第29話廃屋を彷徨(さまよ)う

「――とあっ!」


 三田村は鋭声どごえを上げるなり、目にもまらぬ速度で組み付きなしのりをかましたかと思うと、よろめいたゾンビの襟首えりくびにかかとを引っ掛けて引き倒した。一連の動きは目にも留まらぬほど早い。

 三田村はそのままゾンビを勢い良く床に踏みつけにした。ゾンビはしばらく痙攣けいれんした後、動かなくなり、床一面に血を流す。


「っしゃあ、一匹目!」

「……随分と人相手の喧嘩けんかれてるんだな」


 少年めいたガッツポーズを決める三田村に、蒔田は不思議そうな目を向けた。

 ここに女子がいれば「カッコよくて強いなんて三田村さんマジ素敵~♡」と黄色い声を上げたかもしれないが、生憎あいにくと蒔田は女子ではない。

 ただただ(なんで不動産屋が強いんだろう)と不思議に思うばかりだった。


「そりゃまーねえ。新宿で一等地の土地の管理をやるには、喧嘩の心得こころえくらいないとハナシになんねーからさあ」

「……不動産屋って、そういう仕事だったっけか……?」

「そそ。そーゆー仕事なんですよ……しかしひっどい汚れようだなあ。特殊清掃とくしゅせいそう大変そー……平米あたりいくらになるんだろ。ていうか、もう人に貸せる状態じゃないよね。やっぱり二束三文にそくさんもんでもいいから売ったほうがいいよねこの土地は」


 そんなことを言いながらも、三田村は暗闇をものともせず家の中へ足を踏み入れる。


「そういえば……懐中電灯かいちゅうでんとうを買い忘れていたな」


 と、言いながら蒔田は三田村の後に続いた。


「あ、俺買っておきましたよ。でも今はやめときましょうや。最低限の明かりはまどから入ってくるし、何よりゾンビ相手に片手でもふさがっていちゃマズいで……しょっと!!」


 三田村は廊下ろうかに転がっていたビールびんを拾い上げ、部屋の奥から現れたゾンビに向かって叩きつけた。

 瓶本体はあっさりと粉々になったが、三田村はまだ鋭い破片が残っている持ち手でゾンビの鼻を突き上げ、そのまま重心を崩して強引に昏倒こんとうさせる。


「ふー、死んだか……」

「……いや、三田村、まだだ! 床に血があふれていない、そいつはまだ生きている、頭を砕かないと死なないぞ!」


 蒔田は叫んだ。


 ――ゾンビの中には死んだフリをして油断を誘い、足元から攻撃をしてくるやつがいる。


 ……それは一番最初に、今は行方不明になってしまっているセラからおしえてもらった知識だった。


「くっそ、しぶといなあ!!」


 ゾンビは仰向けに倒れているので踏みつけにするわけにも行かず(噛みつかれかねないからだ)、三田村は蒔田からドラム缶を受け取って、そのへりでゾンビの頭を何度もたたいた。


(どうなってるんだ、この家は……)


 ほの明るい廊下の中、蒔田は周囲からまた敵が現れやしないかと、警戒して目を凝らす。

 ゾンビがようやく動かなくなり、床に血があふれたのを確認すると、三田村は疲れたようなため息をついた。


「……蒔田さーん……このドラム缶、あと何回使えますかね……」

「ボロボロになってしまったな。そう何度も使えなさそうだ。ゲームじゃないから、残り使用可能回数までは分からんが……」


 と、言いながら、蒔田もまたため息をつく。

 やっぱりドラム缶なんかじゃダメだ。バールが欲しい。切実に、今ここにバールが欲しかった。


「バールが欲しい……」


 蒔田が思わずつぶやくと、三田村が笑い交じりに応じる。


「あー、便利ですよねアレ」

「不動産屋がバールを使うのか?」

「工具ですよ? そりゃ使うに決まってますよ。隣から越境して来てる木の枝をバキバキ叩き落としたりとかねー」


 と、三田村は肩をコキコキ鳴らしつついい、廊下から部屋の中へと入り、部屋の様子を観察し始める。


「あーあ、まいったなあ。近所の目も気になるし、あんまり騒音立てたくないんだけどなあ……」

「ゾンビ相手だからな。仕方ない」

「その仕方なさを近隣の御歴々(ごれきれき)も理解してくださるといいんですけどね。

 それにしてもココ、一体どーなってんだよ。一人暮らし向けのワンルームだぞ? なんでゾンビがこんなにギチギチギチギチ……って、あああーっ!!」


 三田村は叫び声を上げながら、部屋の隅に駆けていった。そして苦い顔になりながら、


「……『管理者』のやつ壁に穴開けて、隣の部屋とつなげてやがる! 直すのにいくかると思ってんだよ、アル☆トラズからの脱出じゃねえんだぞ、くそっ……」

「なるほど、穴の向こうにもう一つ部屋があるのか。……あっち側はかなり暗いな」


 三田村の背後に立った蒔田は、思わずすうっと目を細めた。三田村は蒔田の言葉に頷いてみせながら、


「確かに、あっちの窓は隣の家と密着してますからね。懐中電灯を使わないとどうにもならなさそうだ。

 ……それにしても……そうか。

 元々ここだけ壁がかなり薄かったんだなあ」


 と、言いながら、三田村は壁に手を触れて検分けんぶんする。


「ここは一階だし、元は大家が隣りに住んでいて、いずれはこっちとあっちの部屋をつなげる予定で……って感じで、あらかじめわざと壁を薄く作っていたのかもしれないな」

「そういうことがあるのか?」

「ああ。外から見た感じとこの壁の薄さから推測しても、多分そうなんじゃないかと思う。こっち側はワンルームだけど、あっち側は多分もともと大家が住んでいたんだろうし、ちょっとだけ広いと思うよ。やったー、楽しい廃屋はいおく探検ツアーが出来るぞー」


 と、全然楽しくもなさそうな顔で三田村は言った。


「……って、ふざけてる場合じゃないか。蒔田さん、こっち側の部屋にPCはありますか?」

「ないな。やはり隣の部屋も探さなければならなさそうだ」


 蒔田はそう答えながらも『管理者』の部屋の台所スペースをあさり、小さめのフライパンを手に取った。

 ……これだけでもかなり心強い。


「三田村さん。びまくった包丁も見つけたが、どうする?」

「いただきましょう。……あっち側、絶対またゾンビがいるんでしょー……?」


 三田村はため息を付きながらも、仕方ないと言った様子でスーツの上着を床に放り投げ、ワイシャツのそでを思い切りまくった。


「……斥候せっこうは俺がやりますよ。

 懐中電灯で片手がふさがるので、ゾンビの相手というか、トドメを刺すのは慣れてる蒔田さんがやってください。……貴重な明かりを落とすわけにもいかねえからな」

「分かった……それにしても、有り難いのは有り難いが、なんでわざわざ危険な役割を買って出てくれるんだ?」


 蒔田は不思議そうに首を傾げた。まあねえ、と三田村は軽く笑う。


「どーせ乗りかかった船ですし、それくらいは請け負って差し上げますよ。……エリカちゃんに俺がいかに強くて頼りになったかって後で語って聞かせてくれれば、それがお礼でいいです」

「……お前、実はいいやつなんだな……」

「よく言われます」

「そしてそんなに朝倉が好きなのか。出会って間もない……はずなんだよな?」


 と、蒔田が首を傾げる。

 三田村は苦笑しつつ懐中電灯の電源を入れた。


「確かに、出会って間もないはず……なんだけどねえ。正直自分でも戸惑っていますよ。普段は女に押されまくって付き合うことが多いから、どうやって近づいたらいいのかもイマイチわかんねーし。この前だってちょっと笑顔を向けただけで逆に怖がられて逃げられちゃったんだよなー」

「……前言を撤回しよう。お前、めちゃくちゃ嫌なやつだな」

「ははっ、それもよく言われますー」


 三田村は否定しなかった。

 穴をくぐり、隣の部屋に入る。中はこじんまりしたリビングへとつながっていた。

 ――ゾンビの姿は、今のところ見当たらない。


「それにしても……朝倉か……。正直どこがいいのかよく分からんが」


 周囲をキョロキョロ見回しながら、蒔田は思わずそうつぶやく。


「え……へっ!? 蒔田さん、本当に気づいてなかったのか!? あの子、格好かっこうは地味だけどめちゃくちゃ美形ですよ!?」


 三田村がぎょっとした顔で蒔田の方を振り返った。

 蒔田はムッとした顔になり、


「……仕方ないだろう。悪いが俺は人の美醜に鈍感なんだ。朝倉のことも、正直悲鳴が個性的で服装が地味な女くらいの印象しかない」

「えっ……ええええー!? 嘘でしょ、そういうことって……ん? ちょっと待て? 悲鳴が個性的……?」


 と、三田村はふと真剣な顔になる。ついではっとした顔になり、最後に苦虫を噛み潰したような顔になった。


「……あー……。なーるほど。怖がられるわけだ。

 俺、あっちの世界であの子のこと殺しかけてたわ、エリカちゃん、確かあっちでは銀髪ツインテールの美少女キャラじゃありませんでした?」

「そんな見た目だったな。銀髪に紫色のドレス姿で……悪役令嬢とかいう役どころのキャラクターらしい」

「ああー、それだ、それだ。やっちゃったなー……。

 可哀想に、それであんなに怯えてたのか。めちゃくちゃ弱かったから、本気で殺すところだったよ……」


 三田村はしゅんと肩を落とした。そしてチラリと蒔田に目をやりつつも、


「……何かプレゼントしたらエリカちゃんは許してくれますかね?」

「知らん」

「蒔田さん、エリカちゃんが何好きか知ってます? なんだろ……犬に詳しかったし、犬が好きなのかな。実家のアフガンハウンドを贈れば喜んでもらえるんだろうか」

「……いきなり生体を贈られても、朝倉も困ると思うぞ」

「でも、アクセサリーに飛びつくような子じゃなさそうじゃないですか。質実剛健しつじつごうけんとか座右ざゆうめいにしてそうな感じだもん。

 まいったな……殺しかけたことをチャラにしてくれとは思わないけど、どうしたら許してもらえるかなあ……。ねえ蒔田さん、通勤に便利な中井あたりの中古マンションをあげたらエリカちゃんは喜ぶと思います?」

「あのな三田村、正直に言っていいか? ……さすがに重いぞ。あと怖い」

「だって何も思いつかないんだってばー!」


 と、三田村は情けない声を上げた。それに蒔田はため息をつく。


「三田村、うるさい。

 ……それと、俺に恋愛相談をするのはリソースの無駄だからやめておいた方がいいぞ。

 これでも中高時代は今の1,5倍は太っていた上に、ムチャクチャに暴れていた不良だったんだ。そのうえ、痩せた後にはあの炎上騒動があったからな……恋愛経験なんて、あるわけがないだろう」

「そうなんですか? 蒔田さん整ってるから、てっきりそれなりに経験はあるのかと…… んー、ここら一体のゾンビはさっきの三体で全部だったのか。なんの気配も残っちゃいないや」


 三田村はキョロキョロと周囲を見回しながら肩をすくめる。


「そうみたいだな……PCを探すぞ。三田村、明かりをこっちに向けてくれ」

「はいよ」


 蒔田の要望に三田村は即座に対応する。家の中は惨憺さんたんたる有様で、雑然と散らばった雑貨や毛布、絨毯じゅうたん類などの中から目的のものを発見する作業は困難を極めた。


 周囲を警戒していた三田村が、ふと真剣な表情になってポツリとつぶやく。


「こんな場所で、『管理者』は何を考えてあんなことをしでかそうと思ったんですかね……」

「さあな。だが、ロクな精神状態じゃなかったのは確実だろう。部屋の散らかり具合を見ても、それくらいは推測できる。

 異世界創造だの代償集めだの……およそ普通の精神状態じゃ実行できないことだな」


 蒔田はそう返事を返しつつ、あの異世界で死んでいった大量の人間たちに思いを馳せる。

 それは三田村も同じだったようで、なんとも言えない表情で目を伏せた。


「……俺が言えた義理じゃないけど、これ以上、被害が広がらないといいなあ。社畜地獄……ていうか、あの異世界。どんだけ人が死んでるんだか」

「ああ。そうだな……俺達で終わらせよう」


 そう言いながら、蒔田は街灯りもほとんど入ってこないすりガラスの窓に目を転じる。夜はまだあける気配がなかった。

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