第32話 01/15 雇われ兵の「欲」は地獄を描く

 秀頼自害の知らせは、直様、徳川の兵たちの耳に届いた。戦の終わりである。しかし、これと言って戦果を得られていない兵たちにとっては、出世、報奨金などを得る千載一遇の機会を失うことを意味していた。おこぼれに授かれない兵たちは、我先に城下に流れ込んだ。目に入る町人を片っ端から殺害し、首をかる「にせ首」。強欲な者は、片耳を削ぎ落とし、首の代わりに成果を重ねていった。


 「耳」を指で摘む様子の「又」から作られた漢字「取」。「首」を持ち帰る道程「しんにょう」からできた「道」漢字の由来となるものには残忍な物も少なくない。


 張り詰めた兵たちの緊張が、敵方に対する憎悪や規律の中での抑制が弾けて、暴挙に出る者もいた。民衆の首を武士の首だと偽り恩賞を受けようとする「にせ首」。それさへも、差し出しても評価されないと落胆した兵たちは、火事場泥棒の如く、民家に押し入り、金品を強奪。混乱に乗じて、民衆を戦利品として拐う「奴隷狩り」。

女を見つければ、帯を無理からに解き、犯す者もいた。興奮状態にあった兵たちの一部は、残虐な行為へと走った。異常なほどに常軌を無くす状況下にあった。軍勢は、手当たり次第に民衆に襲いかかった。

 この様子を民衆の記録誌には、男、女の隔てなく、老いたるも、みどりごも、目の当たりにて刺し殺し…と記されている。戦火に逃げ惑う民衆、正規の目標を失った闘争心は、悪魔の申し子として、兵たちを翻弄していく。その中には、臨時の雇い兵として駆り出された農民たち。徳川につくか豊臣につくか…真っ二つに分裂した村。

 中島村の有力者、惣右衛門は豊臣方に味方しようと訴えた。秀頼様のために手柄を立て仮に討ち死にしても、末代まで名をあげることをありがたく思う。という身上書を豊臣方に出した。それに意を反したのが、惣右衛門の甥、太郎左衛門だった。

 太郎左衛門は密かに仲間を集め、徳川方に願えるように企てた。太郎左衛門たちが徳川方に提出した文書には、これまで、やむを得ず豊臣方に従っていたと釈明し、今後は徳川に味方するとうい意思を示していた。太郎左衛門は、徳川家中心に動いてゆく、来る時代を見据えての決断だった。

 他の村、地域でも同じような葛藤が繰り広げられていた。大坂冬の陣の時、太郎左衛門は、手柄を立てるべく動いていた。大坂城の本丸に最も近く、戦略上重要な北側から兵を進めようとしていた部隊があった。しかし、そこは自然と流れる河が弊害となっていた。そこで太郎左衛門は、大坂城北部の詳細な地図を作成。さらに、河の浅瀬をその部隊に教えた。これによって、徳川方は、大坂城の北側に兵を進められた。

 この部隊は、砲弾などによって、大坂城を攻撃した。そこには、同じ村の仲間たちが、護衛隊として参加していた。

 慶長19(1614)年12月6日、一発の砲弾が、本丸、淀殿の居間付近を直撃。侍女数人が即死。恐れをなした淀殿は、徳川との和議に傾き、12月20日、講和成立、大坂冬の陣の終結した。

 翌年、家康が仕掛けた火種が大火の兆しを見せた。徳川によって、お堀を埋め立てられた豊臣方は新たな防衛作戦を打ち出した。


令和元年、お付き合い頂き有難う御座いました。新年は、01/15からのスタートとさせて頂きます。いよいよ、天海の思いも佳境に。天下泰平は成し遂げられるのか。まだまだ、波乱が待ち構えているようで御座います。

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