第2話
弐口甲一博士。
これから会いに行く人物である。
人物と言っても、名人物である。
世界が認める天才、視覚情報処理研究の一人者。その研究成果は軍事から芸術まで、数々な領域で利用されている。その割、あまり顔を出さない方である。
あまりと言うものの、今の情報社会では一度さえあればそれを永遠に見られることに等しいから、検査してみればすぐわかるような気がするが、意味がないと判断するから、一度もしなかった。
研究者の写真、もとい成果の挙げられた研究者の写真をわざわざ見る者は、九割以上の場合は分野外の素人、言い換えれば一般人である。そこから『この分野の研究をしているのはこの人だ』あるいは『この人があのすごい研究成果を出した噂の天才だ』(近頃なぜか『天才』と『凄い』を同一視する傾向があるが)、それから名前と外見くらいの情報しか獲得できないーー言い換えれば、マクドナルドの『M』字くらいの価値である(もちろん、食事するためではなくM字を眺めるためマクドナルドに行く人間たちは論外だが)。
まあ、メディアを介して公開された顔写真は宣伝だけではなく、『研究も研究者も研究結果もちゃんと実在するから今まで投入した資金は無駄使いではない』ということを示す、人々に安心させるために用意したものなんだろう。割と働いてると思うが。
とはいえ、『研究なんかよく知らないから、その人に注目するしかない』と『こんなにも素晴らしい成果をあげる人って、是も非も見てみたい』について、好奇心による本質は同じと思うが。別にこれが悪いと批判するわけではなく、両方も両方で当たり前の心理であるからーー『いくら有り得ないことに見えても、世の中には当たり前のことしか起こらない』という真理と同じ。
ちなみに博士の名言だったらしい。
僕が言い出す場合は多分迷言にされるだけなんだろう。まあ僕の言うことってだいたい迷言だけど。
いっそ迷言遣いを肩書きにしょうか。
なんちゃって。下手にすれば路頭に迷う奴が出そうからやめる。
ともあれ。
伏見波瑠七ーー今は江口波瑠七とい呼ぶべきが、去年の七月、旅行先での事故をきっかけに彼女と出会い、それから一連の出来事を経て(よく気づけば一年も経った)ようやく安定し、出会う時の約束の通り、六日前ーー七月一日にめでたしく彼女と結婚した。
人格は未だいささか不安定だが、どうだろう、お笑い芸人でもない限りキャラもギャグも一貫性を保つ必要はないと思うが。むしろ性格が変わるところが人間らしいものであるものだ。肝心要たるその素性についてだが、今回の話にはあまり関係ないから敢えて割愛する。
まあ弐口博士との面会許可を取れるのは彼女の関係のお蔭だが。
「にしても、本当ななちゃんってすごいな、あの弐口博士とまでも知り合いなんて、さすがにびっくりしたぜ」ハンドルを握りながら、男は言う、「いや、だとしたら江口、むしろななちゃんと結婚した君の方がよほどすごいじゃないか。彼女、じゃじゃ馬の程度半端なさそうから、さすがにおめでとうとは言い難いなあ。御目出糖はもらうだが」
「糖尿病が悪化したらおめでたくなるぞ」相槌をうつ。今時『御目出糖』をダジャレ以外の意味として捉える若者って一体どれくらいいるだろう。
今車を運転している男は友人の有吉無序である。彼は別ルートで面会許可を取り、博士のとこへ行く予定らしいので、同行させてもらた。仕事は僕と同じく絵描き関係で、つまるところイラストレーターだが、最近はゲーム制作用イラスト塾の講師を務め、しかも結構評判が高いらしい。
「職業はイラストレーターだが、人格は常にイラストだぞ」
「人格が平ら一面、つまり世間並みって意味かな」
「常にイラついてると言う意味だ」
「世間並みどころかめっちゃ危ないやつになったなあ」
「この偏見ありふれた世の中にはもう真っ平だ。イラ」
「厭世家になったところ、まだ世間並みに戻ったと言いたいが、しかし個性を主張するためわざわざ語尾に『イラ』をつくのは逆に普段の無個性の証拠にもなると思うが」
「だから常にイラ『ついてる』って言っただろうイラ☆」
「明るい口調で誤魔化すな、そこまでうまくねえよ、つうか、ただの腹ただしい奴になったじゃん」
「人のことをずけずけ言うんじゃねえよこら」
普通に怒られた。イラストは本当だったらしい。
有吉無序の無序って性格のカオス度を示しているのかな。
「昔よくそう言われるね、僕、だから無口になった」
「俺は今だってようそう言われるよ、主に塾生に」
「へえ。しかし、ありそうな話ね、間違いが指摘されるとすぐキレる人って」
「だろう。よくも同じ女の子に五回も振られるなんて。まあ原因は主に俺にあるだが」
「勝手にイラストレーターからハートブレイカーの方向へ進行するな。可哀相だろうその生徒。どんな講師かよ。ちゃんと謝れ、謝罪せよ、そんで辞任しろ」
「まあ向こうはその後すぐ俺と付き合い始めただが。俺はこう見てもかなり癒し系なんだから、二人結構ラブラブ熱々だぜ」
「……」付き合うって、どっちだろう。
「どっちも」
「お前、最低最悪って書けるかな?」
「百合っ子なんだからね、振られた方が」
「だからねって、とんだ大逆転かよ。それでもお前は最低だという事実は逆転しないじゃないか。むしろ悪化する一方でもう挽回しようとも為す術がないくらいだ」
「ちなみにその失恋相手は昔俺が描いたキャラだ」
「無駄なところで叙述トリックを使うな!あと恋人同士ができておめでとう!」
我ながら自らの反応に茫然自失するところである。
あまり人のことを言えないけど、彼が平面的でない異性に興味を持つ、しかも恋人同士までなるなんて、ある種僕が結婚する確率より低いから、素直に驚いた。
閑話休題。
「ところでカオスくん、お前ってあの天才ーー弐口博士と直接会ったことある?」
「ところでで人の名前をカオスにするな、格好良いけど。博士のところに行ったことがあるとは言え、今回を含めても三回しかないぜ。あんな多忙たる人間に会えるなんてそうそう簡単ではないと思うぞ。俺はともかくとして、よくも面会許可を取ったな。つうかななちゃん、いつどうやって彼と知り合ったのかな」
勝手な配慮かもしれないが、(主に身の安全の方面である。彼にはこの類の話が大好物だけど、余計に頭を突っ込む節がある)、彼にはこれまでの冒険談、もといあちら側のことを一切伝えていないから、ゆえに波瑠七のことについてまるで知らないに等しい。
「『なんとか』としか言えないね。類が友を呼ぶ、とも言えるかもしれない。彼女、天才じゃなくとも天才肌ではあるから、凡人たる僕には理解し難いだ、彼女のしていること。なるほど、そこまで会い難い人間かね、博士」
「身近い者だって会いたいからすぐ会えるわけでもないだろう」
ああ。さもありなんと言わざるを得ない。
「あと、凡人なら創作なんかそうそうできないと思うぜ。謙虚にも程があるだろう。うちの塾生の中で、君のファン、結構いるぞ」
「凡人だからこそ、創作できるだろう。発想は限られているゆえん、集中できる、それから作業は進められる、やがて成果が出る。まあ僕の場合その発想こそが一番大事であるが。それに、僕のあれはとても創作とは呼べないだろう」
「全米が泣いたのに?」
「全米が泣くわけねえだろう。グローバル化が進行しているからそろそろ全米の涙腺も結構鍛えられているはずなんだろう。ていうか、こないだ話あまり進まないから、むしろ全江口が泣きたいところだ」
「涙が出すぎると全エロになるけどね。はっはー、さすがはエッチくん、物描きだけではなく、物書きをしても十八禁は十八番なんだ」
「僕そのものを十八禁みたいな物言いにするな。十八禁は十八番って。確か昔十八禁のイラストを書いたことあるけど、あれは仕事であること、お前だってわかるだろう。ていうか、そもそも裸のデッサンって基礎じゃん、なんで僕がこんなくだらんことでカンカンになってるんだよ、しかも馬鹿みてたいに懇切丁寧に弁解するなんて、小学生かよ僕」
「早熟かな」
「黙れ」
感染するのかな、イラストって。
感染源は多分イラストレーター。
車が進んでいる。
五分後。
「江口、俺は君に謝らなけりゃならねえことがある」いきなり真面目な口調で言いだす無序。
「なんだ。別にお前は僕に悪いことした覚えは全くないわけでもないけど、僕、そこまで人間が小さくはないと思うが」
「今日の面会だけど、できなさそうだ」
「時間ならまだ余裕があるはずだろう」
「いや、時間の問題じゃない。悪い」
「道に迷っても大丈夫、あと三時間もあるから」
「だから時間の問題じゃないって言っただろう」
車は止まった。
「何度も確認したが、面会場所のビルはここにあるはずだが、ここには無いんだ。いや、正確に言うと、無くなった。今朝路線確認の時まだあったなのに、あの造形のセンスが独特としか言えないツンイタワーが」
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