですよ」

 「ならば、私は阿呆になれますかな」

 「演じてみなされ。秘訣は、損得勘定と恥じらいを捨てることよ」

 「では、自尊心とやらを捨て申す」

 「そうですとも、馬鹿げたことをさらりと言い切れる胆の座り具合を披露してくだされ」

 「前置きが長きに渡るは、心が萎えまする」

 「そう申すな。このやりとりは、只のやりとりにあらず」

 「ならば、何で御座いましょう」

 「お福の考える力を養っておる」

 「その考える力とやらは、如何に役立ちましょうか」

 「考えるは、生きる上で大きな力となり申す」

 「どのようにですか」

 「苦難に襲われたとしよう。あたふたし、焦り、正しい判断もままならず、その場しのぎの打開策で過ごせても、その付けは、後日、もっと大きな苦難となって襲いかかってくるやも知れぬ。それを避けるには、冷静に物事を見る力。当事者であるがゆえに緊張し、迷い、悩む。他人事として見れれば、対処の方法も違ってこよう。そのためにも、物事の本質を見抜く力。それに対処する多岐に渡る解決策を持つことよ」

 「多岐に渡る解決策…、それは如何にして身に付きまする」

 「難しくはない。茶碗を見てみるが良い。上から見れば丸じゃ。横から見れば、半月が台に載ったように見える。底から見れば、噴火口のように見える。物事も様々な見方をすれば、様々な答えが導き出されるものよ。わらべの何?なに?何?も、成人すれば、何?の数だけ、答えが導き出されるということですよ。それが知恵であり経験ですよ。その答えの数が、そなたの苦難や、より良い処遇を見出す。知識は、生きる術で最も強力な武器となる。その知の力は、修得の仕方で善し悪しが決まる。その善し悪しを決めるのが、物事を如何に多角に見ることができるか、なのです。それを得る術が、考え方への取り組み方なのです」

 「そのようなもので御座いますか。しかし、わたしに出来ますでしょうか」

 「小さな器に並々と注がれても少しの水しか入らぬ。大きな器に同じ量の水を入れたならどうなる。満たしていた水は、情けなく成る程、少なく見えよう。帯に短したすきに長し、じゃよ。見方によって見えるものも変わるもの。無用の長物も用途を変えれば宝になるやも知れぬ。そういうことよ」


 お福には、天海が説く考え方が、飲み込めないでいた。


 「ご不満か…く・く・く・く。まぁ、良いは、いずれ分かり申す。父が学び、私が教わった人心掌握術は、自然と身につく。自らが考え、悩み、解決策を見い出す。それは、目の前に捕らわれず、素直な目で見る癖をつける。そうすれば、川の水が岩を擦りぬけるように身につくものですよ。邪魔な岩も幾度となく水が摺り抜けると、大きな岩も小ぶりになっっておる。それが、成長ですよ。膝程しかなかった自らの背丈も気づけば、親を抜いておることもあろう。それほどに、気にもならず育ちまする。

楽しみに、その時を待たれれば良いのです」

 「わらべのような澄んだ思い…。汚れ切った私にそのようなものありましょうか」

 「不安になるは、知恵が邪魔をしておる証。それを導くはまた無知であること。好む好まないに関わらず知恵を付けよ。それを素直に見る目で操るがよい」

 「信じる者のみ救われる、と誰かが申しておりましたな」

 「キリストか、他言致すな、危なきことですよ。しかし、どこでそれを」

 「キリスト?何で御座います?」

 「いや、口は禍の門。気を付けなされ」

 「分かり申した。では、光秀こと天海様が家康様におっしゃったことは、簡単なもので御座いましたのでしょうね」

 「もう、答えはお分かりのことと、聞かぬとも宜しいな」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る