第27話   現状 (没27)

     『 現  状 』                (没27)

 幼い頃は神仏を信じたが、今の私は神仏を信じない。この問題は非常に個人的なものだと思うので、他人にはその存在を肯定も否定もしない。けれども子供に対しては勧善懲悪の考えを植え込むために、「良い事をしたら必ず神様は褒めてくれる。嘘をついたら地獄で閻魔大王に舌を抜かれる」と、あたかも神仏が実在するかのごとく強調するのはむしろ正しいと思う。なぜなら、いつの時代でも先ず子供達に教えなければならないのは、物事の善悪だからである(ところが今は大人達に諭さなければならない時代のようだ・・)。

 大人は厄介な問題が生じて自分の力で解決できなくなると、大抵の人が最後のよすがとして神頼みをする。それでも問題が改善の方向へ進まないと、「散々お願いしたのに」と明らさまに不平を漏らすが、そういう人達に限って普段は神仏を蔑ろにしている。結局、人は神仏を信じるとその代償を求めたがり、それが個人のワガママに通じるように思われるので、私は神仏を信じない方が却って神仏の冒涜にも繋がらず、潔いと決めた。

 人生で最大の悲しみは家族の一員との別れだろう。祖父母達とは離れて暮らし、しかも私が幼い頃に亡くなったので私の最も大きく辛い悲しみは父との別れだった。実を言うと三年前に父が亡くなるまで、不勉強な私は自分の家が何宗なのか知らなかった。あるいは近所の葬式に出席しても宗派を気にするどころか経文の違いに言われて気付くほど鈍いのに、私の考え方は根底でかなりの部分が(特に)仏教思想からの影響を受けている。輪廻転生や天国・地獄が現実にあるとは思っていないけれど、万物は受け継がれて現在が過去からの続きで更に未来へと繋がっている、とする持論も宗教的な思想から得た知識の一つである。そして私は何よりも、現状を全て受け入れる事を信条としている。

 つまり、現在が幸せなのは過去に努力した成果であり、今の勤勉の結実が将来の幸福に繋がると信じている。仮に全く自己の責任ではないと思っている現在の不遇も、もしかしたら過去に自らが無意識の内に犯した小さな過ちの蓄積かも知れない。そう思えば現状をあまねく受け入れて、悪い状況であれば改善に向けて努力し、良い状況であれば素直に喜びつつその永続を図る事が悔いのない人生を送る事になると確信している。

 もしも神仏がいるとしたら、現状こそ今を生きる私に与えた第一に乗り越えなければならない試練に違いない。それゆえ現状を見つめる事は自分自身を見つめる事に他ならず、因果応報は決して神仏からの賞罰ではなくて自らが蒔いた種の結実である。にも拘らず、時として慰めの言葉すら虚しく響くほど不幸な事件事故の犠牲者を見ると、残された人に課されたあまりにも苛酷な現状に、この時ばかりは無神仏論者の私でさえ、「神仏がいてくれたら・・・」と、口をすぼめる。

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