第17話 7/15 優雅な白鳥の足さばきの如く。

 家康は、狸おやじと言われる程、用意周到な人物だった。家康が関ヶ原に挑む経緯がここある。豊臣家の家禄・領地が著しく、減少していたのは、関ヶ原の影響ではない。秀吉が死去した後、秀頼が家督を継ぐが、実権を握っていたのは、徳川家康だった。秀頼は、気さくな家康から多くの学びを得ていた。

 石田三成は秀吉の命を受け、朝鮮出兵に力を注いでいた。武将への評価は、相変わらず厳しく、武将たちの不平不満は積年の思いとなっていた。そこに目を付けたのが家康だった。


 「秀頼様、三成殿の我らへの評価は、厳しすぎまする。戦場で命を掛け、豊臣家のために尽くしておるのにですぞ。それでは、遅かれ早かれ、豊臣家、ひいては秀頼様への忠誠心も風前の灯火ともなりかねまするぞ」

 「それは困り申す」

 「そうでしょう。魚心あれば、水心あり。三成殿は、武将たちに更なる向上を促しての叱咤激励。しかし、鞭を打つだけでは、人は就いては参りませぬ」

 「では、どうすれば良いのです」

 「泳ぐ魚には、水を与えれば良いのです、親心という水を」

 「どういうことだ、分かりやすく言ってくれ」

 「褒美ですよ、褒美。軍功を上げた者には、領地を与えれば良いのです」

 「領地とな」

 「しかし、三成殿には内緒で御座いますよ。理してる裏で甘やかしているとなれば、三成殿の立場もありまするから。すべては、反乱の火種を抑えるため。いずれ、明るみになった時は、秀頼様の決断として、突っぱねてくだされ。それでこそ、頭首の威厳で御座いますからな」

 「相、分かった」


 裏では秀頼から軍功の褒美を出させると、家康は、武将たちに伝えていた。物分りの良い人物。それは、家康への求心力を高めるには十分だった。

 豊臣家の領地という、他人の褌で相撲をとる、そんな、ずる賢さを家康は、持っていた。これも、如何にして豊臣家の勢力を削ぐかという、策略のひとつだった。

 未だに秀吉信仰がある中、争わずして戦うか、それが天海と家康の課題だった。

 この策略は、真綿で首を絞めるように、豊臣家を弱体化させていったのです。

 褒美の名目上、一人に与えれば、軍功が続く限り、褒美を授け続けざるを得なくなる。ない袖まで振らなければ、反乱抑止にならず、豊臣家の威厳にも関わる。

 底なしの沼に秀頼は、家康によって導かれたことになる。秀吉が、最大勢力者の家康を後継者にせず、血縁関係に拘ったことから、歯車が少しづつ噛み合わなくなってきていた。当初は、倒幕の意思はなくても、その行いは、徐々に徳川政権樹立の色合いを深めていったのです。


 天海は、大坂・堺にいた。

 関ヶ原の合戦後、その経緯と結果を越後忠兵衛に報告する為だ。

 越後忠兵衛は、鉄砲商人を隠れ蓑に、裏では闇貿易で、莫大な資金を得ていた。

 忠兵衛は商人、自分たちに都合のいい政府を作るため、闇の組織、閻魔会を結成し、暗躍していた。

 天海は、閻魔会の会合に出席していた。越後忠兵衛の要請を受けてのものだった。関ヶ原の合戦秘話を、講釈師のように皆に語って欲しい、と言う要望だった。

 天海にとっても好都合だった。久々に合戦場に趣、血が騒いだ。この思いを、そばに居た者として、記録簿として残したかったからだ。


 「ほな、早速でおますけど、始めてくれやす。あっ、皆さんは、会食気分でご自由にお聞きくださいな」

 「ほお、楽しみで御座いますなぁ」

 「なんせ、わてらには、詳細は伝わってきまへんからな」

 「ほんに、あんな大きゅうな戦いが、たった一日で終わりましたからな」

 「わしなんか、妾の所で一戦を終えてさあ、と思うたら、もう終わってましたわ」

 「おさかんで、よろしゅう御座いますな」

 「まだまだ、若おまっせー」

 「はいはい、皆さん、そう興奮せんと。天海殿が笑っておまっせ。すいまへんな、こうして集まるのは、久しぶりでしてな、皆、湯治場にでも来たような気分でしてな。許してやってくだされ。ほな、改めて、始めてくれやす」

 「では、気軽に聞いてくだされ」

 「ほお、始まる、始まる」

 「なんか、興奮しますな」

 「これこれ、天海殿を困らせないでもらえまっか、ほな、どうぞ」


 天海は、裏では暗殺も諫めない者たちが、子供のようにはしゃぐ姿を見て、自分が歌舞伎役者にでもなったような気分で、悪い気はしなかった。


 「それでは、関ヶ原の合戦秘話をごゆるりとお聞きくだされー」


 天海は、その場の雰囲気に合わせ、少しおどけてみせた。


 「よー、始まる、始まる」

 「初めにお断りしますが、敬称は略させて頂きます。では、事の発端は、秀吉がなくなったことから、始まりまする。残されたのは、子供。それも、正室の「ねね」様ではなく、側室の「茶々」との間にできた子、その名を豊臣秀頼と申す」

 「秀吉様もごさかんじゃのー」

 「そうですな。さて、まだ若き秀頼に政治など任せられるはずがない。用意周到な秀吉も死を悟った頃から、それを案じていた。そこで、秀頼が成人するまで、五大老と五奉行の合議制で政治を行わせようと致しました」 

 「そら、そうじゃな。折角、築いた新台を他人には渡したくないわな。しかし、五大老とか五奉行というのは機能してなかったのでっしゃろ。機能していたら、この合戦は、違ったものになっていただろうに」

 「まあまあ、そんなに先を急がされずに。でも、流石にお察しがいい」


 そう天海に言われ、難波小次郎は、少年のように顔を赤らめた。


 「どうぞ、先にお進みくだされ」

 「では、お言葉に甘えて」


 会場は、笑いに包まれていた。天海は、才覚と冷酷さを兼ね備えた食わせ者たちのことを、憎めないでいた。むしろ、立場は違えど、自分を信じ、邁進する男達に、共感さへ覚えていた。


 「では続けまするぞ。五大老は、武闘派の徳川家康を筆頭に、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、上杉景勝の五人。一方、五奉行は、豊臣秀吉の信頼を得ていた官僚派の石田三成を筆頭に、浅野長政、前田玄以、長束正家、増田長盛の秀吉の家臣五人衆でした。五大老は、250万石の徳川家康から、55万石の宇喜多秀家までの大大名たち。五奉行は、秀吉家臣ではあったが20万石が最高禄高という格差」

 「そんなに、格差があったんかいなぁ。貧乏人の五奉行が、大金持ちの五大老を抑えるなど、土台無理な話。これじゃ、戦わずして勝敗が期していたのではありませんか。なぜ、秀吉様とあろうお方がそんな過ちを犯したのであろうか。平和ぼけ、と言うことでしょうか」


 成田重信が、即座にそろばんを弾いいた。


 「そうで御座いますな。しかし、政治とはそんなに簡単には参りませぬ。皆さんも武士になって、戦おうとは思わないでしょう。誰しも、戦いなど仕度ありませぬ。お互いの面子を重んじて、均衡を保っている。その面子とは、家柄や格式、人間関係の濃密さです。それらが、複雑に絡んでおりましてな、その均衡がある思惑によって崩れた時、戦は起こります。なにせ、誇りと大義名分の世界ですからな。だから、武家社会とは、面白く、厄介なもので御座いますよ」

 「その面子とやらを金の力で解決しようとすると莫大な資金が必要じゃな。例え、お金を掛けても、思うような効果は得られますまい。死に金は、使いたくないわな」


 重信は、面倒臭い武士でなく、商人で良かったと実感していた。


 「家康は、秀吉の決めたこの制度に、不満を抱いていた。筆頭である自分が、禄高の低い五奉行の指図を受けかねない立場にです」 

 「何故、秀吉様は、家康様に全てを任せなかったのでしょう」


 植野長七郎は、素朴な質問を投げかけた。


 「そうですね。そうしていれば、合戦はなかったでしょう。いや、本音を言えば、家康が、秀頼の教育係りに付いていれば、匠に秀頼を取り入れ、豊臣家の血を流すことなく、牛耳っていたことでしょう。それでは、豊臣政権は名前だけのものに。秀吉はそれを嫌ったのです。家康の暴走を食い止める事が、豊臣家の繁栄を維持する。共存は即ち、乗っ取りと考えていたと言う事です。秀頼が成人するまでに家康がなくなるかも知れない。それに掛けていれば、歴史は違った意味で変わっていたかも知れませぬな」

 「権力を握った孤独な独裁者は、さもしいもので御座いますな、天海殿」

 「あんたが言うと、真実味がありますな」

 「忠兵衛さん、それは言い過ぎでしょう」


 一同は、ごもっともごもっともと、大笑いした。


 「家康は、不満を蹴散らすように、秀吉の遺言を無視してみせた。反政府勢力拡大を恐れた秀吉は、大名同士の婚姻を原則禁じていた、それを、嘲笑うように家康は推奨した。それによって、家康は、親派を増やしていったのです。これも、秀吉の疑心が招いた失策でしたな。推奨、いや黙認していれば、地盤を固められたことでしょうに。それによって、家康を追い込めたかも知れませぬ。人は人を疑い始めた時から、転げ落ちていく、良い例ともいえるでしょうな」


 天海は、人を疑う危うさを閻魔会の者に伝えたかった。

 しばしの沈黙を破ったのが田崎新右衛門だった。


 「それを見て見ぬ振りができなかったのが、三成はんですな」

 「その通り。石田三成が、黙っているわけがありませぬ。家康に、勝手に縁組をされるのはいかがなものか、と家康に意見しますが、済まん、済まん、ボケておるようじゃ、許せ、許せ、と言いつつ、懲りもせずに縁組を推奨した。これには、三成もいい加減になされよ、と苦言を呈するも、分かった分かった、本当にボケておるな、と聞き流す始末。この頃から、三成は、家康の勝手な振る舞いは、豊臣家の危機と実感し始めたことでしょう」

 「三成からすれば、家康は邪魔者以外の何者でもないですな。私たちなら暗殺が、視野に入る出来事ですな」


と、鴨家佐輔が言ったのを聞き、直様、成田重信が茶々を入れた。


 「ほお、怖い、怖い」

 「そなたらも同じ思いでしょう。私だけみたいな言い方は、やめてくだされ」


 鴨家佐輔は閻魔会で、何かとツッコミを入れられる人物だった。


 「そうですね。事実、織田信長は、将来の家康を考え、暗殺を企てています。何を隠そう、その刺客に任命されたのが、昔の私、明智光秀でしたから。秀吉、三成とも暗殺時期を逃してしまった。それ程、家康は勢力を拡大していた。また、三成に暗殺の発想はあっても、それを実行する信頼できる駒はなかった。仮に実行しても、その事後処理など出来ようもない。家康暗殺は、自身の暗殺に繋がる連鎖を三成は、嫌ったのです。既に五奉行で、家康を抑える限界も感じ取っていたことでしょう」


 「私らに依頼されれば、なんとか出来たかも知れませんな」


 と、成田重信がぽつんと囁いた。


 「これこれ、そのような事、軽々しく言うものでは御座いませんぞ。ましてや、家康様と行動を同じくされている天海殿の前で」

 「あっ、これは失礼致した。今のは聞かぬことに」


 成田重信は、一瞬、我に返って、自分を諌めた。


 「そもそも、私たちが何故、家康様側に就いたか、お忘れか。秀吉が、私たちの既得権を奪おうとしたからでしょう。その為に次期、天下人になり得る家康様を信長の暗殺から救う事で恩を売り、貿易枠、商売への便宜を計って貰えるようにするためでしょう」


 越後忠兵衛は、行動的ではあるが、口の軽い重信を諭した。


 「そうでしたな」


 閻魔会で突出した存在だった越後忠兵衛に諫められた、重信は萎縮していた。和やかな場が一瞬、冷たく氷ついた。それを察した忠兵衛は、


 「済まん、済まん、重信どん。私もまだまだ器が小さいは。許せ、許せ」

 「おや、忠兵衛さん、家康様と同じことを言ってなさる」

 「ほんに、そうなれば、差詰、重信はんは、三成か」

 「よ、よ、よしてくれ、私はまだ死にたくはない。くわばら、くわばら」


 一同は、笑いに包まれ、また和やかな雰囲気を取り戻した。


 「さて、家康は、三成が自分を厄介者と感じ始めたことを確認すると、なんとか三成から喧嘩を仕向けてくるよに模索していた。争いごとになった時、より多くの味方と大義名分を得るためにです」

 「家康は、本当に噂通り、狸ですな。十分な財力と軍事力を持っているにも関わらず、被害者面をして、事を起こし、自分を正当化する。うん、本当に狸ですわ」


 佐輔の意見に天海は、ほんに、ほんにと笑顔で返した。


 「そうですね。周りを引き込み、仲間を増やす。そこが独裁者色の濃い、信長や秀吉との違いですね」

 「周りくどいやり方じゃのー」


と、閻魔会では、武闘派の近江蔵之介がイラつきながら言った。


 「そうですね。目の前の事だけを見れば、焦れったいやり方です。しかし、そのあとの事を考えれば、決して無駄な動きではないのです。焦って事を起こせば、次に首を狙われるのは自分になる。その時、力のある者を如何に多く、味方につけているか

否かで、その後が大きく変わりますからな。家康は、先の先を読んで、行動する堅実なお方なのです。私も、行動を同じくして、それがよく分かりました」

 「成る程ねぇー、お侍さんの世界は、人間関係がまどろっこしくて、いけまへんな。ほんと、商人でよかったですわ。私が武家社会に居れば、もうこの世におらんかも知れまへんな」

 「蔵之介さん、足はありますかいな。鞍上確かめた方がよろしおまっせ」

 「ほれ、この通り、ありまんがな。冗談がきつおますで」


 あはははは…


 「鬼のいぬ魔の洗濯。家康は、三成の元を離れる機会を。三成は、家康が秀頼の元を離れる機会を探っていた。それは子供の豊臣秀頼は、生真面目な三成より、色々教えてくれる家康を信頼していたからです」

 「それなら、秀頼を取り込み、三成を追いやればいいのでは」


と、植野長七郎がぼそっと呟いた。


 「そうですね。それには時間が足りな過ぎました。秀頼はこれからの人。家康、私も、皆さんも、老い先を数える方が早い。波風少なく起こすには、時間が掛かる。じっくり構える程、残された時間はない。この矛盾の中の葛藤で御座います」


 「成る程、前門の虎、後門の狼、行くも戻るも、地獄と言うか苦難か。ならば、最善の道を模索し、突き進むしかありますまい」


 と、感慨深く長七郎が言葉を吐いた。


 「そう言う事です。事を早期決着させるのは、戦うのが一番の早道。その大義名分を探していたのです、家康は。そこに格好の出来事が舞い込んできた。上杉景勝の件です。後の関ヶ原の合戦のきっかけともなる出来事のひとつです。

 五大老の一人、上杉景勝は、越後から陸奥会津に加増転封となっていた。そこで、新たな領地の整備、城の修復、新兵の増加などを行っていた。そこに家康は目を付け、景勝、謀反の兆し有り、道の整備に新兵増加を断りもなくやっておる、説明に来い、と書状を送った。景勝にとっては、はぁ、って感じでしょうな。新たな領土の整備、それに伴う道の拡張や新兵の増加は、当然の行いですからな」

 「そらぁ、いちゃもん以外の何者でもありまへんな。上杉はんとっては、とんでもない所から、偉い災難が、降りかかってきたもんですな」

 「そうで御座いますな。当然、何をおっしゃているのか意味が分かりませぬ。と、当初は丁寧に返事をしていましたが、余りにも、しつこいから、家康殿こそ、約束事を守らず、婚姻を推進されているではあるまいか、と応戦。それども収まらない言いがかりに、上杉家の重臣、直江兼続も、堪忍袋の緒が切れてしまい、売り言葉に買い言葉ではないでしょうが、次に書状を持ってきたなら、その使いの者ごと、切り捨てるって。更に文句があるなら掛かってこい。相手をしてやると、啖呵を切ったから、収まりがつかなくなりました。

 それを受けて家康は怒り心頭。早速、謀反を企てる上杉家を征伐にいくぞー、と態々大軍を引き連れて大坂城を後にするのです。三成の元を離れる口実を手に入れた訳ですな。その時、家康は、これで三成が自分を討つ企てを実行するはずと、高笑いされておりましたよ。家康にすれば、上杉家を討つなど毛頭ない。成り行き上、目立ってきた武将に自らの力を見せつけ、押さえ込む程度の軽い気持ちでしたからな」

 「やっぱり、質の悪い狸じゃありませんか、敵にはしたくありませんなぁ、付き合うだけで大変ですよ」


 と長七郎は呆れ顔で言った。


 「そうですな、あはははは。でも、期待通りに三成は、家康の勝手な行動に不満を抱く大名と繋ぎを取り、家康征伐の画策を行っていましたらな。家康は、将来、邪魔になる反逆軍を一掃したい思惑があった。案の定、石田三成は、百戦錬磨の大谷吉継を担ぎ出し、安国寺恵瓊、増田長盛たちと密談し、打倒、家康、を旗印に仲間を集めに、躍起になっておりました。毛利輝元にも、我が軍の大将にと懇願し、仲間に引き入れている。準備が整った三成は、打倒、家康へと出陣を決意するのです」


 「火のない処に付火ですか、怖い怖い」


と、佐輔はおどけてみせた。


 「そうですね。これを知った家康は、各大名の意思を早急に、確認するのです。上杉征伐に向かわせた軍には、豊臣親派ともいうべき、黒田長政、福島正則らがいたからですよ。彼らを敵にまわせば、厄介なことになる。それを案じた家康は、軍を引き返させ、清洲城に集結させた。黒田、福島は、三成と考え方の違いから、東軍に賛同する。しかし、待てども、一行に、家康は清洲城に来ない。「家康は何をしておる。何故、駆けつけぬ、我らだけで戦えと言うのか」清洲城に集まった大名たちからの不満が、出始めた。そこに家康は、使者を送り込むのです。「美濃に居て、三成の立ち寄る岐阜城を攻めぬのは何故か」と、小馬鹿にしたような伝達内容だった。これに憤慨した大名たちは、直ちに岐阜城に出向き、攻め落とす。このことを知った家康は、やっと動くのです。家康にすれば、その大名たちを信じるに値するかの踏み絵として、岐阜城を攻めさせたのですよ。

 その頃、家康は江戸城にいて、何もしなかった…わけでなく、私と共に敵・味方へ、それぞれに心を揺さぶるような手紙をせっせと書き、送っていたのです。

 それはそれは、まめに出しておりました。さあ、いよいよ、関ヶ原で激突です」


 「ああ、光秀殿、いや天海殿。激突前の大坂で三成が犯した人質事件で、お玉様が…、遅ればせながら、お悔み申し上げます」


と、植野長七郎が天海に深々と頭を下げた。天海は、黙って手を合わせた。他の者も、手を合わせ、場は一瞬静まり返った。


 「お気遣い、ありがたく思います」


 やっていることは決して褒められないが、仲間を思いやる礼節がある、と天海は、胸を熱くしていた。


 「では、続けますよ。石田三成の西軍は、東軍を見下ろす優位な布陣を得ていた。東軍には大きな誤算が生じた。真田昌幸軍二千人が、家康の息子である秀忠を足止めすることになる。秀忠もよせばいいのに、行き掛りの駄賃と、真田軍に手を出した。その結果、軍勢三万人が、合戦に間に合わないという失態を犯すのです。これには、家康も私も、呆れ果てるしかなかった。家康・私の望みとしては、西軍武将たちの経験不足にかけるしかなかった。結束の薄さ、合戦そもそもの意味合いが浸透していない点。軍勢であっても、決して一枚岩ではない、そこに活路を見出していたのです。

 西軍武将を切り崩すために、この戦いが本来、何の為の戦いかを解くことに、重点を置き、密偵を送り続けた。東軍は簡単だった。三成への不満を掻き出せば、反逆精神でがっつりと一枚岩を築けましたからね。

 合戦時の詳細は、後ほどに。

 勝敗は、あっけなくというべきか、一日少しで、決着がついた。真田昌幸が、徳川秀忠の三万の軍勢を足止めしたのに、何故、西軍が敗退したのか。優位な立場を活かせず、敗退したのはなぜか。

 勝運とは、一瞬の判断で流れが変わるものです。それは、理屈ではなく、経験と勝負感が大きく左右することを私も実感しましたよ。

 石田三成は、武将の失態をほじくり返し、思慮浅く、結論を自分都合で出していた。そこには、失態の反省、学習も活かされず、ただただ武将たちの評価点を下げる為のみに活かされた。現場を軽んじた、官僚体質の敗戦と言えるでしょうね。

 その例が、勝敗を分けたあの雨の夜…。

 戦になれた島津義弘が、夜襲をかけよう、と進言したのを、合戦場において、危険だから、と言う理由で三成は却下した。如何にも、現場の流れを読めず、机上での戦いの浅はかさが、露見したものでした。でも、その義弘の三成への不信感、それも後に家康への追い風になるから、勝負事は面白いものですなぁ。

 まだ、小早川秀秋が寝返っていない折りに、島津義弘の言う通り、夜襲を掛けていれば西軍が、勝利していたかも知れませぬ。夜襲の件は、家康とも話し合った。その結論がまさに、三成は、勝負師でない。よって、危険を避けるはず。と読み、我らは、寝返る可能性のある武将たちに、使者を送り、交渉の時間として活用できたのです。頭は切れても、武将としての勝負感は、三成にはなかった。大将の気質の違いが、合戦の勝敗を決めた、と言っても過言ではないでしょうな。

 驚かされたのは、島津義弘の正面突破ですよ。後に、あの場にいた者から、面白い話を聞きました」

 「ほぉ~何で御座います。ぜひ聞きたいものですな」


と越後忠兵衛が口を挟んだ。


 「それはね、無謀とも思える正面突破は、義弘の怒りの現れだったのでは、と。

それは、「馬鹿者目が」とか「愚か者目が」とか「あの時、言う通り攻めていれば」とか「所詮は頭でっかちの臆病者目が」とか「あんな臆病者と戦えるか」「なぜ我らが血を流す」など、刀を振り回す度に、怒涛のごとく吐き捨てていたらしく、怒りの矛先が、東軍である自分たちに向けられたものでないことに、一瞬、戦意を失ったそうです。対面した者は我に戻った時には、島津軍勢の中団が目前にあったらしく、対応が遅れたと、言っておりました。西軍の大半が、三成に対する不信感を抱いていたと言うことですよ。

 立場上、仕方なく合戦に参加し、その場に至っても、参戦していることに納得出来ていない、水と油の軍団では、勝機はありませぬわな。

 我らは、戦う前から、武将に文を送り、個々の不条理を調査し、彼らの心を惑わす不安感を煽り続けたのです。謂わば、心裡の戦い。それにより、戦前より、西軍につくも、心は東軍、と言う武将を取り組むことを成し遂げられた訳です。

 小早川や島津、毛利が動かなったのも、疑心暗鬼の葛藤がそうさせたものと、いや、そうするだろうと、我らは考えていたのですよ。

 今や戦いは、軍勢の大小や、刃を交えることではなく、情報戦の色合いが濃くなっていますよ。

 服部半蔵を中心とした伊賀者や、閻魔会からお借りした、忍び崩れの者、特に、くノ一の方々の情報が、本当に役立ちました。この場を借りて、お礼を申し上げると共に、願わくば、彼らを労って頂ければ幸いかと。心中、お察しくだされ。家康からも、礼を言っておいてくれと、預かっておりまするゆえ。その見返りとして、秀吉が、そなた等から奪おうとした利権は、家康は、見て見ぬ振りをすると、約束頂いております。豊臣派が今後、何かを言ってきても、さらりと交わし、狸面で、我関せず、馬耳東風となさるでしょう。

 政治は、秋の空。しかし、今当分は、ご安心くだされ。何か動きがあれば、事前に報告を致しましょう。

 実は、私たちの思惑が及ばぬ点が、ひとつだけありました。それは、豊臣秀頼を戦場に、担ぎ出せなかったことです。秀頼の母である淀君の強固な「秀頼、参戦ならず、の駄目出し」それを切り崩すだけの、秀吉親派を揺さぶる札を用意できなかったこと。その代わり、秀頼が大坂城に居座ることを逆手に取り、{手薄になった大坂城を乗っ取るぞ}、とうい嘘の情報を流し、邪魔な毛利輝元軍を、大坂城に足止めさせることに成功した訳です。合戦後も、難攻不落の大坂城には、豊臣派が胡座をかいております」

 「これから、豊臣家を、どう処理なされるつもりか」


と、植野長七が天海に問いかけてきた。


 「取り敢えず、三成に賛同したことを理由に、豊臣派をできる限り、多く処罰します。首謀者は見せしめの為に斬首。あとは、寝返る者は条件を突きつけ、飲めば、受け入れます。牙は抜いてですが。大半は大幅降格ですね。参戦しなかったら、こんなことにならなかったという、被害者意識は、我らにとっては、捨て駒として、今後、大いに利用価値があると考えております」

 「怖い人だ。天海殿は。淡々と話される内容には、感情と言うものが感じられない冷酷無比と言うのか、味方にすれば、頼もしいが敵に回すのは、ご勘弁願いたいと、

思わせる雰囲気を持たれておりますな」


 田崎新右衛門は、波乱万丈の人生を歩む、天海という人物に興味を抱いていた。

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