第22話  ぼく、ドラえもん  (没22)

      『 ぼく、ドラえもん 』      (没22)

 スーパーマン、拳銃無宿、ジ・アンタッチャブル、ボンド対ソロとクリアキン、そして極めにモンローが、私にその存在と意義を強く印象付けてくれた職業とは?

 大方が俳優と答えそうな連想ゲームの正解は・・・『声優』です。

 随分と昔の話だが、私の近所に唯一テレビを持っている老夫婦の家があって、小学校に入る前の私は幼なじみのKちゃんと度々その家へ行った。ジジババは孫が来たかのようにお菓子で歓迎してくれたが、私の目当ては正に『テレビ』だった。当時はテレビ放送がまだ初期の頃で番組も今のように始終流れているわけではなく、ましてガキが他家に行ける時間帯では大抵が『テスト・パターン』だったが、私は何か不思議な魔力を感じながらただ『的のような円』を見続けていた。

 そしてわが家にテレビが来たのは私が小学校六年の時だった。当然(今の子供達がテレビゲームに心を奪われるように)私はすぐに虜になって、母の忠告を全く無視して少なくとも高校に入るまでは実によくテレビを見た。特にアメリカのドラマが圧倒的に面白いと思ったが、好印象を持った一つの要素は吹き替えを担当した声優たちの力に相違ない。

 かつて初めて外国のテレビ・ドラマを見たお婆さんが「この外人さんたちは日本語が上手だねぇ」と感心したエピソードからも分かるように、声優という職業にはかなりの技術と経験が要るはずだ。私は何人もの声優の氏名を正確に書けるのに、その人たちの顔を殆ど知らない事を奇妙に思っていたが、ある日一人の有名な声優の告白から謎が解けた。

 当時はまだ声優が一つの確立した職業として認知されていなかった為に、新劇をしている人たちが副業で声優をしていたらしい。他人の演技を見ながら、それに合わせて台詞を読む『アテレコ』という特殊な技能も舞台人なら御手の物、と私はうなずいた。

 基本的に映画は『字幕』式に限るけれど、仕方なしに小さい画面のテレビで見る場合は字も小さくなるので吹き替え方式に頼るしかない。ところが、ある映画を見終わって何かチグハグさを感じたのは、主役の吹き替えをアイドルが担当していたせいだと分かった。そこから『面の割れた芸能人に声優は向かない(どうしても本人のイメージが重なってしまう)、さらに声優はどれだけ人気が出ても黒子に徹すべし(顔を売りたいのなら俳優になれ)』という私の独断声優論が確定した。つまり声優と俳優は全く異質の職業で、あくまでも声優は「声はすれども姿は見えず、まるでお主は屁のような」存在が素晴らしい。

 一体どんな人が吹き替えをしているのか?と気になる人がいたのは事実としても、素顔を知って逆に残念に思った例があるように、世の中には真実を知らない方が幸せな場合もある。そう言えば、マリリン・モンローの声優もM・Mさんだったなぁ・・・。

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