第28話ここより先、決して武器を持たずして侵入すること勿(なか)れ

 一方通行の細い道が多いため、タクシーは大通りに止めてもらい、目的地までは徒歩とほで向かうことになった。


(なるほど、たしかにこれは、住民に目撃されるだけでも厄介なことになりそうな場所だな……)


 街灯もまばらな中、周囲の家並みを見上げつつ、蒔田は内心ため息を付いた。

 ――『新宿』という場所柄のイメージとは程遠い、いかにも昔ながらの地元民ばかりが住んでいそうな住宅街だったのだ。

 こじんまりと寄り合っている民家はどれもかなりの年月の経過を感じさせ、古参の住民たちだけで完成された閉鎖的な空気があることを、肌で感じとることが出来るレベルになっていた。治安は逆に良さそうだが、地元民以外は絶対に目立ってしまうし、警戒されたり敵意を持たれたりする危険がありそうだ。


 そんな中に、自分や三田村のような人間が挨拶なしに土足で入り込んだら一体どうなるか……それはまだ分からないが、怖がりの朝倉を置いてけぼりにしたがった三田村の気持ちは、今の蒔田にはよく分かる。



「――さーて、ここだ」


 と、地図アプリも開かずにスタスタ歩いていた三田村が足を止めて蒔田を振り返る。

 三田村が親指で示した先には、周囲の家以上に古い2階建ての屋敷が建っていた。


「……築五、六十年。外装の修繕も最低限……って感じかなあ。下手したら風呂もなさそうだね。

 見るからに襤褸ぼろで誰も住みたがるものが現れず、かと言って今以上に家賃を下げることも出来ず、住民は今は一階に住んでいる熊野寺だけ……つまり、『管理者』以外に居なかったらしい。

 それも大家が強制退去を渋った理由だな。


 家賃を納める店子たなこが居ない土地と家なんて、税金がかかるお荷物以外の何物でもない。


 本来、こうなっちまったらさっさと土地を買い叩いてもらったほうが吉なんだが、いかんせん周りが『こんな環境』だ。マンションが立つ計画など持ち上がろうはずもなく、再開発にも引っかかることなく、土地の買い手も現れず、大家もやむなく建物を放置するに任せていた……って感じだったらしい」


 周囲の様子を警戒してか、三田村の声は小さく低い。

 蒔田はその言葉に頷いて見せながら、自分のノートPCをバックパックから取り出した。そしてその場にいきなりどっかと座り込み、作業を始める。


「あ、座るんだ。蒔田さん、ここに座っちゃうんだ……」

「細い道で車は来ないんだから問題ないだろう? ……そうだ、三田村さん、管理者の部屋のメーターが回っているか見てきてくれ。電気が止められているなら、そこらのコンビニで懐中電灯でも買ってこなきゃならないだろう」

「はいはい、了解ですー。……あ、いま通知来た。鍵ももうすぐみたいだよ? 大家が落合の方に住んでるみたいだから、大通りまで車を飛ばせばすぐっしょ」

「大家さん、こんな時間によく起きていたな」

「お金の力は偉大だからねえ……そりゃ飛び起きるでしょ。俺だって目の前に札束をぶら下げられたら速攻で飛び起きるね」


 そんな軽口を叩きながら、三田村は家の方へと姿を消す。

 蒔田はノートPCのモニタに目を戻すと、黒いウインドウに並ぶ文字の羅列に目を通す。


(……SSIDの名前からして、このWi-Fiネットワークの電波はこの家から飛んでいるのか? ということは、三田村に見てもらうまでもなく家の電気は通っていたのか。

 暗号方式は…まあWPA2か。万が一未だにWEP使ってたりしてくれてたら儲けものだったんだが。流石に今更そんな化石を使っているなんて、都合の良い事がある訳ないな)


 いくつか適当にパスワードを入れてみるが、当然当てずっぽうで正解する訳がない。思わず顔をしかめながらも、蒔田は、


(……まあ普通はそうだよな。となると、やはり物理的に管理者の自宅に侵入して、中からなんとかするしか無いか……)


 そんなことを考えながら、蒔田は『管理者』の家をにらみあげる。

『管理者』がセラばりの情弱だといいんだが、などと失礼なことを考えていると、三田村がこちらへ戻ってきた。


「ダメだ、蒔田さん。メーターを確認したけど、全然回ってないよ。電気は止められているんだと思う。

 ……止まっていると色々と無理そうか?」

「ん? ちょっと待ってくれ、電気は通っているはずだぞ? 現に俺は、こうして管理者のサーバーをのぞくことができ……」


 と、言いながらも、蒔田は苦い顔になった。彼は苦い顔のまま、思わずと言った様子で天を仰ぐ。


「……そういうことか……」

「え? どゆこと、蒔田さん」

「……つまり、『電気は止められている』が『サーバーは動いている』……なんてこった。そこからもうファンタジーじゃないか……」




 ☆




 蒔田は家の外から出来ることは何もないと判断し、手早く荷物を片付けると、管理者の家の周囲を観察し始めた。


「相当、すさんでいるな……『家には寝るために帰っているようなものだ』と動画中で管理者が話していたことがあったが、ここまで隙間風が多そうな家だと冬は寒くて眠れなさそうだ」

「夏も冷房代とか考えると厳しそうですよねー」


 そんな話をしながらも、三田村はガラス戸に耳をくっつけて耳をそばだてる。


「……んー、やっぱりだれもいないよなあ……って、あれ?」


 三田村は怪訝けげんそうな顔をして、更にガラス戸に耳を押し付ける。

 それを不思議に思った蒔田は、三田村と同じようにガラスに耳を押し付けて……そして、思わず顔をしかめてこう言った。


「声らしきものが聞こえるな」

「生活音? なんだろ……」

「『管理者』は家の中にはもう居ないはずなんだろ?」

「ああ、少なくとも目撃情報は途絶えているはずなんだけど……」


 三田村は戸惑いがちにガラス戸から耳を離し、首をかしげた。

 ガラスの向こうから確かに人の声……いや、うめき声と言ったほうがいいだろうか。そんな音が聞こえるのだ。耳をすませながら、蒔田は考える。



(人によく似た、しかし人ではないうめき声……まさか……)



 ――その声の正体に思いが至った瞬間に、蒔田は思わす頭を抱えた。



「またヤツらなのか……」

「ん? どうしたよ、蒔田さん」

「……あの声には、異世界で嫌というほど聞き覚えがある。多分ヤツらだ」

「え? ヤツ? ヤツってだれだよ?」


  三田村はかなり困惑している。


「……三田村さん、あんたは家の中にいるのは一体なんだと思う?」


 と、蒔田はふいに三田村に質問した。


「え? んーと、そうだなあ……ライフラインが止められている上に腐敗臭がしない、となると普通は夜逃げを疑う。俺だったら『愉快なお隣さんが家の中に忍び込んでいる』に千円賭ける、かな」

「……だったら俺は、『ゾンビが湧いてきている』に十億かける」

「だははっ、やけに自信満々だねえ……って、は!?」


 十億持ってるの!? という三田村のツッコミをよそに、蒔田は武器を探して周囲をキョロキョロし始めた。


「手頃な武器、バール、バール……」

「ちょ、血走った目でなに武器を探し始めてんのさ! まさか、戦うつもりか!?」

「戦うしか無いだろう。ゾンビを倒さなきゃ家の中のサーバーにはたどり着けないんだぞ? 声の数からして三体以上はいる」

 

  蒔田は何を分かりきったことを聞いているんだとばかりに肩をすくめる。


「それに、午後には裁判所やら大家やらの連中がここに来るんだろ? 三田村さんは彼らにゾンビの相手ができると思うのか?」

「そりゃ、絶対に無理だろうけど、でも、えええ……なんでそんなに切り替え早いの……」


 あっという間に戦闘態勢に入った蒔田に対し、三田村は完全に及び腰になっている。それを蒔田はとがめるように見やったが、すぐに納得した顔になり、


「そうか……三田村さんはあっちの世界でゾンビに会ったことがないのか。いいか、奴らに遭遇したときには、絶対に迷ったりためらったりしては駄目だ。速攻で噛まれて死ぬぞ」

「いや、その、でも……本当にゾンビがどうかわからないし……」

「いいや、あの声は絶対にゾンビだ。異世界で嫌というほど遭遇したから俺にはわかる。間違いない」

「ええー……そ、そういうもんなのかあ?」

「そういうもんだ」

「う、で、でもさ、もしも本当にこの部屋にゾンビが居た場合、俺はそのゾンビを殺しても大丈夫なのか? 関連法規あったっけ? 人の形してるんでしょ? 何かの罪に問われたりとか……」

「落ち着け三田村」


 蒔田はそう言って三田村の肩をポンと叩いた。


「相手はこの世に存在しないはずのバケモノだ。奴らを守る法律など無きに等しい。なんの遠慮をすることもない」


 そう言いながら蒔田は周囲をキョロキョロし続け……ふいに、足元に埋まった十字の溝がついた四角いコンクリートの塊を発見した。


「……これ、確か杭なんだよな。コレを抜けば武器になるかな……」

「ダメダメダメ、境界杭きょうかいくいは絶対ダメ! 境界毀損罪で速攻お縄だ。

  あ、ちょっと待って……後輩から通知が来た。いま大通りについたらしいから、俺、鍵をもらってくるよ。蒔田さんは余計な真似をせず待っていること!」


 三田村はドタバタと細い通りを走っていき、そして、あっという間に戻ってきた。……よほど蒔田から目が離せないらしい。


「鍵は?」

「これ……って蒔田さん、なに。そのドラム缶は」

「庭先に放置されていた」

「んなこた分かってるよ……まさかそれで戦うつもりか?」

「極力ゾンビには触りたくないからな。こんなのでも、ないよりはマシだ」


 三田村から片手で鍵を受け取った蒔田は静かにそういうと、庭先で拾ったドラム缶を抱えたまま玄関の前に立った。



「……開けるぞ」


 そう言うなり蒔田はあっさりと鍵を開け、遠慮なく安普請やすぶしんの戸を開けた。迎え出てきてくれたのは……もちろんゾンビだ。


「うっ、そだろ……マジかよ!」


 三田村が思わず声を上げる。こちらを向いてズルズルと足を引きずって歩いてくるのは、間違いなくゾンビだった。臭気が酷い。間違いなく人間ではない……ならば手加減する必要もない、と、蒔田は思った。


「ふんっ!!」


 蒔田はなんのためらいもなくドラム缶をゾンビに向かって突き出した。

 重心を崩し、倒れるゾンビ、それを思い切りり上げ、踏みつける蒔田。飛び散る血液。そして浸出液しんしゅつえき。しばらく痙攣けいれんしたのち動かなくなるゾンビ……。


予備動作よびどうさいっさい無しかよ……蒔田さんこえええええ……」


 まさか蒔田がここまで動ける人間だとは思っていなかったらしく、三田村が目を点にして固まっていた。だがすぐに我に帰ると、混乱を振り払う落とすように頭を振る。



「……あーあ。折角の休日だってのに、徹夜明けの体でゾンビ退治かよ……。この後エリカちゃんとデートがあるって思ってないとやってらんないよ、こんなの」

「朝倉とか? ……あんなに怖がっていたのに、よく向こうがOKを出したな」


 蒔田は意外そうな様子で三田村を振り返る。三田村はむっとした顔になりながら鼻を鳴らした。


「OKは貰ってないけど、真っ赤になって固まってたから多分嫌がってはいないとは思う。エリカちゃんは反応がかわいーから、俺もついからかいたくなっちゃって……って、またゾンビが出てきやがった! こんな狭い部屋によくもあんなに潜んでいたもんだな」


 三田村はそう吐き捨てると、端正な顔立ちに覚悟の色を刷いて身構える。


「あっちの世界でならまだしも、新宿でこんな目に遭ったのは初めてだよ。俺たち、黄泉こうせんの客なんかにならずに済めばいいけども……」

「問題ない。怖いならその辺に隠れているんだな」


 蒔田はドラム缶を拾い上げて血をブンと振り払うと、暗がりの奥から出てくるもう一体のゾンビを睨みつけた。


「……反撃の時間だ。今まで散々に苦しめられたからな……ここのサーバーは絶対に乗っ取ってやるし、セラも必ず返してもらうぞ。死人ぞんびは問答無用で皆殺しだ。こんなグロい連中が、新宿に放たれてたまるものか」




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