銀河の果てのカップ麺

空想演算器

宇宙の果ての真ん中で

「これは困りましたなあ」

「まったく、これは困りましたなあ」

 お世辞にも広いとは言えない宇宙船のデッキで、中年の男がふたり、パンツ一丁で語り合っていました。空気はよどみ、徐々に思考力も低下しているようです。

「もっとこう、劇的な何かが起こると思っていたんですが」

「いやいや、この状況は十分に悲劇的と言えますよ」

「むしろ喜劇ではありませんか」

 何かしらの書類でぱたぱたと顔を仰いでいるこのふたりこそ、稀代の天才科学者、オソラノビッチ教授とスワレルノフ博士でした。

「ごらんなさい、あっちの時計はもう1000年も進んでいます」

「こちらの時計はまだ1時間も進んでいませんね」

「ああ、この観察結果をどうにかして世に発表する手段はないものでしょうか」

「まったく、どうにかならないものでしょうか」

 ふたりが乗った宇宙船はいま、ブラックホールに吸い込まれている真っ最中です。いにしえの相対性理論によれば、ブラックホールに吸い込まれたロケットは事象の地平線を超え、重力に引き裂かれてばらばらになってしまうことになっていました。しかし天才たちは重力のしがらみを超える装置を開発し、いざその向こう側におもむかんとしているところだったのです。

「よくよく考えてみれば、相対性理論を超えた宇宙船の中で、相対性理論がはたらくわけがありませんでしたな」

「まったくそのとおりで、われわれの主観時間がどうなるかなど、想像すらできませんでした」

「だからこそ直接観測する意義はあるのですが、それにしても困りました」

 ふたりが目を向けたのは、お湯の入ったカップ麺。ふたりの主観時間では3時間ほど前にお湯を入れ、とっくに伸び切っているはずの代物です。

「局所的な時間の流れの乱れが、こんなにも顕著に観測されるとは思いませんでした」

「われわれは奇跡的にも同じ時間の流れに留まれていますが、軽はずみに置いたあのカップ麺の主観時間は、われわれのものと大きく異なっているようですね」

 そういって見つめた先には、まだふやける様子の見受けられないカップ麺。立ち上る湯気が空中で静止しています。

「彼女の主観時間では、まだお湯を注いでから1秒も経っていないのでしょうね」

「ああ、あれが最後の食料だというのに」

  それこそが問題でした。宇宙船に積み込んだ食料が底をついてしまったのです。ちなみに、カップ麺はロシア語では女性名詞です。

 ふたりは最後のカップ麺にお湯を入れ、出来上がるまでの3分のあいだにこれからの方針を決めようと、そう考えていたのです。

 ところがふたを開けてみれば、いえ、ふたを閉めてみればご覧のとおり。時間の流れの歪みによって、いつまでもカップ麺ができあがらないのです。

「このまま待っていては、餓死にしてしまいます。覚悟を決めて、動きましょう」

「私もそう思っていたところです。覚悟を決めて、動きましょう」

 ふたりは慎重に立ち上がります。途中、パンツのはじっこが時間の流れの中で暴れて、粉々に風化してしまいました。いまやふたりは丸裸です。

「危ないところでした。体が触れていたらひとたまりもありませんでした」

「まったくです。より時間の流れが遅いところを探さないといけません」

 手にしたパンツの切れ端をかざしながら、あちらへふらふら、こちらへひらひら、ふたりは宇宙船の中を行ったりきたり。カップ麺と同じ時間にたどり着いたときには、もうヘトヘトでした。

 それでも気を取り直していざ、フォークで麺をすくい上げた瞬間です。

 宇宙船の窓がまぶしく輝き、がたん、と大きく揺れました。

「やや、これはどうしたことでしょう」

「なんとも不可解ですが、とうとう事象の地平線を越えたのでしょうか」

「そうであるとしか思えません。いえ、そうであって欲しいと思います」

「同感です。われわれはとうとう、世界の果てを超えたのだと信じたい」

 しかしああ、なんということでしょう。いつの間にか宇宙船はあとかたもなく消え去り、ふたりはニューヨークのショッピングセンターに立っていたのです。

「事象の地平線は地球に繋がっていたのでしょうか」

「ここがわれわれの地球かどうか、まずはそこから確かめなければいけません」

 ふたりは興奮さめやらず、科学的な議論をくりひろげます。

 『裸の男が二人、カップ麺を持ちながら騒いでいる』という通報を受けた警官がふたりを捕まえたのは、それからすぐのことでした。


 結局ここは地球だったのか、そうじゃなかったのか、ですか? それはあなたのご想像におまかせします。

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