第79話人は道具でも家畜でもペットでもないとは言うけれど

※本話は三田村くんちの事情の説明に終始しており、全文字数が い ち ま ん も じを超えております。伏線回収のために必要なので入れたはいいものの、作者的にはそんなに大事な話でもないと思うので、読者の皆様におかれましては、どうぞお時間のある時にお読みになるか、いっそ読み飛ばすことをお勧めします。読まなくても全然困りません。※






「……白状はくじょうすると、最初は見た目が滅茶苦茶好みだから仲良くなろうとしたー……って事実はあるよ」


 三田村は問わず語りに話し出しつつ、バツが悪そうに頭をいた。先程朝倉に対して怒鳴ってしまった後ろめたさがあるようだ。


「それで、君と一緒にいるうちに、真面目でしっかりしてそうな言動にも惹かれだした……ん、だと思う。性格がまっすぐだから言動が予測しやすいってあたりも好きだよ。女の子のよく分からない理屈で振り回されるのが本当に苦手だからさ。

 ……でも勿論もちろん、それだけじゃここまで深入りなんてしてない。似たような性格で見た目のいい女の子なんて他にもいくらでもいるわけし」

「へえ。……三田村さんは見た目のいい子をよりどりみどりで選べるんだ?」

「いやごめん、今のは失言でした」


 見た目だって中身だってその人その人の努力の賜物たまものだもんな、と、三田村は両手を合わせて苦笑する。

 そしてその苦笑はすぐにふっと自嘲じちょうの笑みに変わった。


「……俺も周りから言われるほどモテてないんだけどなあ。

 俺のバックグラウンドってなんというか……女の子にとってはすごーく嫌な感じみたいで。俺の実家のこととか知った瞬間にみんな逃げちゃうんだよねー。だから基本的に振られてばっかり。

 告白は向こうからされるけど、別れを切り出すのも絶対に向こうからってのがいつものパターン。

 だから全然モテてない。どうでもいいのからは変に好かれたり無視してるのに弾丸みたいにラ〇ンが来たりして速攻でブロックしてるけどさーあー」

「……そんなに好みじゃないとしても、女の人からアプローチをかけられているってわけでしょ?」


 と、朝倉は眉間にしわを寄せて口をとがらせる。


「それって十分にモテてる範疇はんちゅうに入る気がするけれど……」

「いーや、モテてないって。

 その理屈を適用したら、エリカちゃんだってモテてるってことになるんじゃないの? エリカちゃん自身の好みじゃないとはいえ、男の側から好意を向けられているって意味では十分すぎるほどモテてると思うけど」

「モテてないわよ」

「モテてるね」

「あれはモテなんかじゃないもの!」

「んじゃあ俺のもモテなんかじゃないよ。

 モテてるように見えてるとしたら、エリカちゃんの気のせいだ」


 はたから見るとくだらなさ過ぎる水掛け論だが、本人たちはいたって真剣な様子だ。

 ……が、話の内容のバカバカしさに先に気づいたらしき三田村が「この議論はもうやめやめ」と苦い顔で首を振る。



「──とにかく、俺はいつも振られてるわけ。

 モテてなんかない。付き合ってるうちにいい子だな、やっていけそうだなって思った子からは軒並み逃げられてるし」


 三田村はため息をついた。そしてバツが悪そうな表情になって朝倉から目をそらして、


「……だから今回も『そうなる』んじゃないかって、自分の話なんかしたら逃げられるんじゃないかって思って、こんなタイミングになるまで言い出すことが出来なかった。……それは本当に申し訳なく思う」


 と、言いながら頬をかく。

 その声があまりに真剣な色をんでいたので、朝倉は思わず背筋を伸ばした。

 彼がまた口を開く。


「だから今言うよ。ちゃんと言う。君に嫌われるかもしれないけど、言う。

 たたられたくないからちょっと、要所要所ボカすけど、でも君に対して不誠実にならない程度n」

「祟られるの!?」

「いや、祟られないと思うけど……喋ってるうちに祟られそうな気分になるというか……祟られる可能性も否定できないというか……」

「祟られる可能性がありそうな話なの!?」


 朝倉は声を裏返らせる。

 怖がりにはあまりにハードルが高い切り口から話が始まったからだ。


「ま、ままままさか将門公まさかどこう首塚くびづかが家の近所にあるとかそういう系!?」

「ねーよ! ないです!!

 というか将門塚しょうもんづかがあるのは千代田区ね?

 まぁあっこも、関東大震災後とGHQが撤去作業をしようとしたときに立て続けに不審死が起きているから不用意に触れると祟られるだろうけども。……俺の場合はそういう霊的なアレじゃなくて、もっと別のだよ……」


 三田村はそう言って、しばらく考えるようなそぶりを見せた。

 そしてしばらく考え込んだ後、嫌そうな顔をしながら口を開く。


「……その昔、『し』で始まって『く』で終わる区に、戦時中に軍事関連事業でまーまー潤っていた小さな会社がありました」

「その区って新宿区よね?」

「その『し』で始まって『く』で終わる区にあった会社は、規模としては町工場って言ってもいいくらい小さな規模だったらしい」

「ねえ。なんで無視するのよ。つまり新宿区なんでしょ?」

「だけど、その会社の社長さんはまぁお金を沢山持っていたので、近隣の小さな家や会社が疎開で都市部から逃げ出そうって時に、彼らの持つ土地と引き換えに彼らに金銭的な援助を与えて、逃げる手助けをやってあげていたんだとさ。

 それで自分は着々とエリア一帯の土地を増やし続けていたらしいね」

「なるほど……それで?」


 朝倉は恐怖をごまかすために茶化すのをあきらめて、話の続きを促した。三田村は軽く頷いて話を続ける。


「彼は順風満帆な大地主としての人生を完成させつつあった。

 ……ただ、一つだけ大きな問題があった。彼は子どもを儲けることが出来なかったんだ。どんなに努力しても駄目だった。

 妻だけでなくめかけも二人取ったがこれも駄目。まるで呪われているようだった……って周囲の人間は今も言っている。あっこは未だに子どもがらみのトラブルが多いからね。

 で、ともかく、なんとしても跡取りを確保しなければならなくなった彼は、養子を取ることにした。

 その養子はとある機関の番頭で、たいそう優秀な男だったらしい。しかしその優秀な養子がとある広域暴力装置と妙に縁が深かったことがその家を後々まで苦しめることに……」

「ち、ちょっとちょっと、ちょっと待ってよ本当に真っ黒じゃない!!」


 朝倉は慌てて三田村の話を遮った。


「それってとある家とかいってボカしてるけど、どうせ三田村さんちなんでしょ!? 無理よ無理! 私、お父さんが会社の企業野球チームに入ってる野球狂いで賭博関係者を締め出さなきゃいけない関係上反社とは絶対に絶対に付き合うなって言われてるから! だから申し訳ないけどあなたのことは本当に好きだけど今回の御縁ごえんはなかったことに」

「っていうのが、俺のひい爺さんの親友」

「……。……親友?」


 朝倉は目をしばたかせる。

 その様子があまりに幼く見えたので、三田村は思わず笑って彼女の頭をまるで子供にするようにポンポンとなでた。


「そ。親友。

 うちのひい爺さんはひい爺さんで少しだけ新宿に土地を持ってたけど、その親友は本当に別格だったんだよ。素人が聞いても一等地だって分かる場所を幾つも持ってる。

 ……が、しかし。

 一等地を多く持っていたからこそ、その親友の家には昔から怨霊のような人間が次から次へとやってきた。戦後からバブル期にかけては本当に手段を選ばない連中が『話し合い』を強要しようとしてきて大変だったそうだよ。

 養子は黒いつながりを駆使してなんとか土地だけは守り切ったが、その代償は大きかった。ヤバイ奴らの暗躍があったのかどうかは知らないが、苦労して産み育てた彼の子ども達は成人後次々と変死したり、行方不明になったりしたんだってさ」

「なにそれ……」

「まあ、殺されたんだろうね」

「……」


 朝倉は絶句した。彼はそんな彼女の様子を見つつ、消えた彼らがどうやって行方不明になっていったか、死んだと推測されているのか、一つ一つ事例を挙げてみせる。

 ……嘘か本当か分からないが、妙に具体性があるのが朝倉にとっては不気味だった。


「……本当になんなのよ、それ。土地を持った家に生まれただけでそんな目に遭ったって言うの? そんな無法がまかり通るわけ……?」

「もちろんまかり通っちゃいないよ。まかり通るわけがない。今もあんな方法がまかり通っているとしたら、こんなに日本中の都市の土地区画整理事業が難航してるワケがないでしょ。基本的に地権者の方が強いんだから」


 三田村は苦笑する。


「……だけど、無茶なノルマに追い詰められて思い余って犯罪に手を染めちゃう馬鹿で心の弱い地上げ屋が昔からいたってことだね。バブル時代の『強引な地上げ』には、そういう実力行使も含まれていたんだ。

 そんな時代にあの家は他の人たちよりも特にひどい目に遭っていて、だからいまだに『呪われている』なんて噂もされる。

 確かに呪われているように見えるけど、個人的にはあれは霊的なもんじゃないと思うよ。あの家を呪っているのは、もっと別の何かだ」


 そう言って、彼はふっと窓の外の夜景に目を転じる。彼の言う『強引な地上げ』が起きた舞台だ。


「……そんな家に、俺は婿養子として入れって言われている。

 ひい爺さんが打ちひしがれる親友のことをあまりに不憫ふびんに思って、それで申し出た話らしい。自分の孫のうちの誰か地主の息子として鍛え上げて、アンタの土地も家も守ってやるってさ。俺が生まれた時の話だよ。

 ……ひい爺さんはもうとっくに死んだけど、結納金やその他もろもろの見返りがメチャクチャ貰えるってんで、爺さんも俺の両親も、曾祖父さんが残した方針に大賛成してる。

 だから、俺は生まれた時から他人の家の家督に繋がれた家畜になるべく金をかけて育てられ、今は修業期間として不動産屋がらみのあれこれの経験をホームタウンの新宿で積まされている最中……ってワケ」

「……」

「ヤな話だろー? 俺もすげー嫌。だって全然やりたくねえもんよ、死ぬほど嫌。

 そりゃ、金かけて大学まで出してもらった恩はあるけどさ、それを天秤にかけてもキツいもん。自分のことなんか考えないで、仕事のこと考えてた方がずーっとマシってレベルで嫌」


 三田村は肩をすくめて、話を茶化すように笑う。


「ってワケで、俺は君とは逆に経歴だけは普通に見えるけど、中身は地雷だらけなんだよね。

 だから女の子にもすぐ逃げられちゃうんだー。

 だって住む場所も自由に決められないんだぜ? そりゃダセえって思われるよな。あのタワマン、うちの社長が住んでるから同じ階に住んで使いっ走りやれって言われて押し付けられた部屋だし」

「ちょちょ、ちょっと待って、ちょっと待って!」


 朝倉は慌てて三田村の話を遮った。あまりに情報量が多すぎる話に頭がパンクしてしまったのだ。

 彼女は彼から聞いた話を自分の中で整理するように軽く頭を押さえて考え込んだかと思うと、キッと三田村をにらみあげる。


「……考えれば考えるほど、ヤな話どころかとんでもない話じゃない!

 三田村さんは今自分のことを家畜って言ったけど、人間は家畜でもペットでもないのよ? わかっているの!?」

「まあ、そうだね」

「そうだね、じゃないわよ!

 貴方、自分がどんなに酷いことをされているのか分かっていないんでしょう!

 私は元教員だから、子ども一人を大学に入れて出すことがどれだけ大変なのかってことも分かっているつもりよ。だけどね、そんなふうに教育にお金をかけてもらったからって、三田村さんがひどい扱いを受けているって事実は取り消すことができるものではないわ!」


 朝倉はそう言って一呼吸置き、三田村に言い聞かせるように話を続ける。


「……人間はペットや家畜じゃないって私は今言ったけど……子どもってね、親からペットや家畜として扱われているようなケースがよくあるのよ。

 もちろん親だって人間なんだから、子どものことを何でもかんでも引き受ける超人ではいられないのは当然のことよ?

 でもだからって、親が子どもと向き合って子育ての責任を追うことから逃げて、ペットとしての可愛さばかり求めたり、家畜としての利益ばかり求めるようになってしまうのは……とても悲しくて不幸なことだと思うの。絶対に間違っているとさえ思うわ。

 正直今の三田村さんの話って、私が教員や保育士をやっているときに出会ったひどい話と同じくらいひどいと思う」

「そうかあ? そこまでは酷くないって」

「酷い話なんだってばどうして自分で気づかないのよ。

 ……考えるのも嫌なレベルなんでしょう? 何度も何度も死にかけて、本当に死んじゃうような働き方をしていた方がマシなくらい嫌だったんでしょう?

 それともあまりに我慢しすぎて、本当に嫌だったことさえ忘れてしまったの……?」


 朝倉にそう言われて、三田村はうっと口ごもった。


 ──確かに、忘れてしまっていたのかもしれない。


 朝倉から問われて初めて気がついた事実だった。

 彼は自分の過去について、客観的事実以外の記憶をすぐには思い出せなくなってしまっている。

 だが、よくよく自分の子ども時代を思い出してみれば、たしかに当時の自分は親からの理不尽な扱いに怒っていたし、絶望してもいた気がした。

 諦めて悪感情を引きずることをやめて以降の記憶は、あまりない。つまり家族に関する記憶がない。勉強や仕事がうまく行った達成感や、友人や仕事仲間と馬鹿騒ぎしているときの楽しさはよく覚えているのだが。


(……なるほど。確かに神父が言ったとおりだな。感情と記憶は不可分に結びついているってわけか……)


 元々どうにもならないことをくよくよ考え続けることは彼の性分には合わなかった。

 結果、子ども時代を思い出すことをやめた三田村は『当時の自分が怒っていたことそれ自体』も忘れてしまっていた。朝倉から「それは酷いことをされている」と言われても、自分事として共感できなかったほどに。


 三田村が一人神父から聞いた話を思い出して納得している横で、朝倉はなおも言い募った。


「三田村さん、あなたは人間なのよ?

 そんな存在を家を存続させる道具みたいに扱うなんて、人道的に絶対に許されることではないの。嫌なら抵抗すべきよ。わかる?」

「……そんなリベラルな理屈が通用する相手じゃねえもん」


 朝倉の言葉を三田村は鼻で笑って一蹴いっしゅうする。

 嫌なことを思い出したからと言って、どうにかなるものではない。そもそも泣こうが怒ろうがどうにもならなかったこそ、彼は逃避と忘却を選択したのだ。


「ひい爺さん世代なんて、自分たち自身がペットみたいに扱われていたような時代の人達だぜ?

 血統書付きの犬みたいにさ、カタログスペックで釣り合ったオスとメスでまとめ買いされてさ? そんで国と家の存続のために身命しんみょうして子どもを作りまくって励めよーなんてことを言われていたような時代の人たちだ。

 自分は道具か家畜だとでも思ってなきゃ、やってられない時代だったんじゃないかと思う。

 ……『人は生まれた時から自由であるべきだ』なんて正論をぶつけたって、あの人たちには響かなかったよ」


 と、三田村は肩をすくめて軽く笑う。そして不意にいとおしそうな目で朝倉の方を見て、


「……でも、やっぱりエリカちゃんは怒ってくれるんだな」

「は? どういうこと?」

「今俺がした話って、普通の女の子は反応に困ってドン引きしながら別れることを検討するような話だと思うし、実際今まではそうだったんだけど……でも君はなにをおいても、まずは俺のために怒ってくれるんだなーって」

「……当たり前よ! 当たり前じゃない! こんな酷い話があっていいと思う?

 三田村さんはヘラヘラしているけど全然笑える話じゃないわ! 教育のプロとしてはあってはならない態度かもしれないけれど、でもどうしたって許せないもの!!」


 プンプン怒る朝倉の頭を、三田村は笑いながらぽんぽん撫でる。

 そして話を切り替えるように、長い溜息をつきながら天井を見上げた。


「……まー、そんなわけで、俺は親や爺さんひい爺さんの敷いたレールに従ってさえいれば、ン十億円相当の金を管理する立場が転がり込んでくる予定ではあるんだよ。それを悪霊みたいな連中に取られずに守り切るための教育も一応受けてきている。だけどなあ……。


 ……やっぱ、やりたくねえ」


 彼はぽつりと本音を口にする。

 まるで今までに散々怒って泣いたあとのような、疲れのにじんだ声だった。

 今の彼は決して泣いたり怒ったりしていたわけではないのだが。


「本当、エリカちゃんの言う通りだよ。俺は血や土地を後世に繋ぐための道具じゃねえ。実家も曾祖父さんの親友の家のこともそんなに好きじゃねえから、言うことを聞く理由もそもそもねえ。

 ……だけど、子どもの頃は自分のライフラインを握られた状態でわざわざ家に歯向かう勇気はなかったんだ。大人になって自活し始めたあとでさえ逆らうのは面倒くさいと思い続けていたんだから、そこは甘えていたと自分でも思うけどね」

「学習性無力感というやつね」

「あー最近ネットでよく聞くねえその言葉。

 ……でまあ、だから仕事に頭からどっぷり漬かってたんだよなあ。俺。

 家のこことか将来のことなんかを考えることから逃げていたんだ。過労死するくらい働いていた方がまだマシってレベルで自分のことは考えたくなかったからな」


  そう言って、彼は自重混じりの笑みを浮かべながら目を伏せる。


「……多分、逃げてるうちに『逃げてる方が楽だ』ってことに気づいて味を占めちゃったんだと思う。

 親ってさ、子供の言うことにあーだこーだ口を出す癖に、子供が『勉強がある』『仕事が忙しい』って言ったら黙って放っておいてくれるじゃん?

 あれが成功体験になっちゃったんだね。真面目ないい子の振りをしていれば、親から干渉されずに住んだ。将来の逃げられないことから考えずに済んだもんだからさ」

「……でも、逃げたいんでしょう?」

「もちろん。俺は君と生きたいもん」

「……。……でも、婿養子ってことは、多分決められた結婚相手ももういるんでしょ……?」

「いるね。会うことさえも避けてきたけど、そんなにいい性格のヤツじゃないってことくらいは知ってるようなヤツが」

「……つまりモメにモメるってことよね。これから」

「だね」


 三田村は苦笑を浮かべながらうなずく。

 苦笑というより、厳密にはから笑いといったほうが近い表情だった。情けない面を見せることになったのは彼としては虚脱したいくらい不本意なことなのだろう。そういば、彼は自分と出会った当初から、弱っているところを見られるとムッとした顔を見せていた……ということを、朝倉は今更ながら思い出してきた。


「……多分、今まで逃げに逃げてきた分、これから滅茶苦茶にモメることになる。

 俺が今までのレールをぶった切って自分の力だけで生きるなんて言い出したらどうなるか分からない。……俺と一緒にいてくれるのなら、多分君も相当に苦労する」

「……」


 朝倉はしばらく黙って目を閉じた後、天を仰いだ。


「……想像以上に悪い話だったわ。

 乙女ゲーのイカれメンヘラ男もはだしで逃げ出すレベルで妙に現実感のある激重設定じゃないのよ……」

「うん。俺もそう思う」

「三田村さんってなんでいつも『そう』なのよ……なにも『クリアするにはなぜかヒロインがイケメンのカウンセリングをしなきゃいけない』って要素まで満たすことないでしょう?

 あなたはいったいどうして乙女ゲーあるあるネタを全部備えている上に、若干彼らの上を行ってさえいるの? そんな重い設定本当にいる??」

「俺にそれを言われても」

「でしょうね。わかっているわ……わかっているわよ。

 ……でもそんな大事すぎる話を、ここまで抜き差しならない関係になってからそれを言うの、正直本当に卑怯だと思うわ」

「だね」

「……ずるいわ。ずるいわよ!!」


 朝倉はキッとまなじりを決して彼の胸に飛びかかった。


「っとと」


 と、三田村は思わず驚いた表情で彼女の体を受け止めるが、全力で飛びかかられたところで三田村の体はびくともしない。それだけの体重差と筋力差がある。

 しかし、決して力のこもっていない彼女の手でぽかぽか胸を叩かれると、不思議と彼にとって痛く感じられた。


「本当にずるい! こんなに好きになってからそんなこと言われたら、もう自分だけ逃げるわけにいかないじゃない、一緒にいるしかないじゃない、こんなのずるい……ずるいわ!」

「うん。俺もそう思う」


 三田村はそう言って朝倉の頭を撫でる。

 先程までの子ども相手にするような撫で方ではなく、心底労るような、申し訳なく思っているような手付きだった。

 いつのまにか朝倉は本当に泣いてしまっている。

 彼女に彼の顔を見る余裕など当然なく、しかし自分に触れる指先が震えていることくらいは朝倉にも分かっていた。


「ごめん……ほんとうにごめん」


 彼の声は指先と同じくらい真剣だ。ひょっとしたら震えてもいるのかもしれない。自分が泣いてしまっているので朝倉にはよく分からない。

 

「……君の性格を分かったうえで、ギリギリまで言うのを引き延ばしたんだ。

 君が『逃げられない子だ』ってことは、君と会って少し経ったときにもう分かっていた。

 夕ちゃんのことも蒔田さんのことも、その気になれば君は放っておいて逃げることもできたはずなのに、最後までとことん付き合っていたよね? 本当に死ぬかもしれなかったのに」

「……」

「俺が君と離れたくない、一緒にいたいって思ってしまったのは、君のそういう面を見てしまったからなんだと思う。

 少しでも何も知らないまま俺のことを好きになってくれていたら、エリカちゃんは夕ちゃんを見捨てられなかった時と同じように、俺のことも見捨てられなくなるんじゃないかって。

 それで、こんなに話すのが遅くなっちゃったんだ。

 ……そんな顔もするんだね。いっつも怒った感じの顔してるのに」

「馬鹿っ!」


 朝倉は怒り、よりいっそう強い力で三田村の胸を叩こうとした。

 が、腕を振り上げた瞬間に自分が痛い目にあったような顔をして、力なく手をおろしてしまう。自分の敗北を悟ったように呆然と目を見開いていた。

 三田村はそんな彼女を申し訳なさそうにみやりながら、彼女の背中に手を回してこう言った。


「その、嫌なら逃げてもいいんだよ?」

「……アンタ、本当に馬鹿なのね! それ今言って意味のある言葉だと思う!?」

「うん、もう逃げられないだろうなって思ったから、今言った」

「馬鹿!!」


 朝倉はそう言って、なんとか泣き止もうとした。しゃくりあげつつ息を落ち着かせて、力のない声でこういった。


「……だって、好きになったって仕方ないじゃない。あなたが初めてだったんだもの。

 こういう風に向き合ってもらえたことなんてなかったんだもの。危ない目にあった時に守ってもらえたことなんて一度もなかったんだもの。

 ……好きにならないわけないじゃない。今更無かったことにするなんて、無理に決まってるじゃない……無理よ、無理。本当にずるいわ……」


 朝倉は泣きじゃくりながら三田村を見上げる。

 すると、彼は力のない表情で笑みを返した。三田村は目立った怪我こそないものの、彼女のために走り回ったせいで一目見てわかるほどボロボロになっている。


 ──こんなに弱っている人間を長時間詰めることができる人間なんて、そうはいない。


 もし、三田村自身がこのボロボロ具合さえも計算に入れて、今という時にこんなに大事で重すぎる話をしたのだとしたら、朝倉はもうお手上げだった。

 修羅場をくぐってきた回数が違いすぎて、彼女ごときでは全く歯が立たない。

 恋愛を勝ち負けで表現してもいいのならば朝倉はボロ負けと言っていい状態だし、彼女はもううんとはいとイエスとハイヨロコンデしか言うことが出来ない。


「……ごめんエリカちゃん。一気に色々といいすぎたね」


 自分以上にボロボロになってしまっている彼女を見て、彼は申し訳無さそうにため息を付いた。


「君があんまり卑屈になりすぎるもんだからこっちもムキになっちゃったな。

 最初なんか普通に仕事のときみたいに怒鳴っちゃったし……ほんとごめん……」


 三田村は肩を落として、必死に泣き止もうとしている朝倉の背中を撫でた。


「へ、平気よ。三田村さん怒鳴っても全然怖くないし……」


 泣きじゃくってはいるものの、実際に朝倉に怯えている様子はない。本当に感情が高ぶっただけのようだ。


「……俺のことそう思ってるの、本当に君くらいだと思うよ?

 フツーに後輩からもラウンジのおねーさんからもビビられてるし」

「ラウンジ? 飲み屋のこと?」

「……。……あせると失言しつげん重ねちゃって良くないな。なんでもない。なんでもないところだよ。接待で使いはするけどなにもないところですよー。いやほんと仕方ないんだって、ウチの業界は十回の打ち合わせより一回の飲みが有効な世界だかr」

「つまり、接待で使いはするけどそんなに色々言いたくなる程度には後ろめたいところなのね……」


 そんな話をしているうちに地獄の軍勢たちが戻ってきた。

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