第24話 天網恢恢・・・ (没24)
『天 網 恢 恢 ・・・』 (没24)
私には座右の銘とか、何かの祝席で決まって色紙に書く言葉というものはないけれど、漢文から得た知識の中に好きな警句がいくつかある。その一つが『天網恢恢 疎にして漏らさず』である。
言葉の意味は「天に張りめぐらされた網は広大で目が粗いように見えるが、必ず悪人を捕らえて逃す事はない」というもので、悪行には遅かれ早かれ天罰が下って悪人は決して安楽に暮らすことはできない、と信じる臆病者の心を支えてくれる格言である。
ところが現実には、殺人犯が時効まで逃げ延び、悪事で大儲けをする人がいる事も知っているし、あるいは『義を見てせざるは勇無きなり』という成句を実行して、暴走行為を注意した為に撲殺されたり、他人の喧嘩の仲裁に入って逆に大けがを負わされた事件などは、天に代わって悪を成敗しようとしても正義が必ず勝つとは限らない事実を(残念ながら)如実に物語っている。
かつて『木枯らし紋次郎』という時代物のテレビドラマがあった。めっちゃ強いくせに他人の不幸を見ても「あっしには関わりのない事で」と決して助けようとせず、災難がわが身に降り掛かって初めて戦った。
確かに、見て見ぬ振りをする人が多い中で、義憤を感じて行動する人を立派だとは思うものの、腕に自信のある侠客でも君子でもなければ、『凡夫は危うきに近寄らず』も真実であり、傍観者を安易に批判することはできない。なぜなら現在は特に他人を信用する事が難しく、ましてや全く関係ない人が行った善意の見返りが〝死〟では、残された家族の無念は余りにやる方ない・・。
ところで世の中に一点の曇りもない善人はいるのだろうか? そのような人なら天の網がどんなに細かくても捕らえられる事はないが、若さと共に正義感が薄れて現実社会の弱肉強食を是認するようになると、網目の粗密が少々気になってくる。
恐らく天の網の目は悪行の形状や程度、反社会性などによって縦横に伸縮するものに違いない。それゆえ所詮、悪人になりきる度胸もない者が重大な過ちを犯せば直ぐに引っ掛かるが、微小だからと言って常にすり抜けられるとは限らず、『塵も積もれば山となる』ように、罪も積もればヤバくなる。
結局、天網恢恢は自らに『勧善懲悪』を再確認させる警句となったが、それは父に聞き残した事があるからだ。その為には何としても私自身が父の住む天国に堂々と行く切符を手に入れなければならず、仮に引っ掛かった天の網をたぐって天国行きを試みるのは蜘蛛の糸のようで多分に心もとない。とすれば、せいぜい明日から『情けは人の為ならず』という箴言を胸に、できる限り他人に優しくして少しでも悪の衣を脱ぎ捨てよう。つい先日、医者に「太りすぎは良くない」と忠告されたばかりだし・・・。
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