第5話
「できます」
「そうか……。やはりできませんわね。わかりました」
「できます」
「いえいえ、貴方が悪いわけではありません。なんでも変えられるのはきっと、宣伝のスローガンみたいなものなんでしょう。その気持ち、わかりますわ」
「できます」
「こちらこそ、ありがとうございました。それでは、失礼します」
「いってらっしゃい」
時間はちょうど午後五時半である。あとは一人で新作の映画を観に行く予定があるので、時間の無駄がなく、早めに映画館に向かう方が良い、と僕は考えながら、出かけの準備をする。
ドアには指紋認証機能がついているので、鍵をかかることは不要である。
二階立ての仕事場からバス降り場へ足を運ぶ。
外は曇りだが、雨が降りそうもないように見える。
着いた。
次のバスが来るまでまだ数分あるようだ。スマホを持っている僕は、それをいじる意思がまるでなく、ただただ遠い向こう側の街路樹を眺めている。
と、その時、物音がした。足元で何かがものすごい速さで通り過ぎたというわけだ。
何かと言うと、F市の名物、セミ爆弾ならぬ、ネズミミサイルである。しかも猫よりも大きい体型をしている方だ。不思議なことで、この町ではネズミに遭う確率が、なぜか昼間の方がはるかに上回っているようだ。
「夜になると、外にいる時間が少ないからでは?」
「なるほど、それも有り得るね」
「それに、昼間に比べると、夜中にネズミが出るのが普通だと認識されているので、あっても不思議だと思わいませんし、特に人に言うほどのことでもないと思います」
然もありなんと言わざるを得ない。
「貴方、これからはどちらへ?映画館ですか?公園ですか?それとも、どちらもかしら?」
「よくご存知ですね」行動パターンが既に把握されたような気がする。
「存じてなんかはあリません。私はただ、可能性二つを述べただけ。ここを通るバスは二つしか有りませんし、各々の路線には公園と映画館がある。貴方は特に手荷物を持ってないので、ここの住民だと推測しています。故に仕事帰りという可能性はかなり低いと思います。それだけの話」
「これでも仕事帰りですよ、一応」映画館こそが我が家だ、と僕は常に心がけている。
「さいですか」
目の当たりにするのは体型の細長い男である。黒い背広に黒い革靴、それからマジシャンのような黒い帽子と正反対で、肌色が極めて白くて、いかに不健康そうな色である。
「貴方は?」こっちから質問する。
「私は?」向こうが首を傾げる。
「すいません。これからどちらへと聞きたいんです」特に知りたいわけでもないが、日常会話の中に出る質問は、九十パーセント以上がこういうものだと思う。
「私はどこへ行っても、どこに居ても、見るもの、或いは見えるものが、全部同じです」
「安定した人生ですね」
「安定が好きですか?」
「さあ。安定という言葉が好きかもしれません。貴方は?」
「私は?」
「安定が好きですか?安定した生活が好きですか?」
「儚いものは美しいと思います」
「そうですか」
バスが来た。
「映画、お好きですね」
「それも推測ですか?」
「いいえ、ただの当てずっぽうです」男は囁やくような声で話す。「縁があれば、またお会いしましょう。では」と、礼をした。
やがて車内に入り、席へ腰を下ろすことにした。
バスが動きだす。
「縁が切れていないようですね」と僕は呟いた。
「切れないものなんです、縁というものが」数秒前聞いたばかりの声が再び耳にする。
「腐り縁というものもありますが」
「腐っていても、切れることがありません。それが縁、もとい、絆というものなんです」
「絆、ね」
「お嫌いですか?」
「好きとは言えませんね。それだけが言えます」
バスが止まった。信号待ちである。
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