第26話  C M   (没26)

     『 C  M 』             (没26)

 私はCMが好きだ。妻はビデオ・テープを何本も重ねて曜日毎のドラマを楽しんでいるけど、私がその途中のCMしか見ないのは一日で空き時間の少ない私にとって、当然、CMの方が遥かにより多くの『ドラマ』に接することができるからだ。

 CMとはコマーシャル・メッセージの略で、まさにコラムと同様にメッセージを届ける作り手の感性が問われる分野だ。そして同時にCMは(基本的には殆どのCMは専門の制作会社が作るけど、クライアントの意向は反映されるはずだから)会社を代表する顔でもある。例えば、商品と全く関係ない水着女性や社長本人の駄ジャレで済ますCMなど、CMを見ればその会社のヤル気や概要ばかりか品性までも分かってしまう点で、CMは人間観察にも似てメッチャ面白い。

 現実にはちょっと目を離している隙に終わってしまう高々『十五秒』のメッセージに、CMの影響力を重視する一部の会社は多くのスタッフと時間を費やす。あるCMは背景の為だけにわざわざ海外まで出向き、また一つのシーンにNGを重ねてようやく撮り終えたCMもドラマの進展が気になる人には『飛ばし見』されるが、所詮CMは永遠に商品という主役を際立たせる為の脇役に過ぎない。それ故、どんなに商品の売り上げがCMのお陰で倍増したとしても、そのCMが時季を重ねて流れ続ける事はない。結局CMの世界では傑作も時と共に必ず消えていく運命にあり、全ての流れが早い現代では益々CMの命を儚いものにしている。そして人々の心にメッセージを伝えるCM作家は常に前作を凌ぐ作品を提供しなければならない宿命と闘いながらも、その名前が世に知られる事は殆どない。

 根本的に映画と違うCMは、「セットにお金をかければ傑作ができる。スーパースターを使えば良い」ってもんじゃない。近年はCGの応用で非常に高度なCMを作れるようになったけど、短いコマにやたらと俳優が多いCMは映画と誤認しているようだし、いわゆる好感度タレントに頼るだけでは能がない。たったの十五秒に魂を込めなければならないからこそ(コラムでも!)、キラリと光る独創性がなければ見る人を惹きつける事はできないが、逆に傑作に出会った時の感激は一瞬ゆえに強烈な印象として心に残る。

 四月から週に一回、この欄を担当して早くも六ヶ月。いかに心のメッセージを伝えるかに腐心して、無い知恵を絞って『永遠のテーマに挑んだり、個人的な趣味を大上段に振りかざして自己満足に陥ったり』と、オッサンが好き勝手に振る舞ってきたけど振り返れば(どれも殆ど記憶に残らない安直なCMのようだったか?)と反省して、捲土重来を期す為にしばらくお暇を乞う事にしよう。

『勉強しまっせ、コラムニストの没価値男。ほんまかいな、そうかいな。はい、それでは皆様、また逢う日まで、さよオナラ!』

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