第25話  わが家の居候  (没25)

     『わ が 家 の 居 候』         (没25)

 私は幼い頃、犬を飼っていた。庭の片隅に小さな犬小屋を置いてひもで縛っていたが、たまに放してやると大喜びして庭中を駆け回った。もちろん犬はそうやって飼うものだと信じていたが、ある時アメリカのテレビ・ドラマで犬を家の中で飼っているシーンを見た時は随分びっくりした。

 小学生の子供が犬を欲しいと言い出した。妻も幼い頃に犬を飼っていたので、飼うこと自体には大した問題も生じなかったが、飼い方で一悶着あった。

 わが家は完璧に亭主関白で、犬は庭に繋いで飼う!と決めていた私の判断は当然、受け入れられると私は確信していた。ところが、私の子供時代よりも遥かにアメリカナイズされているわが子らは、どうしても家の中で犬を飼いたいと主張し、民主主義を標榜する私のポリシーを逆手に取って「多数決によるべきだとする多数決」で、私の意見はあっさり否決されて、私は自分の関白宣言が幻想だった・・と思い知らされた。

 しかし大して広くもない家の中を犬に走り回られては・・と、なおも抵抗を試みる孤軍奮闘の私は「ドアの近くに使い古しのシーツを敷いて犬をひもで繋ぐ」という決着で、どうにか父の威信を保てたと安堵した。

 私は夕食後、階下におりて子供たちを相手に仕事をしている。時折用事で二階に上がっていくとうちの子らがドタバタしている。何事かと思って居間を覗くと、犬の首輪が外れたために捕まえようとしていたのだと言う。しかし、その後も階段を上がる度に二階が騒々しい事に私はピンと来て、ある時忍び足で階段を上がると、いきなりドアを開けた。案の定、妻たちは私が階下に行くのを見計らって、犬を部屋に放して遊んでいた。

「没・価値の父とは、こうも威信のないものか!」と嘆いても今更どうしようもなく、結局わが家の犬はそれから短いシッポを振り振り、ご飯のお余りをくれる家人の周りを行き来する自由を得た。 

 とは言うものの、私が上がってくれば人間でもここまで〝わざとらしく〟は出来ないだろうと思えるほどの歓迎ぶりを見せて、彼は徐々に頬を弛めるエセ関白からも家族の一員としての地位をゲットした。ところが皆からチヤホヤされる年の離れた末っ子のように、何でも思いどおりに育ててしまったワガママ犬は自分を犬と認識していないかの如く、家中を好き勝手に寝場所に変えている。

 もはや家の中で飼うには明らかに大きすぎる十五キロの巨体も、子供たちが独り立ちして家を出て行った今では唯一人の話相手になっている事は確かだが、一日を食うか寝るかで気ままに過ごして『犬生』に何の義務も責任もなく、ストレスさえ溜るはずのないわが家の居候を見ていると、次に生まれてくる時は人間よりも「お気楽な犬の方がいい・・」とは、やっぱり思わない!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る