第30話  法律  (没30)

     『 法  律 』             (没30)

 世界的にも高名な日本のある音楽家がコンサートに出演して出演料を全額慈善事業に寄付したのに事後、所得税を払うよう指摘された。音楽家からの申し出により、主催者側が直接寄付したことが判明して音楽家への課税は取り消された。つまり、いかに全額を慈善事業に寄付しようと、本人が出演料を一旦受け取ってからの寄付では所得税が掛かり、本人を経由せずに渡された場合は当然本人の懐には入っていないので税は課されない。

 何か奇妙な話に聞こえるかも知れないけど、これが『法律』というものである。更に挙げれば、強盗殺人を犯しても少年である為に極刑を免れ、残虐非道な行為を想像の領域から実行に移しても精神病という理由で通常の責任能力が否定される。

 『方丈記』の巻頭を引用するまでもなく、この世の全ては流れている。少年を取り巻く環境も少年自身の心身も時と共に移り変わっているのに、少年法だけが五十年前のままというのは全く理不尽な状況と言える。あるいは、加害者の行為をとがめる前に、精神を病んでいたという理由で刑罰の執行を猶予する事は再び鬼畜を世に放散しかねないと人々は危惧する。しかし現時点で法律が改正されていない以上、仮にどちらのケースで減刑されたとしても正当な法律の適用になる。

 本来、法律というものは出来るだけ感情を排し、例外も認めない杓子定規に徹しなければならない宿命にある。勿論、いつの時代も完璧な法律などありえないが制定時には予測しえなかった事態が起こるなど、犯罪分野で態様が激変する現代こそ法律自体も敏速に反応させて世人が納得する『必罰』にしなければ、ますます一般人の正常な心情と遠く離れた難解で一向に心の見えない法律の冷血に、人々は苛立ちを募らせるだけだろう。

 体の傷は治癒したかどうか容易に判別できるが心の病は本人にも分からないかも知れないから、精神を病んだ人の社会復帰には二度と同じ犠牲者を生み出さない為にも慎重を期して欲しい。また、少年には未来があるからと言って全ての罪が一般より軽減猶予されるのも正当ではない。未来も人権も社会に役立つ者が主張できる権利であって、人生にまだ長い時間の残っている少年こそ復帰に期限を決めず、様々な過程を経て『矯正』が本物と世人に認知されるまで待つべきだろう。

 かつて法学生だった時、大切な事は冷静な観察眼を持つ事で、決して事件を感情で論じてはいけないと習った立場を安易に変えるつもりはないが、数百人の貴い命を殺傷した極悪人も人権を盾に億の血税を注ぎ込んで擁護され続ける現実に、私は首肯できなくなってきた。そして若い頃は微塵の不正も嫌う正義一辺倒だったけれど、今の私はクールな法学よりも多様性を容認するホットな文学の方が性に合っていると気付いて、勝手気ままなメッセージを発しているのだが・・・。

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