続・覇獣狩りと職人
本田紬
第1話 職人の青年
それはこの世界における生態系の頂点である。遠くからも良く見える鮮やかな青の体毛がそのことを示している。その風貌は獅子を思わせる体躯に立派な翼が付いておりあらゆるものを凌ぐ大きさをしている、とされる。だが、中には深紅の体毛をしたものなども確認されており、その生態はまだ謎に包まれている。
その覇獣を狩ったという噂が立ったのはいつの話だったろうか。その美しい体躯から取り出されて加工された商品があっという間に王候貴族たちに吸い上げられるように買い漁られ、一部の人間の目にしか届かない場所へと移されるまでにそう時間はかからなかった。
「アーチャー、俺は親方の所に顔を出してくるよ」
「了解、ボス」
「そのボスっていうの、やめろよな」
その美しさをより至高のものへと突き上げたと言われる工房の、将来を期待されていた弟子の一人が行方不明になっているという噂は、それほどには出回っていなかった。誰かが突然いなくなればある程度の騒ぎとなるのだが、その弟子というのは行き先を告げていたからである。ただ、その行き先というのが悪かった。そして、誰しもがそれを止められなかったことを後悔し、弟子の生存を諦めるしかなかったのである。
「親方、怒ってるだろうなぁ」
「仕方ない。俺が悪い」
「当たり前だ。お前が悪い」
背嚢の中にはある素材が詰め込まれていた。それも生の素材ではなく一次加工の済んだものである。長らく
「サイト、お前がここに残りたいと言っても俺は止めない。お前にはそれを言う権利がある」
「うるせえよ、ゼクス。俺はそれどころじゃねえんだ」
ローブに身を包んだ体格の良い男にそう言い返したサイトは、この工房の弟子だった人間である。そして、さきほどから工房の入り口の扉を開けるかどうかでずっと迷っていた。あのサイトが、これほどに恐れるものがあるのかと、フロンティアの村の人々は思うほどの人間であるのだが、サイトにとっては覇獣なんかよりも親方の方がよっぽと恐ろしい。
「よ、よし。行くぞ」
「何度目だよ」
合計四回にもおよぶ「行くぞ」を経て、サイトは扉の取っ手に手をかけた。
***
フロンティアと呼ばれる土地がある。それは王国の西方に広がる広大で肥沃な土地だった。本来であればそこには王都近辺に住めなくなりあぶれた人間たちが村を開拓し移住していくほどの土地であったのだが、それを行う人間は少ない。ほとんどは北や南の資源の乏しい土地へと向かい、飢饉や疫病で倒れて行った。この大陸の人口はもう数百年以上前から増えていない。飽和しきったその人々は、何らの原因でその数を減らさざるを得なかったのである。
そして、フロンティアにおける人口減少の原因が「覇獣」であった。
「抜覇毛が足りない。もう死骸から抜いてしまえ」
「ボス! そんなもったいない!」
「ボスって言うな!」
フロンティアの村の一つ、そこにはサイトやゼクスたちの住む場所があった。今のところ周辺に覇獣の気配はない。超一流とも言える
「ほう、何か? その辺の蔓で代用しろと?」
「い、いえ。そんなつもりじゃあ……」
「だったらさっさと探してくるなり抜いて来るなりしやがれっ!」
十以上も年下の職人に怒鳴られてかけていく覇追い屋の新人。そして怒鳴ったのは何を隠そうサイトである。
「あんまりイジメてやんなよ」
「うるさい。この罠が引きちぎられでもしたら死ぬのはあんたらなんだぞ」
あの可愛かった少年が二年もするとこんなになってしまうのか、とアーチャーは嘆く。いや、二年前のサイトは可愛かったか? ともう一人の冷静な自分が突っ込むような気もしないでもないが、それを口に出すと色々と面倒な気がしてアーチャーは苦笑するだけにとどまった。
「まあ、実績があるからな」
「前回の罠があんなに簡単に引きちぎられるなんて思いもしなかった」
あれは肝を冷やした。サイトは言うが、実際はそんな程度の問題ではなく全員が死を意識した。しかし、引きちぎられる罠で一瞬の行動を抑制されたためにできあがった隙をゼクスが逃すわけもなく、サイトが作り上げた軽量のバリスタは覇獣に止めを差すのに十分な威力を持っていた。
「世界唯一の覇獣狩りなんだ。もっと自信を持てよ」
「自信とやらであいつらが狩れるのならば、いくらでも持ってやるよ」
ブツブツとなにやら文句をいいながらも、サイトは抜覇毛を編み込んでいた。彼の理想というのはアーチャーには想像もつかない場所にまで行っている。それはかつて命を捧げるとまで誓ったゼクスを大きく上回っており、それがこの村を守っているといっても過言ではなかった。数年前には覇獣の影におびえながらすごしていた自分たちが、今では覇獣を本当に追って暮らしているのである。
「予備の装備は十分にあるんだろうな。今度のはあまりでかくないとは言え、覇獣は覇獣だぞ」
「十分だよ。あとはその罠を設置する場所を決めるだけだ」
この二年間、サイトは休みなく働いている。それはこの村のためでもあり、自分たちのためでもあった。
ゼフと名付けた個体とクリムゾンと名付けられた個体がこの村の近くに出現した時、サイトはゼクスたちとその覇獣を討伐することに成功していた。その際に三人の覇追い屋の仲間は帰らぬ人となっている。その死を間近でみたサイトという少年の中に、何が芽生えたのかはアーチャーには分からない。
幸運だったのだろう。そして生き残れたのは運だけではなかったはずだ。ともかくもサイトたちは覇獣を討伐した。それも二体である。
村の周囲の覇獣がいなくなった事で、村はさらに発展することが可能になった。サイトはゼクスとアーチャーへ言う。自分たちが「覇獣狩り」だという事を、村の皆に公表しようと。
もともと、この村はゼクスによって治められているようなものだった。双角馬の馬車で各地を行き来できるのはゼクスだけだったし、村の有事の際には必ずゼクスが皆を先導した。
そんなゼクスが言ったのである。これからは、サイトについていくと。
寝耳に水とはこのことであるという顔をしたサイトがゼクスに詰め寄ったが、事情を知った村人たちはサイトの技術が自分たちを生かしたということに納得し、誰もが反対などしなかった。こうして、サイトは最年少ながらもこの村の村長を押し付けられてしまったのである。
全てを諦めたのちに工房の職人であるサイトがした事は、覇獣の素材の加工だった。そして作り上げた商品を、フロンティア最大の都市であるイペルギアで売りに出したのである。もちろん、村はかつてないほどに潤い、その金で様々なものを補充し、少しずつ移住者も増えてきた。
だが、村人の頭の中には常に不安がつきまとっていたのである。それは新たな覇獣がやってこないかというものだった。覇獣は、どこからか飛んできて住み着くような獣なのである。
そして、その問題に対してサイトが行ったことは単純な事だった。
覇獣を狩ったのである。
追われる者から、追う者へと立場を覆した者に不安など残るわけがなかった。残ったのはこのまだ若い青年に向けられる、日増しに増える重圧のみである。
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