第33話 紀憂 (没33)
『 紀 憂 』 (没33)
杞の国の人は「空が落ちてきたらどうしよう」と思い悩んだらしいけど、紀の国に住む没価値男にも年一回、「空が落ち、地が裂けるのではないか?」と憂える時がある。
わが家の眼前には太平洋が広がり、その左手に奇岩を誇る観光名所がある。いわゆる鬼ヶ島伝説は日本各地にあるようだけど、確かに波が岩場を侵食して形成した奇岩には、愚者を寄せつけない毅然さがあり、人間の知力の儚さも感じさせる。しかし人間には己の微力を補う想像力と創造力があり、その一つは正に『花火』だろう。
幼い頃、両国の花火大会を見に行った事がある。招待だったから私としては花火よりもご馳走の方が嬉しかったけど、それでも夜空に咲く大輪の花火は素晴らしいと思った。およそ子供は花火が好きだろう。夏になれば大方の子供が軒先や庭で線香花火やロケット花火に興じた経験を持つはずだけど、花火は光の輪が大きければ大きいほど感動も大きい。
打ち上げの数では負けるものの、わが町の花火は恐らくよその花火大会が太刀打ちできない二つの特色を持つ。それは海と山に囲まれた正にわが町の立地条件を見事に応用した花火と言える。つまり、太平洋の大海原の水面に仕掛けを浮かべて海面すれすれの所で開花させる型と、奇岩の岩場に花火を置いて炸裂させるものである。前者は大輪の半円しか開かないという欠点があり、後者は(戦争を知らない私にはド迫力の爆音に体が一瞬ひるんだ後、遠くの山々にまで木霊するこの大仕掛けが好きだけど)戦争体験者には防空壕撃砕などのおぞましい記憶を蘇らせるに違いないほど激しい類のもので、むしろダイナマイトの爆発に似ている点で花火と呼ぶには異論があるかも知れない。しかし少なくとも珍しい形態の彩花である事は確かで、そうでなければ人口の五倍もの人々が片田舎の花火大会にわざわざ足を運ぶわけがなく、この日ばかりは駅前も通りも(普段は閑古鳥が鳴く商店までも)新宿なみの人込みを見せ、車が渋滞で何キロも連なる光景に都落ちの没価値男は破顔で遥か都会を懐かしむ。
真実かどうか定かではないけど、わが町の花火は三百余年の歴史があるらしい。とすると、奇岩に仕掛けた花火で鬼を追い出して先人は聖地を獲得したのかも知れない。いかに鬼といえども、あの爆音とわが家でさえ揺れる爆風には耐えられるはずがなく、鬼退治をすると同時に夜空に咲く大輪を楽しむという一石二鳥のソウゾウリョクで古人の知力を証明してみせたわが町の花火も(祭り同様に)消してはならない地域文化の一つだろう。
そして今年も遮る物が何もないわが家の屋上で観賞する私は正に眼前で炸裂する三尺玉に「天が落ちる」と畏怖し、諸々の花火とは一風異なる奇岩爆破大作戦に「地が裂ける」と憂慮しつつ「花火によく冷えたビールはまた格別!」と、独り悦に入っている。
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