第36話鷹の目を持つ少年



 突然現れた侵入者を前にして、私は思わず腰を浮かせて目を見開いた。


「あなた、一体どこから入ってきたの!?」


 私の問いに、少年は答えない。

 彼自身も戸惑っているようで、眉間に困惑を浮かべて、きょときょととたかによく似た瞳を瞬かせるばかりだった。

 私は無言のままの少年にじれて、首を傾げつつ話を続ける。


「ええと、君の名前は……そっか、ないんだっけ……。どういうことなの? 君はあの場所から動けなくなってたんじゃなかったの……?」


 確か目の前の少年は、『大久保の廃屋から動けない』といったはずだった。

 そして私の目の前で、煙のように姿を消した。あんな挙動をしていた時点でもう一般的な人間の定義からは外れている。


(この子は悪霊的な何か……なのかな……)


 そうでなければ、私が知らないうちに精神を病んで、彼を『幻』として見てしまっているのかもしれない。

 幻聴をすっ飛ばしてこんなに鮮明な幻覚が出るなんて、聞いたことはないけれど……。

 色々考えつつも何も言えなくなってしまった私の目の前で、少年はすこし戸惑いがちに、ゆっくりとだけど口を開いた。


「僕にもよく分からないんだ」

「えええ……?」

「僕を縛り付けていたあの場所の『悪いもの』は、時間が経ってもうかなり薄くなっていたんだ。そして、なにより」


 と、言って、彼は私をまっすぐに見る。


「――……今はここに、『同じもの』がうまれてしまった。同じくらい悪いもので、あの場所よりも強いものが。

 そう言う理由で、僕はもうここから動けない。そういうことなんだと思う」

「ここって、私の看護女子寮のこと?」

「うん」

「大久保の、この前君がいた廃屋ではなくて?」

「うん。あの家じゃなくて、ここになった」


 その言葉に私はうーんと眉間にしわを寄せ、少年に対してなんと声をかけたらいいのか考えこむ。……駄目だ。何も思いつかない。疲労と寝不足のせいで何一つ気の利いた質問が思いつかない。

 私はしばらく口を閉じて、少年が何か話すのを待った。だが、少年はいつまでも黙ったままでらちが明かない。


(あ、これ言いたいことを言い終わったら反応がなくなるタイプのゲームキャラクターだ……)


 ……しかたないので、私はあきらめて再びゲームをして『設計図』を作る作業に戻ることにした。


 ――今やっているのは、中世ファンタジー風の世界観を舞台にした、人狼ゲーム風乙女ゲームという、カオスにもほどがある世界観のゲームだ。

 人狼ゲームをオトメゲーに仕立て上げるというのは制作人にとってもなかなか難易度が高かったらしく、何週もプレイをしていると確実に飽きるしダレるのだが……メインは『極限状態の中での恋愛』なので、プレイヤーからの評判はそんなに悪くなかったらしい。

 今は騎士団長と神父がお互いを疑いあって、教会の中で激論を交わしている所だった。


 少年はしばらくたったまま私がゲームを進めている所を見ていたが、いつのまにやら私の隣に座り込み、ふっとこんな言葉を漏らした。


「アンタの側にいると、落ち着く」

「え?」

「上手く説明できないんだけど、アンタからは力があふれているんだ。だから側にいると安心する」

「そ、そうなんだ?」

「うん」

「……」

「……」


 再び少年は黙り込み、テレビ画面をじっと見つめる。彼はしばらくそうしたあと、ぽつりとこんな言葉をもらした。


「……これ、懐かしい……」

「……。……懐かしい? って、ゲームが?」


 私は思わず振り返って少年を見る。少年は目をきょと瞬きながら、「うん」とうなずいた。


「これ、げーむって言うの? よくわからないけど、僕がずっとしばられていたあの廃屋の家並みよりも、この絵の景色の方が、この絵に描かれている人たちの方が、ずっとずっと懐かしい……。いいなあこれ。行きたいなあ……」


 そう言ったきり、少年は再び黙り込んで、熱心に画面を凝視しはじめてしまった。


(う、うーん……)


 少年の言葉にどう返事をしたものか分からなくて、私は無言のまま、困惑を眉間に浮かべるしかなかった。


(……こ、これはあれかな……じ、地縛霊的な何かなのかな……? 生前ゲームが凄く好きな子供だったとか……?)


 異世界にさらわれたり目の前で人間が現れたり消えたり……そんなことばかり続いているから、目の前の少年が地縛霊であってもおかしくはないような気がする。

 ……と、少年の服の妙な小ぎれいさに、私は改めて注意をひかれた。

 先日の雨の中、大久保の住宅街でこの少年と遭遇した時にも『少年の姿はぱっと見だけど、何日もずっと放浪していたような人には見えない。』と思ったのだが……その理由がいまはっきりと分かった。

 彼は『不自然に服がきれいすぎる』のである。


(なんだっけ、日本文学科に行った友達が面白い話してたんだよなあ。日本には古来から、服の様子でバケモノか人かを判断する方法があるんだって……)


 アレは一体どんな方法だっただろうかと、私は少し考える。……が、一向に思い出せなかったので、早々にその思い付きを放り投げた。

 その代わりに取り出したのは自分のスマホだ。この少年があの廃屋……ひいては異世界転移魔法と関係があるのかもしれないなら、アプローチする方法がもう一つあることを思い出したのだ。


「そういえば君……この人に見覚えは、ない?」


 異世界魔法の使い手……熊野寺の写真を見せるという、方法が。




 ☆




「……ああ、クマノだ」


 私に見せられた画像を見て、少年はぱっと笑みを見せた。


「うん、うん……思い出したよ。懐かしい。凄く優しい人だったんだ。この人のこと、アンタは何か知っているの?」

「うん」


 少年があまりにきらきらとした笑顔を向けるので、私は少し気まずい気持ちになりながら目をそらした。


「……熊野寺さん……管理者、いや、異世界ユーテューヴァーだっけ? あの人の動画、一応全部見たよ」


 そう言って、私は動画の内容を思い出して目を伏せる。


「……苦しそうだった」



 熊野寺省吾……つまり、異世界ユーテューヴァーがネット上でたどった遍歴へんれきは、簡単に説明すると以下の通りだ。


 まず、2011年ごろに異世界を作る能力(魔法?)を手に入れた青年が、その力を人にも見せたくなって異世界の様子を実況する動画をユーテューヴに配信し始める(ちなみにその魔法をどういった経緯で手に入れたのかについては、熊野寺は一切話さなかったし記録にも残していない)


 動画はそれなりに話題になったが、大ブームを巻き起こすまでにはならず、あくまで少人数のファンを得るにとどまった。


 そうこうしているうちに就職活動が始まり、熊野寺はなんとか仕事を手に入れるも、どうも2013年の4月入社の時点で、毎月のサービス残業時間が100時間を超えるような職場だったらしい。彼は急速に精神を病み始める。


 そこで、仕事を辞めてなんとか動画で生計を立てる方法を模索するが、当時は嫌儲風潮が強く、また、ユーテューヴのインストリーム広告も実装される前で、熊野寺は自分の能力を換金する手段を手に入れることが出来なかった。金銭的に苦しい生活が続く中、彼は更に精神を病んでいくことになる。


 2014年に入ってから、動画中で『代償がいる』『こちら側に住める環境を構築したい』といった言葉を口走り始め、ネット上でも「様子がおかしい」という噂が流れ始めた。

 そして、最終的に彼はオフ会の募集をかけたきり、ネット上から姿を消してしまう。(参加表明をしていた人たちのSNS更新も途絶えているが、いかんせん少人数だったために、これは熊野寺が原因なのか、他の理由があるのか判断できない)


 その後、ブログやその他SNSで安定した活動を続けていたゲーマーが『不自然に』活動を停止させ始める。これは動画で知った情報ではなく、蒔田さんのSSDを漁っていたら出てきた情報だ。1990年代後半や2000年代から安定した活動を続けていたはずの神ゲーマーやゲーム関係のブログ管理人達の失踪が、2014年の後半以降に集中している……らしい。それも「そんなこともあるさ」では片付けられない人数とペースだそうで。


 彼らはおそらく、『核』としてあちらの世界に連れ去られてしまったのだろう。どうやって調べたらそんなことが分かるのか、蒔田さんの情報探索能力には頭が下がるばかりだけれど……。




「――悲しい人だと、思ったよ」


 少年に『管理者』……熊野寺の作った動画を見せながら、私はぽつりとつぶやいた。


「仕事が苦しくて、苦しくて、遊ぶどころかご飯を食べたり寝る時間さえも確保できなくて……ってしんどさは、同じような状況だったから私にもよくわかるの。

 どこか別の世界に逃げ出して楽になりたい、って気持ちもね。冴えない自分が嫌で嫌で仕方なくて、中高とゾンビゲー廃人やってたわけだし。


 ……それでも、あんな形で異世界に逃避することを選んで、その異世界を維持するために沢山の人を殺すことを決意した気持ちは……私には分からないよ……」


 そう言って、私は頭を振った。


「……君の言っていることはよく分からないけれど、クマノを悪く言わないで。あの人は僕の友達だったんだ」


 名前のない少年は、そう言って悲しそうに首を振る。


「わかったよ。ごめんね」


 と、私は彼を安心させるように小さく笑って頷いて、


「管理者……じゃない、クマノさんのこと、少しは思い出せた?」

「うん。ありがとう……少しづつだけと、思い出せてきた気がするよ。彼は友達だったこととか、凄く優しかったこととか……」


 そう言ったきり少年はふと黙り込み、不思議そうに首をかしげる。今しがた思い出した記憶に、自分で疑問をいだいているようだった。


「……僕、彼の力を借りたら、帰ることができるかもしれないと思ったんだ」

「帰る……どこに?」

「わからない。でも確か……失敗したんだ。それでクマノは心を喪い、ただの怪物になってしまった」

「……」

「だから、責任をもってクマノを消さなきゃいけないって思ったんだ。大切な友達だったから、あれ以上苦しませたくなくて……」


 そう言いながら、少年はますます首をかしげる。


「でも僕は、一体どこに帰りたかったんだろう。クマノはどうして僕に協力してくれたのかな……」


 少年はそんなことを自問しているが、私に答えが分かるはずもない。ただ、「クマノを消さなきゃいけない」という言葉にひどく不安なものを感じた。



(……つまり、この子は管理者を殺そうとしていた? ということ?)



 私は彼の言葉に何も言えなくなってしまう。目の前の少年に、心当たりが出来てしまった。

 あの異世界で「友達を失ってしまった」と、泣きながら叫んでいた異国語まじりの言葉を話す女性。


「君が……『アナタ』……だったの?」


 私の言葉に少年は曖昧な笑みを浮かべる。

 邪気のないはずの笑みにどうしようもなく不吉なものを感じて、私は座ったまま思わず少年から距離を置いた。テレビ画面を見つめたまま座り込んだ少年は、ブツブツと独語を続けている。






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