第53話これが最後の最後の最後の戦い

 蘇生薬を打たれた蒔田は、一瞬苦しげな顔をしたが、すぐにガクリと全身の力を抜いた。

 数秒の間をおいたのち、眉間にしわを寄せつつ目を開ける。


「う……」

「蒔田さん?」

「ここ、は……」

「蒔田さん、ですね……?」


 ぼんやりと中に目線をさまよわせる蒔田を見て、笹野原は思わずへらりと笑った。

 彼の毒気の抜けた表情を見て、蒔田の意識が戻ってきたと分かったようだ。


「よかった、ちゃんと蘇生できたんだ……蒔田さん。

 私、セラです。笹野原 夕です。この姿では、はじめまして、ですよ……ね……」


 と、言い終えるよりも早く、笹野原は蒔田の上に倒れ伏してしまった。

 息が荒く、顔色も悪い。

 顔や首、全身にいたるまでゾンビに襲われた時の咬傷こうしょうが大量に出来ていた。どう見ても重傷だ。



「──夕っ!」


 蒔田はそう叫ぶなりあわてて起き上がり、笹野原を抱きかかえたまま立ち上がった。

 辺り一帯に無数に転がるゾンビの死体を見て思わず絶句する。


「これは……なんなんだ……?」


 と、蒔田が周囲を見回していると、少し離れた場所に見覚えのある人物……悪役令嬢エリザベートのアバターをまとった朝倉エリカの姿があった。


「……朝倉!」


 蒔田は笹野原を抱いたまま、すぐにそちらに駆け寄っていく。


「これは一体どういう状況なんだ?

 というか、回復薬はあるか!? 多分コイツはゾンビにやられた。

 この世界で負った怪我なら、回復薬でどうにかなるはずだ!」

「わ……わかったわ!」


 朝倉は慌ててシーツの中に集め直しておいた薬草を手にとって、どんどん笹野原の口に突っ込んでいく。蒔田はそっと笹野原の体を地面の上に横たえた。


「ひどい怪我……これでどうにかなるといいのだけれど……」


 と、心配げに笹野原の様子を見る朝倉の姿を見つつ、三田村が蒔田に手短に自己紹介をやり直す。




「──蒔田さん、俺、三田村です。

 この外見アバターじゃわかんねーかもしれないけど。とりあえず、無事で良かった」

「そうだったのか、全然気づかなかった。

 ……こちらは?」


 そう言って、蒔田は青年姿のアナタに目を転じる。

 三田村は首を傾げながらも、


「ええと、蒔田さんなら知ってるのかな……『アナタ』ってヤツだよ。

 記憶をずっとうしなっていたから名前がなくて、暫定的ざんていてきに名乗っていた名前らしいけど」

「『アナタ』……覚えがある。

 前回の異世界転移でゾンビにやられていた女アバターのことか?」

「そうそう。

 で、コイツはこの異世界転移事件の起点……みたいなもの、っていっていいのかなあ」

「起点……? 事件を起こしたのは熊野寺ではなかったのか?」


 蒔田が思わず眉間にシワをよせると、三田村は要領ようりょうを得ない表情で頭をかく。


「あー……確かに事件を起こしたのは熊野寺なんだけど、もともとこの異世界は、このオニーサンが閉じ込められて? いた? 牢獄みたいな? もので? 熊野寺はコイツの力や知識を利用して、一連の事件をくわだてたらしいんですよ。


 そういう意味では、コイツが本当の起点です。

 で、この『アナタ』ってヤツは、俺たちと違って完全に異世界サイドの人間らしいんですよ。


 夕ちゃんはコイツの力を使ってこの異世界に殴り込んで、蒔田さんを助けに来たって寸法すんぽうです」

「……なるほど。何が何やらサッパリだ」


 至極しごくまっとうな感想を蒔田はべた。

 と、その時、笹野原の様子を見ていた朝倉があせったような声を上げる。


「なんで!?

 傷は消えているのに、どうしてこの子は目を覚まさないのよ!」


 その声に、蒔田は弾かれたように笹野原に目を戻す。



 ──笹野原は体中に刻まれた咬傷こそ消えたものの、顔色は悪く、息も荒いままだった。

 一向に目を開ける様子がない。


「マズいなあ……出血で血を失いすぎた、とかかな?」


 思わず顔色を失う朝倉と、その隣で苦々しい表情になる三田村。



「いや、多分違う……」


 と、蒔田は笹野原のもとにしゃがみこみ、彼女が身につけているバイタルウォッチに目を落とした。




『Status : Virus』


 


 心電図もどきの波形が何を示しているのかはわからなかったが、この英文字が意味することだけははっきりと分かる。


「──ゾンビウイルスか!」


 蒔田は思わず舌打ちをした。

 ──この状況になるのは、『アナタ』以来二度目のことだ。

 蒔田だけでなく朝倉もその時のことを思い出したらしく、絶望的な表情で息を呑んだ。



「そんな……! 後少ししか時間がないのに、どうすればいいっていうの!」

「え? えっと、回復薬じゃどうにかならないの?」


 逆に、当時のことを知らない三田村は困惑するばかりである。


「あのね三田村さん。ゾンビウイルス感染状態のままでは、生きていても『死亡確定状態』とみなされて、ゲーム間の移動ができないの」


 朝倉は三田村に順を追って説明した。


「そしてもちろん、それだけじゃないわ……このままでは、私達はともかく笹野原だけが死んだとみなされて、元の世界に帰れない! 回復薬じゃなくてワクチンを使わないと、感染状態は解除できないのに……!」

「そういうことだ」


 という朝倉の悲鳴に、蒔田が沈痛な表情で頷いた。

 が、すぐに彼は絶望から立ち直り、次善の策を探して周囲を見回す。



「──今回の『核』は誰だ?

 ゾンビの死体がここにあるってことは……ゾンビゲーの世界が今回もあるんだよな? そこに俺を飛ばしてくれ、ワクチンを手に入れて戻ってくる!」

「ちょちょ、待ってくれ!」


 三田村が慌てて蒔田の話に割り込んだ。


「蒔田さんに細かく説明している余裕はないけど、帰還までの残り時間があと一時間を切っているんだよ。

 だから、のんびり知らないゲームのステージでワクチンを探している時間なんかない。

 おいアナタくんよ、さっき熊野寺がゾンビをここに召喚したみたいに、ワクチンをこの場所に召喚できないのか? そうしたら」

「それは無理だ」


 と、アナタは目を閉じて首を振り、即答した。


「ゾンビウイルスのワクチンとは一体どんなものであるのかという魔術式を用いた要件定義がしっかりとできれば、召喚は可能だが……君たちには無理だろう?

 俺にも無理だ。ゾンビウイルスのワクチンとやらが何なのか、俺にはさっぱり分からないからな」

「ゾンビウイルスに感染した状態を解除できる薬~程度の定義じゃだめなのか?」


 と三田村はくい下がるがアナタはなおも首を振る。


「無理だ。……本当は訓練を積んだ『核』であるクマノであれば可能な事だったが、クマノはもう死んでしまったしな。

 クマノは『核』であり、なによりもゲームの世界を愛していた。

 ゲームに強く執着していると言ってもよかったかもしれないな……とにかく、彼はゲームに対して強い感情を抱いていた。

 訓練を積んだ核は、『記憶』『感情』の力を使って、欠損した設計図の魔術式を補うことが出来るんだよ」


 これがクマノがゲームの世界しか作ることが出来なかった理由でもあるんだ、と、アナタは苦笑する。


「クマノはゲーム好きな核だったから、ゲームに関する『設計図』でありさえすれば、無意識のうちに『設計図』に足りなかったものを補うことが出来たんだ。ファンタジー小説も世界史の教科書も彼は特に好きではなかったから、補うことが出来ず異世界創造魔法は発動しなかったけどね。

 彼自身は気づいていなかったが、魔法に対する試行錯誤を経て、いつの間にか訓練を積んだ核にしか出来ないことが出来るようになっていたんだよ。


 ……とにかく、クマノがいなくなってしまった今、魔術式を用いた完全な定義づけができないのなら、俺にはどうすることも出来ない。欲しいものがあるなら、直接探しに行くしか無いぞ」

「くそっ、むりなのか……」

「それと、もう一つ悪い知らせがある」


 と、アナタは鷹のような目を開いてこういった。


「……いまのこの世界は、事情があって『代償』の力であふれている。

 その影響のせいか、クマノの残留思念がまだ消えていない。

 残留思念と言うよりは、すでに怨霊おんりょうと言っていい形だがな。


 ……このままクマノを放っておけば、彼はこの世界から君たちの住む世界にまで流れていって、沢山の人を傷つけることになるだろう」



 そう言って、アナタは静かな決意を込めた瞳でこういった。


「──僕はココで、彼を、そして溢れた代償の力そのものを引き止めなければならない。


 そして、ササノがこの世界から動けない状態である以上、ササノを守るために他の者達……せめてミタムラには残って貰う必要がある。

 俺だけでは何かあった時にササノを守りきれない」

「なるほど、分かった。三田村と朝倉にはここに残ってもらおう。

 ……オレ一人でワクチンを探しに行く。

 ゾンビゲーの世界へ移動させてくれ……『アナタ』ならそれが出来るんだよな?」

「ああ」


 蒔田のその言葉にアナタは頷いた。


「ゾンビゲーとやらがどんな世界なのかはわからないが、ササノが最初に指定した世界でいいのだよな?『でっどまんず・こんふりくと3、にゅーとらんすれーしょん』……この『ばーる』とか『ましんがん』があった世界のハズだ」

「ああ、そこで間違いない」

「了解した。それなら問題なく案内することが出来る。

 ……現実世界に帰還する少し間に、君をここに呼び戻す。それまでにワクチンとやらを見つけ、なんとか生き延びていてくれ」


 アナタはそういうなり、片手を軽く上げた。

 蒔田の姿が一瞬ブレて、その場から消えてしまう。

 あっという間のことだった。


「……すげーな。あっさり消えちまった」


 ぽつりとつぶやいたのは三田村だ。

 アナタはすぐに目を閉じて集中体制に入ってしまったので三田村の言葉には答えない。

 朝倉は周囲を心配げに見回しながら、


「ワクチンが見つかるといいのだけれど」


 と、つぶやいた。


「いや、どうかんがえてもしんどいだろ……」


 三田村は渋い顔で首を振るしかなかった。


「ゲームのステージっていうのは大体20時間……下手すりゃ40時間くらい彷徨さまようことを前提に設計された世界だろ?

 そんな場所でノーヒント状態で探しものをするってことだ。……正直、どこまでやれるものか……」

「バールで何でもかんでも破壊するような規格外人類だもの。

 蒔田さんならやれると信じるしか無いわ。

 ……ねえ、そんなことより……」


 そう言って、朝倉は苦い表情で遠方を指さした。


「……さっき笹野原を襲って皆殺しにされてたゾンビたち、なんで生き返ってるの?」

「え? ……あ。ああー」


 三田村は朝倉の指さした方向を見て、思わず乾いた笑いを浮かべた。ゾンビの大部分はまだ死んでいるが、数体が生き返ってこちらに向かって這ってきている。

「クマノが呼び戻したのだろうな」とアナタが目を閉じたままつぶやいた。


「今のクマノは、侵入者である君たちを殺すことしか考えていない……その一心で、この場で自分が操ることが出来るぞんびたちを蘇生させようとしているのだろうな。今俺が抑えているが……抑えきれていないな、これは」


 そうつぶやくアナタの額には汗が浮かんでいる。

 三田村はそれに苦笑気味に「なるほどね」と頷いた。


「時間いっぱいまで楽しませてくれるってことか。

 サービス精神旺盛だなあ元管理者さんは……ていうか、今管理者って誰にになってるんだ? 蒔田さんはもう管理者じゃないんだよな?」

「クマノの意識がマキタから追い出された時点で、管理者という立場は消失した。記憶が戻り、代償の力が溢れている今、この世界は俺が掌握しょうあくしている。管理者などもはやなくとも問題ない」

「なるほどね……それで、そんなアナタくんの力をもってしても、暴れまわるクマノは抑えきれていないわけか……」


 と、長い長いため息を吐いた。その表情には疲労の色が濃い。

 彼の背中を朝倉が軽くたたいた。


「しっかりしなさい、三田村さん……ほらマシンガン。さっき拾ってきておいてあげたから」

「ありがと……あーあ。最初から最期まで大暴れかあ。俺、さすがに疲れてきたんですけど」

「分かるけど……後少しよ。しっかりなさい」

「わかるけどさあ。だけど俺、仕事上がりにここまで動き通しともなると、さすがに集中力が切れてきちゃってさ、ちょっとしんどいなー、って」


 と、三田村はなおもツラツラと泣き言を言いかけたが、その口を唐突になにかに塞がれた。

 ……それが朝倉の唇だということに、一拍遅れて気がついた。


「──気合い入れなさい。あと少しでしょうが」


 と、朝倉は唇を離しながら、三田村を至近距離で見つめつつそう言った。その目尻はかなり赤い。


「……了解」


 と、三田村はその目尻にみとれたままつぶやくしかなかった。

 ほんの数秒の間、魂の抜けたような顔をして朝倉を見つめていた三田村だったが、すぐにハッと我に返って、マシンガンを持っていない方の手で朝倉の方を掴む。


「──ちょ、ちょっとまって! エリカちゃん、今のって、OKってこと!?」

「なんの話よ……」

「今キスしたじゃん! 俺の気持ちを知った上での行動だよね!? ってことは、これって付き合ってもいいってこと!?」

「……知らないわ。ゾンビを殺すことが先よ」

「ゾンビよりもこっちの話のほうが大事でしょうが!」


 と、三田村はいいざまにマシンガンを乱射して、這い寄るゾンビたちを黙らせた。


「……凄いわね。元気になったみたいでよかったわね、三田村さん」

「よくはない、よくはないよ! 話の論点をずらして逃げようとしているな? そうは行くかよ!」


 ぎゃんぎゃん言い合っている二人をよそに、アナタがまた唐突に目を開けた。



「……そうだ。君たちの姿も元に戻しておこう」

「へっ!?」


 と、朝倉が自分の姿を見下ろすと、そこには見慣れた自分の体が戻ってきていた。小柄で華奢な朝倉エリカの体だ。

 朝倉が三田村に目を転じると、かれもまたいつもの端正で体つきのしっかりした不動産戦士の姿に戻っていた。


「外見をアバターから現実世界のものに戻した。

 そのかわり、身体能力がキャラクターのものと入れ替わっている。自分の体が強化されているような感覚は気持ち悪いかも知れないが……『核』としてこの世界に縛られないための予防策だ。辛抱してくれ」

「お、体の疲れが抜けてる。サンキューな、アナタくん」


 三田村はそう言って笑いながらマシンガンを構えつつ……不意に、ハッとしたような顔になって朝倉に向き直った。


「……エリカちゃん! 見た目が戻ったからさっきのキス、仕切り直そう! もういっか」

「しないわよ馬鹿! ほら、さっさとマシンガン持って……行くわよ!!」


 朝倉は三田村を叱り飛ばしつつ地主杖を手にとった。その目線の先では、またも数体のゾンビが蘇ってこちらに向かってきている。






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