第66話ゾンビは便利。人間はつらい。

 抜けるような青空の下、日本離れした広い平原の中を車は進む。

 空は青く澄み渡っているが、そんな空とは対照的に蒔田の心は何ともいえないくもり模様だった。


(……めっちゃくちゃ不安だ……)


 諸事情あって、今の彼は可愛い女の子が無免許で運転している車に乗っている。それも度重なるゾンビの襲撃によってボロボロになっている車に……だ。


 ゾンビの襲撃によりダメージを受けていたせいか、それとも笹野原というド素人が乱暴に運転しているせいだろうか……道は平坦へいたんであるにもかかわらず、車内は常にシートから体が浮き上がりかねないほどにガタンガタンと振動していた。


「……今ドンって聞こえたぞ。何か大きめの部品が車から落ちたような音だったが……」


 蒔田はためらいがちに言う。

 彼は決して「運転が下手だから心配だ」とは言わない。言わないだけの優しさがあった。

 その代わりに、彼は別のセリフを口にする。


「その、本当に運転を代わらなくて大丈夫か?

 異世界の、しかもゲームの車とはいえ、素人に運転をさせるのはかなり抵抗があるんだが」

「だいじょーぶですって。そりゃあ運転がうまいわけではないですけれど、少なくとも眼鏡が割れてしまった今の蒔田さんよりは動かせますし」

「それは、まったくもってその通りなんだが……」


 と、蒔田はしばらく考えるようなそぶりを見せた後、こういった。


「……その、さっきから言うまい言うまいと思っていたんだがな。やっぱり君、また体に変調が起こっているんじゃないか? マシンガンと同じく自動車の運転だって、素人には出来ない行為の筆頭なんじゃ」

「不吉なことを言わないで貰えますか!?

 お父さんやお兄ちゃんの運転する車の助手席に乗った時に運転の仕方は軽く見ていましたし、これくらいフツーにできますよ、フツー!」

「……そんなもんか?」

「そんなもんです!! 先輩の実技実演を一回で見て覚えないとぶっ飛ばされる新人看護師の記憶力をナメないで下さい。

 ……それに、どのみち運転を代わることができるほどの余力は蒔田さんにないでしょう? このまま行けるところまで行くしかありませんよ」

「それは……そうだが……」


 蒔田は苦い顔になる。そんな彼をなだめるように笹野原は微笑した。


「大丈夫だいじょ……うぶ、かは分かりませんけど、やっていきましょう。今できることを精一杯やっていれば、何とかなるかもしれませんよ」

「……ああ、そうだな。君の言うとおりだ」


 蒔田はそう言って笑う。

 彼がなおも何か言おうとする前に、車の前にガンと血みどろのゾンビが突っ込んできて、そのまま轢き飛ばされてボンネットの上に乗り上げてしまい、フロントガラスに張り付いた。


 ……死んでいるので危険はないが、かなり壮絶そうぜつ絵面えづらである。

 だが、メガネが割れて視力も怪しく、感覚もかなり麻痺まひしてきている蒔田は(邪魔だなあ)としか思わなかった。

 何しろ車内にも一体死んでいるゾンビがいるのだ。

 さきほどから思わぬ同乗者が増えっぱなしだが、笹野原が動じる様子もない。

 ──彼女が落ち着いていることも、蒔田が冷静でいられる一因だろう。笹野原ほどわかりやすい態度には出さないが、彼もまた彼女のことを信頼している。


 同乗している研究員は自分の仕事をこなしつつ、時折いやそうなうめき声や文句を漏らしてはいるが、蒔田にしてみれば些細ささいなことだ。


「──ここらへん一帯と車は多分、Curumagedon 64(2000年発売。Jingido 64用コンシューマーゲーム)がベースになっているエリアと思われます」


 笹野原はハンドルを切って目の前に出てきたゾンビを避けながらそう言った。


「……なるほど、カーマゲか」


 と、蒔田は目を細めつつ頷いた。


「たしかイギリス発祥の人気暴力系バカゲーだったな。ラグビー選手、チアリーダー、そんじょそこらの牛や無辜むこの一般市民をきまくることが出来るという、地獄のような設定のレースゲームだった記憶があるが……」


 だが、と蒔田は首をかしげる。


「レースとは名ばかりで、一般人を轢きまくり、ライバルの車を破壊しつくして勝利することが目的のゲームだと聞いたことがあるぞ。PCじゃなきゃとても出せない設定のゲームだ。

 それなのにJingido 64版なんか出ていたのか?」


 よく仁義堂が許したなあと蒔田は呆れとも感嘆ともつかない声を上げた。笹野原は苦笑いしながら頷くしかない。


「PCがメインなんですけど、カーマゲは64でも残酷な要素をいで売り出したことがあるんですよ」

「残酷な要素?」

「轢き殺せる人間をゾンビに変更したんです」

「……なるほど、生身の人間を殺すのは残酷だが、ゾンビなら残酷じゃないということで許可が出たのか」

「そういうことですね」


 笹野原は苦笑を深める。


「ゾンビは便利なんですよ。人間は『気に入らない人間に対して暴力を振るいたい』という抑えがたい欲求を持っているものですが、その欲求を向ける先としてゾンビはぴったりなんです。

 人の形をしていつつバケモノでもありますから、ボコボコにしたって社会も政府も怒りませんし……。

『現実には絶対に存在しないバケモノ』だからこそ、いくら撃っても、いくら殺してもプレイヤーの良心は痛みませんしね」


 そう言って、笹野原は小さなため息をついた。


「……私だって、笑いながら殺せるのはゾンビとモンスターくらいです。人間はちょっと無理だなあ。ゲーム上の存在だってわかっていても、一般市民を殺すゲームなんかは遊んでいるうちにしんどくなっちゃってとてもとても」


 と、笹野原はハンドルを切りながら話を続ける。そしてその苦笑をふっと穏やかなものに変えた。


「──……カーマゲの轢殺れきさつ可能一般人のゾンビ化はファンからはかなり不評でしたが、私はむしろ良い改変だったんじゃないかと思っています。

 日本人はイギリス人と違って、生身の人間を轢き殺すのにかなり抵抗がありますからね……」

「……大部分のイギリス人も、生身の人間を轢き殺すのはかなり抵抗あると思うぞ?」


 そんな話をしている間にも、走行中の車にゾンビが突っ込み、車がゾンビを轢き殺してしまう。

 と、その時、笹野原が一瞬息をのんだような気配がしたので、蒔田は思わず笹野原のほうを見た。


「夕? 大丈夫か? さっきからたまにゾンビを轢いてはひるんでいるように見えるが」


 眼鏡が割れて、笹野原の声や息衝いきづきに意識を向けざるを得なかったからこそ気づけたことだった。しかし笹野原は蒔田の指摘を否定する。


「……いえ、大丈夫です」

「夕」

「そうそう、このゲームは貯めたポイントを消費すれば、走りながらでも車を直すことが出来るんですよ」


 笹野原はそう言って笑う。


「だからこれくらいの故障なら、回復ポイントさえ見つかればすぐに直せると思うんです。だからこれくらいのダメージなら……って、そんな顔しないで下さい。私は本当に大丈夫ですから」


 笹野原は思わず苦笑した。蒔田は憮然とした様子で笹野原を見ていたからだ。あからさまに話を逸らされたからだろう。


「……前々から思っていたんだが、君は自分の感情を押さえつけすぎている。セラのことを全く笑えないんじゃないか?」

「そんなことないですよ。蒔田さんの前では結構怯えたり怒ったりしていますもん」

「本当にネガティブな感情は出さないだろう。

 ふざけて怒りをぶつけられたようなことはあっても、君から負の感情をぶつけられた記憶がないぞ、俺は」


 蒔田はそう言って苦い表情のまま首を振る。


「君から多少何か言われたくらいで嫌いになるなら、こんなところまで来ていない。

 無理にとは言わないが、言いたい気分になったら、さっき何を考えていたのか教えてくれ」

「……」


 笹野原は何も答えない。


 ──いつの間にやらフロントガラスに張り付いていたゾンビの死体がずり落ちたらしく消えている。

 少しは彼女が運転しやすくなっただろうか……と、蒔田は思う。ゾンビが落ちた程度のことは分かるのだが、細かい景色や遠方を彷徨うゾンビの形や数となると一気に怪しくなってくる。蒔田は思わずため息をついた。


「……やっぱり、しばらくバールは封印だな。今の状態でバールを振り回すと、うっかり味方を殴ってしまいそうだ」

「ですね。代わりに私が頑張らなきゃなあ」


 と、笹野原は努めて明るく言ってみせる。いつのまにか車は平原から市街地らしき場所に入り込んでいた。よし、と笹野原が明るい声を張り上げる。


「──狩場を発見しました! 車もボロボロになっていることですし、修理がてらゾンビを沢山轢き殺すことにしましょう!」

「なんて????」


 ……という蒔田の問いかけに笹野原が答えるよりも早く、ボロボロのマシンはカーマゲを下敷きにしたとおぼしき市街地エリアに突っ込んだ。

 初手から勢いよくドコォンとゾンビを轢き飛ばすと、轢かれたゾンビはアアァーと元気よく血を撒き散らしながら吹っ飛んでいった。


「ポイントゲット! 轢けるだけモリモリ轢いていきましょう! いやぁ車を修理するためですからねっ、ゾンビを轢くなんてとてもとても残酷で良くないことですけど、これは車を修理するためですからね、仕方ありませんねっ!!」

「全く仕方なさそうに聞こえないんだが?????」


  そんな蒔田のツッコミをよそに、車は舞台のセットのようにペラペラな質感の市街地に入り込み、その辺に突っ立っている人間を……いや、緑色をしたゾンビ達をかたっぱしから轢き始めた。


「うむ? 緑色なのに血は赤いぞ?」


 そういったのは後部座席に座っている研究員だ。


「そうなんですよ。カーマゲのゾンビは体が緑色なのに血が赤いんです。これ一体どうなっているんですかね。皮膚一面に緑色のコケか何かが生えているってことですかね」

「気持ち悪い想像をするのはやめてくれないか。ていうか緑なのか……赤と緑の区別がつかない俺には分からなかったなあ」


 蒔田が呆れた声を上げたのと同時に、詳細の説明は省くが、車がゾンビを壁ドンした。


「──よっし! パイルドライバーボーナスです!」

「パイルなんだって?」

「パイルドライバーボーナスですよ!

車でゾンビを壁に押しつぶすと得られる特別ボーナスです。

 これでポイントが多めに入ります!」

「……」

「おおっと! ちょうど良くほかの車が乗り捨てられていますね。それじゃあヘッドオンボーナスも!!」


 ……詳細の説明は省くが、乗り捨てられていた他の車に頭突きをくらわせた。


「……」


 蒔田の頭の中には多種多様なツッコみ文句が浮かんでは消えていったが、それらを口に出しても無駄だということを彼は知っていたので、とりあえずため息をつきながらこめかみをボリボリかいた。


 そんな蒔田がこめかみをかきおわるよりも早く、笹野原は立て続けに歩道に立ち尽くしていたゾンビを四体ほど轢いていく。


「イエス! 4コンボボーナスですよ! タイムボーナスがさらに増えます!」

「……」


 ……。……4コンボって、なんだろう。


 人をただ轢いただけで、どうしてボーナスとやらがたまるのだろう……。


 蒔田はそんなとりとめもないことを考えたが、ゲームの世界にツッコみをいれることは何よりも不粋であり野暮であるということは、開発者である蒔田にも痛いほどよくわかっている。


「お前さんはアレだな。

 かわいらしい顔をしているが、やることなすこと完全に狂犬なんだな」


 そういったのは後部座席に座っている研究員だ。彼の言葉に笹野原は苦笑するしかない。


「それ、最近よく言われます。

 蒔田さんと出会って以降なんですけどね、こんなに暴れるようになっちゃったのは」

「なるほど……よくわからんが、人との出会いがきっかけで性格の方向性が変わるというのはよく聞く話ではあるな……」


 と呟いた研究員は「なんでバケモノを轢くごとに車の乗り心地が良くなっていくんだ……」とドン引きしているが、それも考えてはいけないポイントであろう。


「それにしても、半減期にカーマゲか……個性的なゲームばかりだな」

「そうですね。今回の核は誰なんでしょう。というか、核はいるんですかね?

 ゾンビゲー好きみたいなので気が合いそうなんですけど」


 誰かが現実世界で異世界創造魔法を始めてしまったのかしら、と、笹野原は首をかしげる。

 だが蒔田は硬い表情で首を振った。


「……いやたぶん、もっと悪い」

「どういうことですか?」

「以前君を助けようとしたときに、ネットで様々な情報を確認した。

 一つはっきりしているのは、熊野寺が相当な数の人間を道連れにしていること……つまり、いま生き残って熊野寺関連の情報を集めている人間のほとんどは、熊野寺と直接かかわったことのない人間が大部分だということなんだ」

「なるほど……そういう人たちは異世界創造魔法に対する理解は浅いでしょうね」

「多分、だけどな。だけどそういう連中が、中途半端な理解で魔法を実践しようとしてみたのかもしれないぞ。その結果がこの地獄絵図なのだとしたら?」


 と、二人が真剣な話をしている間にも、車は執拗にゾンビを追い回してポイントを稼いでいる。

 今はラグビーコートに乱入し、ラグビー選手 (のゾンビ)とチアリーダー(のゾンビ)を轢きまくっているところだった。……だが、笹野原はときおりなぜかハンドルを切って、わざわざゾンビをよけようとしている時もある。


「今のは轢がなくてよかったのか?」


 蒔田がそういうと、笹野原は硬い声でこう言った。


「……今のゾンビは、どのゲームに出てくるゾンビとも違った外見をしていました。現地の人である可能性がある人は轢けません」

「なるほど、その可能性もあったか……君がさっきから怯んでいたのは、そういう元人間の可能性があるゾンビを轢いてしまったいたからなんだな」


 蒔田が言うと、笹野原は硬い声で「ええ」と同意した。


「私が殺すのは、ゲームに出てくるゾンビだけです。

 熊野寺さんの時には絶対に譲れない一線があったから仕方なかったけど……プライベートとはいえ、看護師が無危害の原則を破るわけにはいきませんからね。

 ……ただ、さっきから何回か、見慣れないゾンビを轢き殺してしまっているんです。

 もし彼らがゾンビウイルスか何かにやられたこの世界の一般人だったとしたら、って思うと……」

「それは、君のせいじゃない」


 蒔田は反射的にそういったが、笹野原は笑って否定する。


「……いえ、私のせいでしょう。殺された人やご家族からしてみたら、犯人はどう考えたって私です」

「……」

「自分が選んでしまった行為の結果から逃げる気はありません。

 レギス君にも『自分といた時のことを覚えていてくれ』と言われました。……それがどんなにつらくて、受け入れがたいことであったとしても」

「あれはそういう意味で言ったわけではないだろう」


 と、蒔田がなおも笹野原に言いつのろうとした次の瞬間、後部座席から勢いのある声が聞こえてきた。



「ンアァアーっ!! 起きたぞーーッ!!!!」



 あまりの声量に蒔田は固まり、笹野原も驚いたせいで大きくハンドルを切り損ねる。


「きゃあっ!」


 おかげでゾンビをまたもや壁ドンすることになってしまったが、ボーナスポイントが加算されたので結果オーライといえるだろう。


「──い、一体なんなんですか!」


 と、我に返った笹野原がハッとルームミラーに目を転じると、今までずっと後部座席で気絶していたはずの男がガバリと起き上がっているところだった。


「ムッ……なんだこの蛮族ライクな乗り物は……というかここはどこだ? あんたらは一体誰だ!? そもそも僕はどうしてこんなところに……ってそうだぁーーッ!! 思い出したーー!! 魔導機ィーーーーーッ!!!!」

「……」


 男の声はとにかく大きかったので、車内の面々のだれもが言葉を失っている。

 そんな中、当の声の大きな男だけは元気よく周囲を見回しながら、彼の身に今まで起きた出来事について、立て板に水を流すがごとくしゃべりはじめた。





【後書き】


本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介


■ Curumagedon 64

 世間のお父さんお母さんたちがプレイ画面を見たらおもわずまゆをひそめてしまいそうなバイオレンスレースゲーム。詳細は本編中で蒔田が説明した通り。

 ゲーム中に出てきた牛は轢こうとするとなぜか盛大にフンを撒き散らして逃げるのだが、なぜそんなモーションが入っているのか、イギリス人はそんなもんを本当におもしろいと思ったのか……謎は尽きない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る