第35話やっていきましょう


 私は名もなき新人看護師。


 趣味は頭を空っぽにしてやることができるゲーム。


 ……『だった』。


 そんなこと、言ってはいけない。思ってもいけない。

 ここ最近は仕事で倒れるくらい忙しかったし、ゲームなんて全然やっていないけれど。


(やっていかなきゃ……やるしかない……)


 薄暗い部屋の中、私は自分に気合を入れ直すように目を閉じ、息を吸い込んだ。


 少し前までの私は、仕事で消耗しすぎていて、本当はもうゲームが好きだった気持ちもなくなりつつあった。

 ……だけど、今だけはゲームが大好物『だった』なんて、過去の話にしてはいけない。今だけは。


(そうでないと、あの人を助けられないもの)


 息を吐いて目を開けて、目の前のテレビモニタをにらみつける。


 場所は新宿。時刻は深夜。カーテンを閉め切った看護師寮の一室。

 ゲームと読書のやりすぎで頭は疲れ切っている。


(でも、集中しないと)


 うっすらとだけど、私の体にはあの異世界に囚われていた時の感覚が残っている。

 その感覚のお陰で分かっていることがあった。


 異世界創造魔法の材料には間違いなく『設計図』だけでなく『設計図に執着している核の存在』が含まれる。

 設計図を愛してやまない核の存在が、あの異世界創造魔法を成立させるキーになっているのだ。


(管理者が適当な人気の小説を使っても異世界創造魔法が成立しなかった理由は、多分この点にある……)


『設計図』を攻略ブログにするにしろ二次創作サイトにするしろ、必ず『設計図を作った、その設計図を大切に思っている核の存在』が必要なのだ。

 人気小説だって作者を巻き込めば成立したのかもしれない。

 一体どうして人間が必要なのか、核とは一体何なのか、私自身には理屈だった説明は出来ないけれど……。


(でも、私が目の前のゲームに熱中することが出来なければ、蒔田さんを助けられないことだけは分かっている)


 だから、私は自分を限界まで追い詰めてゲームに没頭することにした。ゾンビゲーブログを作っていた高校時代と同じように。

 設計図を作るために。私が異世界創造魔法にふさわしい核であり続けるために。


(二週間で終わるのかなコレ……いや終わらせないといけない。じゃないと蒔田さんを助けられない)


 私は疲れ切った頭を振る。


 朝倉エリカさんと別れて二日が経つ。

 執念と根性で自作PCを完成させたところまではよかった。

 執念と根性というか、ツ█モの店員さんありがとうという感じではあったのだが、とにかく蒔田さんのSSDを組み込んだPCは手に入った。

 この異世界転移事件の真相に近づくための情報が詰まっているPCだ。


 がんばって中身を読んでいるのだが、ゲームで遊んで、ゾンビゲーブログを作っていた時のことを思い出しながら設計図作りもやっている状態なので、とにもかくにも時間がない。

 娯楽ではなく主目的が人命救助なので、プレッシャーも半端ない。


 一応、今の私は自宅療養期間を二週間ほどもぎ取っている状態だ。

 それ以上休み続けるとなると退職も視野に入ってきてしまい、この看護師寮にいられなくなってしまうので、今のところ私は二週間以上休むことを考えていない。つまり、時間がない。時間が……。



(……駄目だ疲れた。ちょっと顔洗おう……)


 私はフラフラと座布団から立ち上がる。

 洗面所に立つと、メイクも何もしていない黒髪ミディアムヘアの高身長女子が、鏡越しにどよんとした目を向けていた。


 ――この身長のせいで、必死になってオシャレしてないと最低限のポジションさえも確保できない。

 それが本来の私……笹野原夕という人間だった。


 高身長という属性は、女にとって扱いの難しい武器だ。オシャレを怠ればすぐに集団の中の異物になる。

 それでも生まれついてしまった形質は変えられないのだから仕方ない。介護や暴力、きょうだいの引きこもりでめちゃめちゃになっていた実家くらいどうにもならないことである。


 恵まれた人間なんて大嫌い。セレブなんてゾンビに皆食べられてしまえばいい。チャラチャラした男の人だって、生まれつきスポーツ神経に恵まれた自己肯定感MAXな人々ばっかりで、共感できたためしがない。


(そういえば、桐生さんといた時はかなり笑ってた気がするな……)


 相手の知識レベルを無視してしょっちゅう専門的過ぎる話を始めてしまうような人だったけれど、それでも私は楽しかった。

 そう思いながら、私は鏡越しの自分の顔を手でなぞって、頭を切り替えるように首を振る。


(……休憩終わり。まずはあの人をあのへんてこりんな世界から救出しなきゃ)


 新█三丁目エリアで買った強めのカフェイン錠剤を飲み下して、私はパンと両頬を叩く。錠剤の残りはポケットに全部突っ込んだ。

 さてやるぞと気合を入れ直した、その時。


 スマホが震えて、チャットアプリの通話が入ったことを教えてくれていた。慌てて承認欄をタップする。


「どうしたんです? 朝倉さん」

「こんばんは。……寝る前にちょっと心配になっちゃって。アンタ大丈夫? 寝不足になってない?」


 画面越しの朝倉さんはそう言って、年上らしい心配そうな様子で私をのぞき込んでいる。エリザベートの時に比べてかなり小柄になっているのに、相変わらずお姉さんらしい振る舞いが似合う人だ。

 彼女が今どこにいるのかは分からないが、妙に天井の高い寝室らしき場所に横になっているようだった。


(実家……? そうも見えないな。まるで高級ホテルみたいな内装だし)


 私は画面越しの朝倉さんを見て、思わず首をかしげる……が、すぐにピンときた。


「──分かった、不動産屋だ」

「はあ?」

「朝倉さん。そこは三田村さんの家ですね? そしてその可愛いルームウェアは朝倉さんではなく三田村さんの趣味なんですね?」

「……当たり。看護師って気持ち悪いくらい観察力があるやつが多いわよね……」


 それくらい頭が回るってことはまだ元気そうね、と朝倉さんは苦笑する。私はおどけた風に両肩をあげた。


「大丈夫です、なんとかやってます。管理者の日記も結構読み進めてますよ」

「あら凄い。何かわかった?」

「……なんか、変なんですよねえ。

 管理者の日記って2011年以前は仕事や人間関係のこと、将来の不安みたいなものを書き連ねている感じだったんですけど、それが結構唐突に魔法の実験記録に変わっちゃうんです」

「実験記録……?」

「そのまんま、異世界転移記録です」


 私はため息をついた。


「多分ですけどこの一連の異世界転移騒動、めちゃめちゃ人が死んでますよ」

「 妙な話ね……そんなに大量の不審死が定期的に出るなら、メディアも大騒ぎになりそうだけれど」

「ここは新宿ですよ。 原因不明の死者なんて毎日ボロボロ出ています。

 もっとも、熊野寺もそこは慎重で、世間に気づかれないために、いつ死んでもおかしくない社畜を異世界転移の対象者に選んでいるみたいですけれど」

「……この異世界転移魔法って新█が対象なの?」


 朝倉さんがギョッとした声を出した。私はPC画面を見ながら軽く首を傾げ、


「█宿というより、熊野寺のPCに近い場所にいる人間ほど魔法の影響を受けやすくなる、って感じみたいです。魔法が発動する元はあくまで熊野寺のPCなので」

「それで、死ぬほど疲れた人間が一定人数その『魔法』に引っかかると、あの異世界転移が始まるってこと?」

「そういうことです。……でもやっぱり変なんですよね。熊野寺さん、ここまで大掛かりなことをしておきながら、力を手に入れたきっかけも、動機も、事件を起こす心境みたいなものもあまり日記に書いてなくって……あ、これかな?」

「どうしたの?」

「ごめんなさい。通話しながらPC触ってました。今、ようやく『無題』のアプリに手を出してみたところです。これが多分『異世界転移魔法』そのものですね」


 私はPCを操作しながら、申し訳なさそう笑ってみせる。


「ああ。『無題』のアプリ……『核』の電子端末にもあったあれね」


 異世界転移の記憶を思い出したのか、朝倉さんが嫌そうな顔になりつつ頷いた。

 私はPCを操作しながら「そうです」と簡潔に答える。そしてえっと声をあげた。


「集団異世界転移の条件も、ここから設定できるみたいです」

「……うそ」

「人体実験で試すわけにはいきませんが、多分間違い無いと思います。それ、で……」


 と、言いながら、私は目を細めて首を傾げ、PC画面をのぞき込む。


「……この条件、私でも変えられるみたいですね……あれ、変なの……」

「なんなのよさっきから。一体何が起こっているの?」

「……条件、選択式じゃなくて自由文入力式なんですよ。

 変なの……蒔田さんは異世界で『やれる事が多いと計算量が膨大になってプログラムが成立しなくなる』みたいなことを言っていたけど……よくこんなのが成立するなあ。

 このアプリ、やっぱりもはや魔法の領域に足を突っ込んでいるんだろうか……」


 私がごにょごにょと言っていると、朝倉さんが苦笑しながら、


「集中してる最中だったら、通話をいったん切りましょうか?」


 と、言う。だがすぐに慌てた様子で「ちょっと待って」と撤回した。


「ねえ。笹野原」

「なんです?」

「あなた……今のところ単身で、異世界に乗り込むつもりなのよね。蒔田を助けるために」

「ええ、そうですよ」

「あちらの世界に行く方法のメドも立ってしまったのね?」

「立ってしまった……というか、今さっき見つけたところですね。具体的に名前と日付をこのアプリに入力すれば、多分『行くことは』できます。設計図がちゃんと機能してくれるといいんですけど」

「帰る方法は」

「……」


 しばらくの沈黙があった。少しだけためらった様子を見せた後、私は言った。


「……二日前にファミレスで話したはずですよ。管理者みたいに実験はしてないからどんな結果になるか分からないけれど、私はやります」


 私はばつがわるい気持ちになって、PCの操作に集中しているふりをした。だが朝倉さんはそれを気に留めた様子もなく、こういった。


「……私も行く」


 私は思わず顔を上げて、スマホの画面越しの朝倉さんの顔を見た。

 彼女は硬く口を結び、真剣な顔でこちらを見ている。


「……だって、そんな酷い顔になりながら情報を頭に詰め込んで、『設計図』を作っているんでしょ? そんな一夜漬けみたいな状態であっちの世界に乗り込んだって、攻略情報はあらかた忘れてしまっているわよ。

 ……私も行くから、私の知識を使いなさい」

「朝倉さん」


 私が思わず目に涙をため、朝倉さんに返事をしようとした……その時だった。



 突然ドアがバンと開くような音がした。

 そうかと思うと、朝倉さんの背後から知らない男の人がドカドカ歩いてくるのが見える。イケメンのバスケ部員みたいな人だ。


「――待った! 今君たち、一体何の話してた!? 二人であの異世界に行く気か!?」

「三田村さん、いきなり入ってこないでよ! 今まで聞き耳立ててたっていうの!?」


 朝倉さんが慌てた風に起き上がる。


(なるほど、彼がミタムラサンか)


 三田村さんと呼ばれた男の人は、朝倉さんの慌てぶりを気にした様子もなく、どっかりとベッドの上に座り込んだようだった。

 ちょうどギリギリ、画面に顔が映る角度にはなっている。

 彼はキッと画面越しに私を見据え、鋭い目線のまま口を開く。


「ええと、初めまして。朝倉さんの友人? みたいなものの、三田村です」

「……どうも。ノーメークで失礼します。前回『核』だった笹野原です」


 私はそう言って軽く頭を下げる。そしてなんとも言えない気持ちになりながら、


「貴方が三田村さんですか……死体を山に埋めるのが得意だという……」

「埋めてないし得意でもねえよ……じゃなくてさ。君らまさか、あの異世界に二人で乗り込む気?」

「あ、はい」


 私が素直に頷くと、三田村さんは目を閉じ、頭痛をこらえるような仕草をした。そして苦々しい顔で目をあけて、


「……死ぬ気?」


 と首をかしげる。


「正気だけど死ぬ気じゃありませんよ」

「私だって死ぬ気はないわよ。だって行くのは死なないオトメゲーの世界よ?」


 と、エリカさんが会話に入り込んでくる。


「わかってねえ……あんたら本当に分かってねえよ……」


 そう言って、三田村さんはため息をつき、朝倉さんが寝転がっているらしきベッドに上がり込んできた。ちょうど朝倉さんの隣に顔が映りこむ形だ。


「おしえてやる。あそこはな、死なないゲームだからって油断はできねえんだよ。

 俺はあの場所に何度も行っているが……パズルゲーの世界で目の前にテ█リスのテ█リミノが落ちてきて、そのまま死んだやつとかいるんだぞ?」

「あ、パズルでも死ぬんだ」


 そう言ったのは朝倉さんだ。


「█ト██だからいけなかったんですよ。ぷ█ぷよなら平気だったんじゃないですかねえ」


 私も人気のパズルゲームの名前を挙げながら首をかしげる。しかし三田村さんははーっとため息をつきながら、


「……残念ながらぷよ█よも経験済みだ。頭から突っ込んで中から出られず窒息して死んだやつがいた。

 とにかく、そんな危ない異世界の中に? 女の子が? 二人で? 冗談じゃねえよ、危険すぎる。俺は反対だ」

 

 そう言って、三田村さんはため息をつく。そして朝倉さんを見ながら、


「……死ぬかもしれないんだぞ」


 と、声を絞りだした。しかし朝倉さんは一歩も引かない。

 

「こんなにも深く関わってしまったんだもの。見て見ぬ振りをすることなんてできないわ」


 有無を言わさない、ガンとした態度だった。三田村さんは嫌そうな顔でそれを見た後に……ふいにため息をついたかと思うと、降参とばかりに肩をすくめた。


「……そうだった。君はそんな子だからこそ、俺にもあっという間に心を許してくれたんだもんなあ……」


 と、目を閉じる。

 彼は何事か考えるようにしばらく黙り込んだ後、


「……俺も行く」


 と、宣言して目を開き、私を……そして朝倉さんを見た。

 

「エリカちゃんが行くなら仕方ねえよ。行くって言ったら行く!」

「なんでよ? 三田村さんが行く理由なんてないわ」

「俺には俺の都合があるの! とにかく、俺も連れてかなきゃこの話はナシだ。そしたらあらゆる手段を使って君らを妨害するぞ!」


 と、言い切った。そして彼は私の方に目を向ける。


「ええと、夕ちゃんだっけ?」

「あ、はい。笹野原夕です」

「そう。で、夕ちゃんはあっちの世界にいつ行くつもりなの?」

「ええと……来週の月曜か火曜あたりかなと考えていました、来週の水曜にはもう仕事に復帰するので」

「それ、四日前倒しにして今週の水曜日に出来る? 俺の休みだから。

 ……いや……土日のがいいか。エリカちゃんが確実に休みだし。俺も頑張って土曜と日曜に有給取っとくよ。土日はいけそう? 土日なら俺も協力出来る」

「……間に合わせます」

「おし、いい返事」


 そう言って、三田村さんはニッと笑う。ビジネスマン的な意味での厳しさはあるけれど、それなりに打ち解けやすい人みたいだった。


「三田村さんまで行くことないのに……」


 朝倉さんは不満そうな顔で首をかしげている。三田村さんはキリっとした顔立ちからは想像もつかないくらい優しい笑顔を浮かべて、


「ほっとけないって言ったろ?」


 と、朝倉さんにそれとなく手を回す。

 二人の間に流れる空気がいい感じすぎていたたまれない。そろそろ通話を切ってもいいだろうか。


「……と、いうわけで、今週の日曜までに各自終わらせられるもんは終わらせておこう」


 と、言って、三田村さんが真剣な顔になってこちらを見る。


「夕ちゃん、俺も手伝える限り手伝うからいつでも言ってね。締め切り早めといて言うのもなんだけど無理は禁物だ。

 ……あ、そうだ。エリカちゃん、せっかくの機会だから今月のシフト表見せてシフト表! 必要なことだから……あ、シフト管理にこんなアプリ使ってるんだ。おれもダウンロードしとこ」

「え? なん? え? え?」

「ほらこういうのって共有するのも簡単じゃん? これでアプリ同士で繋がっておけばいつでもご飯に誘えるよね! そうだエリカちゃん今度……って通話切り忘れてたわ。夕ちゃん、まーたねー」


 三田村さんがヘラヘラと手を振りながらスマホの通話終了ボタンを押したみたいだった。スマホにあっさりと通話終了の画面が出る。


(凄い勢いで一方的に通話されて終わっちゃったけど……なんか、気が楽になったな)


 私はふうとため息をつきながら、小さく笑う。

 たった一人で乗り込むつもりだったけど、協力してくれる人がいるのは正直ありがたいことだった。


(ゲームに没頭したくても、もし救助に失敗したらって思うと集中できなくて煮詰まっていたんだけど、朝倉さんに助けてもらえて本当によかった)


 電話が来る前と来た後で、明らかに自分の気持ちが変わっている。


(今ならちゃんと、昔好きなゲームを遊んでいたときみたいな気持ちでゲームに向き合えそう)


 異世界創造魔法を成功させるための条件がそろった。

 朝倉さんには感謝してもしきれない。そんなことを考えながら、私はスマホの画面から顔を上げる。


 ……すると。


 スマホの向こう、厳密にはスマホを置いたこたつ机の向こう側に、一度だけあったことのある褐色の肌の少年が立っていた。

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